2018年4月30日 (月)

新しいことと、変わらないこと

2018年度が始まりました。

今年度は、七海がいよいよ中学生になった! という新しい年度です。

新しい生活に胸を膨らませて始まった4月ですが、のっけから、つまずいております、制服に!

20180409a

upwardright 七海:「制服は、セーラー服にスカート。制カバンは肩掛けなので、やや持ちにく~い。ランドセルがよかったなぁ。」

もちろん、七海は制服を着るのが楽しみで仕方なかったし、毎日、楽しく登校している。

しかし、制服って、思っていたよりずっと煩わしい衣服なのでありました。

まず第一に、ずっとズボンしか穿いていなかった七海が、いきなり毎日、スカート!

腰のところのカギホック、っていうんですか? あれを留めて、ファスナーをあげて、プリーツの正面がちゃんと前にくるように穿く、これがまず一苦労。しかも、スカートがめくれないように、あるいは適正にさばきながら、一日を過ごすのは、思ったより大変なんじゃないかと推察される。

考えてみれば、スカートというのは、かなり「非・行動的」な衣服であって、中学生の学校生活には、実用的ではないんじゃないかと思う。

それが証拠に、七海の中学校では、登下校は制服が義務付けられているが、学校内では体操服で行動してもよいということで、七海は学校に着くと、体操服に着替えて一日を過ごしているらしい。他の女子たちも、多くはそうしているらしい。

だったら、制服なんか、なくてもいいじゃん!

と、実用一直線の母は思うわけだが、そこはそれ、伝統やら習慣やら惰性やら思い込みやら、ついでに、業者さんたちの喰いっぷちやらで、そう簡単には変えられない、変わらない、変えませんから! の、事情があるのでしょう。

七海にとってさらに煩わしいのは、セーラー服の胸のところにある、三角形の当て布のようなものを留める作業。

逆三角形の布の左辺は縫い付けてあり、右辺をポチ、ポチ、ポチッと、3つの小さなスナップ・ボタンで留めるようになっている。

これ、普通の人なら何てことないんですが、これが七海には難しくて!

こういうスナップボタンって、自分がやる時のことを思い返してみると、上からボタンのついている布をかぶせて、指で位置を確かめながら、人差し指あるは親指で、上からポチッと押さえていると思うのですが、どうやら七海は、この「指で位置を確かめながら」というのが、できないらしい。

両手で、一つ一つのボタンをもって、自分の目で見ようと最大限に持ちあげて、スナップボタンの凸と凹を合わせようとする。その時点で、布の向きが反対?になっていて、次のボタンを留めようとすると、無理な力がかかるので、一つ目のボタンがはずれる。

もう、目もあてられない、というか、その「不器用さ満開」が情けない、というか、かわいそうというか・・・。

「自分でできるようにならないと!」と思って見守るが、登校時間に遅れるという影響が出るほどになり、結局私が留めてやることになる。

何日か試行錯誤したが、七海の技術向上を待っていられなくなり、ついに制服屋さんに相談して、スナップボタンをマジックテープボタン(というのでしょうか?)に替えてもらうことになりました。やれやれ。

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆

「制服問題」が片付いたと思ったら、今度は、体育館シューズ問題。

学校指定の体育館シューズは、ひもで結ぶタイプで、靴ひもを蝶結びにしなければならない。春休みに猛特訓したが、学校の先生に言わせると、最後のところは結局、先生に結んでもらっているらしい。

先生:「学校でも蝶結びの練習はしますが、どうしても集会とか、みんなと一緒に行動しなければならない時に遅れるので、マジックテープタイプのシューズを用意してもらったほうが・・・」

ということで、これまた、七海だけ特別なシューズを用意することに。

あー、それなら、はじめっから、マジックテープのシューズを買っていたのに!

上履きも、学校指定なんですが、これは事前に「無理!」を予見して、七海だけ特別な上履きでもいいと了承をもらっていました。

学校指定の上履きは、クロックス風のサンダルみたいなもの。「こんな草履みたいなのが上履き!?」と、中学入学説明会で見た時は驚きましたが、草履・スリッパ類がうまく履けない七海が、これを履いて、階段を上り下りするとどうなるか。これは火を見るより明らかに予見されましたので、事前に、上履きは違うものを用意させてくれと、中学校にお願いしておきました。

もちろん、しょうとく園のころより愛用の、アシックス・すくすくシリーズの上靴で!

