2018年3月30日 (金)

2つの卒業式

3月は卒業の月。

毎年こうして卒業式の報告をして、今年で12回目となります。

そして今年は、七海の小学校の卒業式も。

6年前のしょうとく園の卒園式では、思いもかけずに母・号泣という顛末でしたが、→ 「さよなら、しょうとく園」 さすがに小学校の卒業式は、あっさりと見守ることができました。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆

小学校の卒業式というのは、在校生の5年生