体育館シューズまでは予見できなかったのが、悔やまれます。

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆

かように、七海の中学校生活のスタートは、「想定外」の波乱含みでありましたが、本人は環境の変化に揉まれながらも、楽しく毎日を送っているようです。

しかし、思うに、これほど「多様性」が尊重される時代において、学校指定の制服、学校指定のカバン、学校指定の上履き、学校指定の体育館シューズ、学校指定の・・・、その他多数。しかも、初期費用だけでも10万円近く。公立の中学校において。これはもう少し、見直されてもいいのではないでしょうか。

まぁ、自分自身は、中学・高校と、制服に疑義も嫌気も感じたことはなく、喜んで従ってきたほうですが、それはやはり、自分が「メジャー側」にいたからなんだな、と今さらながらに思います。七海のような「マイナー側」に立って初めて、そのメインストリームに疑問をもつことになる。

最近は「性自認」などに対する理解も深まって、制服も選択肢が広まりつつあるらしいが、そもそも、中学や高校で「制服」って必要なのか、というのが、根本的な問題としてあるように思います。

ま、しかし、これは、私がこの1か月ほどに、急に感じた「問題意識」なので、泡沫候補的問題にすぎないのも事実でありますが。

(「本命候補的問題」は、たとえば、「夫婦別姓問題」とか、「女人禁制問題」とか、ですかね。いずれも、「マイナー側」から声が上がり、これがもう、すでに「マイナー」でなくなっている、という感じの問題でしょうね。)

・‥…━━━☆・‥…━━━☆

七海の新しい生活とは対照的に、また、同じ新年度の始まりの私。

例年のごとく、新入生を迎え、一からまた、「こんにちわ」-「こんにちわ」。

特に今年の火曜日は、

2限:バンバラ語、3限:1年生スワヒリ語、5限:初級スワヒリ語

という、語学の授業が3連チャン。しかも、全部、初級。

ということで、この1カ月、火曜日は、挨拶&自己紹介ばかりしている。

「こんにちわ」ー「こんにちわ」

「おはようございます」-「おはようございます」

「お元気ですか」-「はい、元気です」

「ご家族のみなさん、元気ですか」-「はい、元気です」

「あなたの名前は何ですか」-「私の名前はヨーコです/私の名前はジギです」

「あなたはどこから来ましたか」-「私は大阪から来ました/私はマリから来ました」

「さようなら」-「さようなら」

これを1日3回、いや、5回、いや、10回くらいは言ってるなぁ、スワヒリ語&バンバラ語で。

Hujambo? - Sijambo.

Habari ya asubuhi? - Nzuri sana.

Habari gani? - Salama tu.

Nyumbani wote hawajambo? - Hawajambo.

Jina lako ni nani? - Jina langu ni Yoko.

Unatoka wapi? - Ninatoka Osaka.

Kwa heri. - Kwa heri.

私は、基本的には「語学教師」体質で、これを何度も言って、何度も学生にリピートさせないと気がすまない。

毎年毎年、4月はあらたな気分で、Hujambo? - Sijambo.

バンバラ語は、テープを流して学生にリピートさせる。自分も一緒にリピートする。

I ni tilen. - Nba,i ni tilen.

I ni sɔgɔma. - Nse,i ni sɔgɔma.

I ka kɛnɛ wa? - Tɔɔrɔ tɛ.

Somɔgɔw ka kɛnɛ wa? - Tɔɔrɔ t'u la.

I tɔgɔ bɛ di? - Ne tɔgɔ ko Jigi.

I bɛ bɔ min? - Ne bɛ bɔ Mali.

K'an bɛn. - K'an bɛn.

これらの例文が、私の頭の中を、ずっと巡っていた4月でした。

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆

そのおかげか、朗報が一つ!

年明けから、「爆買い」していた『大人のカロリミット』ですが、もちろん、大方の想像通り、効果は見られておりません。史上最重体重ラインをはさんで、一進一退の攻防戦を繰り広げながら、3か月が経ちました。

効果が見られないどころか、毎日4粒飲み続けていたら、若干めまいのようなものを感じる時があって、飲むのを控えたり、3粒に減らして休み休みのんだり。爆買いカロリミットがまだ、大量に残っています。とほほ。

20180131

そんなとほほ状態にもかかわらず、この4月からの1カ月で、気が付けば、2キロ減量という朗報が!

そう、これは、とりもなおさず、授業での大声発声のたまものなのでしょう。

アーンド、なんやかんやで、七海の件に対する母・神経消耗が効いたのでしょうか!?

ちょっと、やつれました、みたいな?

きゃぁ!(← 嬉しい悲鳴)

2018年3月30日 (金)

2つの卒業式

3月は卒業の月。

毎年こうして卒業式の報告をして、今年で12回目となります。

そして今年は、七海の小学校の卒業式も。

6年前のしょうとく園の卒園式では、思いもかけずに母・号泣という顛末でしたが、→ 「さよなら、しょうとく園」 さすがに小学校の卒業式は、あっさりと見守ることができました。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆

小学校の卒業式というのは、在校生の5年生も含めて、何日も前から練習していて、きっちりと形式的に進められる。

卒業証書授与では、一人一人が順番に立ちあがって進み、所定の5か所の位置で立ち止まる手順になっている。

まずは舞台下で待機。その次に、舞台上手でこちらを向いて立つ。

20180316a

upwardright 舞台上手に漠然と立っている七海)

次に名前を呼ばれて、校長先生の前に立つ。卒業証書を受け取って、

20180316b

舞台下手に移動して、こちらを向いて立つ。

20180316c

upwardright 舞台下手で、次の生徒の名前が呼ばれるまで待つ)

その後、舞台から降りて、また立ち止まる。

この一連の流れで、卒業生一人一人が、長い時間「晴れ舞台」に立つことになり、シャッターチャンス、ビデオチャンスが長くとれることになる。うーん、なかなかうまくできた仕組みです。

そして、一人一人にセリフが割り当てられた「お別れの言葉」があり、5年生からの「さよならの言葉」がある。6年生が歌を歌い、5年生が歌を歌う。対面でやっているので、コール&レスポンス 的な、ちょっと感動的な場面です。

20180316d

upwardright 前列真ん中あたりの、一番背が低いのが七海。手前はレスポンス5年生。いや、コール5年生か。)

舞台上で、涙している女の子。別れの寂しさがこみあげているのが分かる。舞台横で涙を拭っている担任の先生。

思わずもらい泣きしそうになるが、ふとみると、きょとんとしている我が子。「卒業の悲しさ」という機微が、たぶん分からない様子。そういう「複雑」な感情には、まだついていけてないんだと思うと、ちょっとした淋しさにおそわれる。

まぁ、でも、うちの子は、普通の子とは違うのだし。

小学校に入学する時は、せめて、ひらがなでも書けるようになってくれたら。せめて、ひとけたの計算くらいができるようになってくれたら。と思っていたのだし。

そう思うと、この6年間の成長は想像以上のものだったし、いじめられたり疎外されたりすることも(たぶん)なく、楽しい小学校生活を送ってくれたと思っている。

七海が支援学級に入って以来、私は、私自身の小学校や中学校の、当時は「養護学級」と呼ばれていたクラスに在籍していた同級生たちのことを、よく思い出した。当時は、今ほど支援も行き届いていなかったし、おとなしい女の子はよく男子にいじめられていた。小学校の頃はそれでも、正義感あふれる女子たちが、いじめっ子に「やめたりぃやぁ!」と抗議していたが、中学校では、そういう関わりももう、あまりなかったように思う。

高校に行ったとしたら、たぶん支援学校に行って、その後、彼らはどうしているんだろうか、と折に触れて思う。たぶん、それは七海の今後の進路や将来のことを不安に思ってのことなのだけど。

40年前と違って、今の小学校や中学校の支援学級の指導は手厚く、普通級の生徒たちとの交流を促してくれたり、他校との交流会などもあって、七海はめいいっぱい充実した小学校生活を送ることができた。

幸いなことに、中学校は小学校の隣にあり、また、うちの小学校一校からの持ち上がりで、環境はさほど大きく変わることがない。こんどは「ひまわり学級」という支援学級でお世話になるが、これからの3年間も、これまでの6年間に劣らぬ「ジェットコースターぶり」が待っているような気がする、母の心情的に。

20180316e

たんぽぽ学級の先生方には、ほんとうにお世話になりました。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆

大学の4年間もまた、大きな変革&成長の時期です。

この期間の途中では、それこそ「成人」というラインを越えるのだから、それなりに成長してもらわなければならないんだけどね、実際のところ。

20180322a

どの段階であっても、人が成長し、卒業して行く姿は、「希望」そのものです。

最近の卒業式では、いつの頃からか、女子は、式典では着物、謝恩会などのパーティでは洋装に着替える風潮に。私のころは、卒業式から謝恩会、そのあとの2次会まで、ずっと振袖着てたけど、それもまた、30年も前の話だから?

20180322e

upwardright 「やだぁ~、せんせぃ、パーティでは洋装に着替えるの、当然じゃありません?」


20180322f

upwardright 「そうですよ、先生っ。あ、私たち、ブラックフォーマルかぶり!」

20180322g

upwardright 
「やっだぁ~、せんせっ、私たちはOG! 同級生の卒業を祝いに来てあげたんですよ♪」

そう、両側の女子二人は、昨年、号泣しながら花束を渡してくれた卒業生。同級生であるS本君(写真真ん中)が、6年目にしてようやくご卒業の運びとなり、それを祝いにかけつけてくれたのでした。

気が付けば、七海が小学校に入学した時に、S本君もご入学。そして、今年・・・。

七海に、「これは、シ じゃなくて ツ!」とイライラしながら教え、「これは、ソみたいに見えるから、書き直し! ン、ね、ン!」と激昂していたように、S本君には、「これ、書き直し! 小論文、ぜんぜん論理的じゃないから!」、「早く修正版を提出して!」と、おこってばかりいたように思います。

そんな七海が、先生方から「ななみちゃんは、ほんとうによくがんばりました。勉強も遊びもいつも一生懸命がんばりました」と褒めてもらったように、私もS本君を褒めたいと思います。「スワヒリ語も、小論文も、卒論も、みんなよりはゆっくりだったけど、S本くんなりに、よくがんばりました」

どう指導していいか分からず、本当に悩んだ時期もありましたが(この私が!)、「教員はなくても、学生は育つ」。それぞれがそれぞれのペースで、必ずや成長していくんだから、こちらは、もっと気長に、おこらないで、ゆっくりと見守っていかなければなりませんね。学生さんも、我が子も。

S本君と我が子の成長&卒業がシンクロした、今年の卒業式でした。

20180322c

みんな、ほんとに、ご卒業おめでとう!

2018年2月28日 (水)

Memento Mori

2014年2月16日に、七海の祖母であるところの、ダンナのお母さんが亡くなった。

その時のこと → 「さよなら、ばーば」

あれからちょうど4年となる、2018年2月15日に、その夫であるところの、七海の祖父である、ダンナのお父さんが亡くなった。

享年90。 「大往生」と言っていい人生の終幕だった。ただ、その最後の4年間は、「妻に先立たれた夫」の典型のような人生であり、人生の「消化試合」のような4年間であったようにも、みえる。

義父は、ダンナとダンナのお姉さん、ダンナの叔父であるところの弟夫婦、それに1日に3回訪問してくれるヘルパーさんたちの全力の支えでもって、4年間の自宅での一人暮らしをまっとうした。

臨終に際して、大泣きしてくれたというヘルパーさん。出棺に際して、棺のそばで涙を流していた叔父さん。

お義母さんの時は泣けたけど、お義父さんの時は、申し訳ないけど、の嫁。

昨年、実父を見送った時も、さほど泣くことはなかった。 → 「さよなら&ありがとう、ジージ」

さすがに、慣れた。 
通夜、葬儀の段取りも、だいたい、把握した。 
順番に見送っていく、というのは、こういうことなんだろうなぁ、と思う。

20180216a

七海:「天国でばーばと仲良く暮らしてくださいね」

・‥…━━━☆・‥…━━━☆

一番泣けたのは、同僚のT村さんのお母さんが亡くなった時だったかもしれない。2012年の秋、まだ70歳という若さと、T村さんとお母さんの結びつきの強さを思うと、それだけで泣けた。

あれから5年余りの間に、いろいろな人を見送った。
T村さんのお父さんも、Y田N子のお母さんも。それから、大学院の時の恩師二人も。

自分たちの両親はまだ健在だなぁ、と思っていると突然に義母が逝き、昨年は実父が旅立ち、今年は義父も逝った

ここによくコメントくれるNoraさまのお父様も、シスターのせぽんのお父様も旅立たれた。

高校時代の恩師や、義兄・義弟の父上といった、やや離れた親戚縁者も入れると、まさに「数え切れない」くらい
の人々が逝ってしまった。

『ぐるナイ』の「ごちになります!」で馴染んでいた大杉漣さんの訃報にも驚かされた。

まさに、Memento Mori. ー 死を想え。

これは、自分の死について、いつも覚悟しておかなければならないという意味らしいが、今はまだ、「見送る側」の心構えのように思ってしまう。

誰がいつ、突然亡くなっても、おかしくないのだ、覚悟しておけ、と。

そう思うと、ほぼ「寿命をまっとうした」くらいの年齢で亡くなるのは、幸せなことだと思える。「まだもう少し寿命があるはずなのに」というのは、悲しい。「昨日まで、元気だったのに」というのは、もっと悲しい。

それもこれも、みんな、残された側の感情だ。亡くなる人の無念や思いは、どのようなものだろうか。

自分が死ぬ時に、何を思うのか。

Memento Mori.

いつ死んでもいいように、日々心がけて過ごし、死んだあとのことも考えて、身の回りを整理しておき、通帳や印鑑など、何がどこにあるかも、残された人が分かるようにしておき、・・・、などといった境地には、まだまだ立てませんけどね。

そんな整理をし始めると、まるで、明日にでも自分が死にそうな気がして、いやだしなぁ。

こうして、いろいろな人を見送りながら、自分の番を待つことになるんだろうけど、それでも、いまわの際まで、自分は死なない、と思いながら、過ごすんだろうなぁ。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆

あっ、そうだ。

私のハンドルネーム(というほどのものでもありませんが)、K森 Junko あらため、M.森 Junko にしたいと思
います。

これからは、こちらでは、「M.森さん」と呼んでください。(ピリオドも意識しつつ)

そして、数年がたったころ、初めてこちらを訪問してくださった方が、「あれ、K森さんなのに、どうして、M.森さんって、呼ばれているんだろう (しかも、ピリオド付き)」 と気づいた時に、「M.」が何の略なのか、そっと教えてあげてください。

きっと、その深さに驚愕することでしょう。

(って、せんか。)

2018年1月31日 (水)

私は私のままでありたい

2018年になっての初投稿。今年もよろしくお願いします、という挨拶に引き続き、お伝えしなければならないのは、残念なお知らせです。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆

2014年1月、体脂肪も測れるタニタの体重計を買い、「レコーディング・ダイエット」を始める決意を表明しました。 → 
2014年1月「1年の計」

そして、2015年1月、1年間にわたる試行錯誤の末に、ついに10キロの減量に成功したことを、高らかにお知らせしました。 → 2015年1月「1年の計:ミッション・コンプリート、の巻」

しかし、その後、体調がダダ下がり。「大殺界」にダイエットというのは、まったく星回りが悪かったようで、体重を5キロ戻して、ようやく落ち着きました。
その顛末はこちら → 
2017年1月「新しい酉年のはじまり」

そして、2018年1月、気が付けば体重はさらに5キロ増え、2014年の振り出しに戻った、と思う間もなく、その後も増え続け、現在、人生初の体重を更新し続けております。そんなご報告のための、本日の記事でございます。

なんて日だっ!

何がまちがっていたのか。10キロ減って、5キロ戻ったところで、止めておきたかった。減量時と同じ食事を続けていて、特に暴食に走っているわけではありません。

なのになぜ!?

一般的に、これを「リバウンド」と呼ぶのでしょうか。そうすると、私にとっての「リバウンド」とは、私の体が、私の命令に従うことをやめ、本来の「自分」を取り戻そうとする、壮絶な「レジスタンス運動」ということができましょう。

レジスタンス運動のスローガンは、「私は私のままでありたい」!

そう、私の体は、40代になると脂肪をため込み始め、50代では筋力の衰えに乗じて代謝を落とし、さらに脂肪をためこむ。いわゆる「中年太り」と呼ばれる、典型的な中年の体形を作り上げていく、そういう風に、生れた時からプログラムされていたように思われます。

2014年までは、順調にそのプログラムにそって歩んできた。(太ってきた、ともいえる。)

ところが、ダイエットによって、順調に歩んできた道を、突然断たれたようなものだったのでしょう。

えっ!? これから脂肪をためこもうという時期に、肝心の炭水化物が供給されない!? えっ、なぜに小麦粉が体に入ってこない!? (←体の叫び)

あんなに好きだった菓子パンはどうした? うどんやスパゲティはどうした?

うろたえる体は、それでもせっせと供給されるたんぱく質と筋トレで筋肉を作り、脂肪を燃焼し、備蓄してあった大事な脂肪を減らしていった。

えっ、いったい、いつまで脂肪を減らすんですか? こちとら、これから脂肪を溜めるんですぜ。いつまでこんなバカなことを続けるんです? 小麦粉をください! 炭水化物をもっとください! 脂肪が減っていくぅ~!

減量途上で、私の体は幾度となく抵抗を試み、脂肪が減っていくことへの警戒を強めていったように思われます。そして、ついに、減量に成功した時、バラ色に喜んでいた私の「心」とは逆に、「体」は絶望のおたげびを上げていたのでした。

あー、もう、ダメだ! こんなんじゃ、私は私の人生を歩んでいくことができない! こんなに脂肪が減って。これ以上脂肪が作れない人生なんて! あー、死んでやる! もう生きていくことができないっ。死んでやるっ!

思えば、マックスで減量に成功した2015年に、私の体のレジスタンス闘志たちは、必死の覚悟で地下に潜り、レジスタンス運動を開始したのでしょう。

それがどんな作戦をとったのか、おそらく近代科学の知見をもっても、解明されないでしょう。

私の「体」は、私の「心」の命令に背いて、脂肪を減らすことをやめました。代謝をぐんと落として、食物が供給されれば、すばやくそれを脂肪として蓄え、決して手放すことをしません。どんなに筋トレしても、どんなに有酸素運動をしても、決して脂肪を減らしません。

レジスタンス闘志たちは、苦しい時の経験を糧に、いかなる状況も乗り越えるすべを手にしたようです。供給量が減らされても、決して備蓄を減らすことなく耐え忍び、たまに供給量が増える時は、全身全霊、脂肪の備蓄に努めました。

そして、2017年末の「小豆島バイキング料理の乱」で一気呵成に態勢をたて直し、ついに、生来のライフコースに記されてあった体重&体形を、勝ち取ったのでありました。

2018年1月、レジスタンス闘志たちが勝利したことを、ここにお伝えしたいと思います。

私は私のままでありたい!

・‥…━━━☆・‥…━━━☆

勝利宣言に喜ぶ「体」に対して、「心」はげんなり、です。

これまでの人生が走馬灯のように、思い浮かばれます。

結婚当初、ダンナと一緒にでかけたスーパーで、小学校以来の同級生にばったり出会った時の事。

「あっ、コモ!? わー、お久しぶり! えっ? ダンナさん? わー、おめでとう! 私は結婚して、それから、子どもができて、うんぬんで、かんぬんで。 あれ、(と、視線をやや下に向けて)、おめでた?」

「・・・。」

あー、そんな二十数年前のことが、思い起こされます。

私はあの時、どんな腹をしていたのでしょうか。

(言うまでもありませんが、私が本当に「おめでた」になったのは、その十年ほどあとのことです)

現在の私に、「おめでた?」と言うような人はいないと思いますが、そう言われてもおかしくはない状況が戻ってきました。そう言えば、私は昔から、脂肪体質だった。特に腹回りが。

そんなことを思って、ちょっと「心」が納得しかけるのですが、いやいや! 一体あの減量作戦はなんだったのか? あのダイエットの日々はなんだったのか!? 「心」がどうにも納得しません。

今度は、「心」のレジスタンス闘志たちが立ち上がりました。

減量によって、「体」は代謝を抑えるすべを身につけた。ただでさえ、加齢とともに代謝が落ちる。それなら、代謝を助けてやればいいのではないか!

こうして、世の中に「代謝を高めましょう!」というスローガンが氾濫することになるのですね。

私の「心」を捉えたスローガンは、

<食事の糖・脂肪の吸収を抑えます>

Calolimit_3
<日常活動時のエネルギー代謝において、脂肪を代謝する力を高めます>

1日4粒で代謝が高まるなら、喜んでっ!

・‥…━━━☆・‥…━━━☆

しかしまぁ、これが1袋2800円もする代物でさぁ、だんな。

しかし! メルカリでは、これが2000円くらいで出品されてるとくれば、封印してあった「メルカリ中毒」も炸裂しようってもんです。

気が付けば、『大人のカロリミット』がどしどしと送られてきて、「心」はようやく落ち着きを取り戻すのでありました。


20180131

どんだけー!

これはむしろ、「心の飢餓状態」と呼ぶべき状態かもしれませんね。

いやいや、そんな憐憫に浸っている場合ではないのです。

「心」と「体」の闘いは、今後もしばらく続くことでしょう。

つづく。

2017年12月31日 (日)

初めて乗ったフェリー

はじめまして、カムリです。

こちらのご主人に買われて、もうすぐ5年。

「カムリくん、カムリくん」と、家族同然にかわいがられ、毎日ご主人を大学に送るために、高速道路を走っています。

そんなボクも、たまには休みたい! ということで、冬休みの旅行に連れて行ってもらいました。

「連れて行ってもらいました」と言っても、結局ボクが連れて行くんじゃん! と言いたいところでしたが、なんと! 今回は、生れてはじめて! 船に乗せてもらいました。イェーィッ!

人を乗せることしか知らなかったボクが、人に乗せてもらうなんて。

生れたばかりの頃は、トレーラーに乗ってディーラー店まで行ったそうなんだんけど、そんな時のことは覚えてないよね。

今回は、フェリーってやつに乗ったんだ。姫路から小豆島までの1時間40分の旅。カンゲキしたなぁ。

20171229

upwardright 七海嬢とフェリー乗船記念!

船に乗ったら、ご主人たちは出て行った。ボクは一人でずっとコーフンしてたよ。回りのお友達にも挨拶して、どこから来たんですか? どこ行くんですか? っていろいろ聞いたけど、みんなわりと冷めてて、「小豆島に住んでるから、こんなのいつものことだよ」って言って、すぐに寝ちゃってた。

小豆島はちっちゃな島だと思っていたら、意外と高い山があってびっくりしたよ。ご主人たちはロープウェイに乗って、山頂まで行ったりして。さすがにロープウェイにも乗せてくれとは言えず、下から眺めて待っていたよ。

「オリビアン」っていうホテルはお客さんでいっぱい。車もいっぱい。いろんなところから来たお友達といっしょに駐車場でパーティーさ。オリーブオイルがぶ飲みパーティーさっ。瀬戸内海が見えて、眺めのいい駐車場だったよ。

お客さんたちもインバウンドいっぱい。スタッフにも外国の人がいたらしいよ。フィリピンからのスタッフは愛想がよくて、七海嬢は楽しかったって。

20171228

upwardright 「オリビアン」のフィリピン人スタッフと記念撮影

ご主人は、バイキング料理がとってもおいしかった! って。 あわびや刺身やオリーブやステーキやうどんや寿司や、おいしいものばかり、食べまくってた。 ありゃぁ、2キロは太ったね。

フェリーにはもう一回乗ったんだ。今度は、小豆島から岡山。これは1時間10分で、ちょっと短かった。やっぱり、回りのお友達は慣れた感じで、中には、車から降りないで、車に乗ったまま寝ていたご主人もいたなぁ。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆

岡山からはもう、ひたすらボクの独壇場さ。

ちょっと西進して、尾道にも寄ってあげたよ。

尾道にもロープウェイがあってびっくりさ。もちろん、下から眺めてただけだけど。あんな急な坂道のところに、あんなに家が建っているなんて、感心したよ。

それから、尾道のあちこちで、行列をみたよ。店に入るのに行列ができているんだ。何の店かと思ったら、尾道ラーメンの店だってさ。寒風の中、ごくろうさんなことだよ。

ご主人は、ラーメンには見向きもせず、牡蠣の店を見つけて、ひたすら牡蠣を食べてたよ。安いし新鮮なんだって。

ご主人のお友達に、「今度牡蠣を食べたら死ぬ」と医者から言われたアレルギーの人がいるそうで、「そのお友達が本当に気の毒だ、自分がそう言われたら、食べなくても死ぬ」ってご主人、おおげさなこと言ってたよ。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆

今年の初めに、総・走行距離 【70000】 キロをマークしたボクですが、

2017_0103ab

帰路の山陽道で 【88888】 キロをマークしました!

コーフンしたご主人が、写真を撮ろうとしましたが、高速走行中のため、ブレブレで数字がちゃんと写っていませんでした(涙)

来年は、総・走行距離、10万キロ超え必至。

いつまでも若々しく、スイスイハイブリッド走行でがんばりたいと思います。

来年も、どうぞよろしくお願いしますワン!
(ご主人に代わって、戌年っぽくご挨拶させていただきました、のカムリより)

«映画『トゥンブクトゥ』とアメリカナイズド・ジャパニーズ

2018年5月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
無料ブログはココログ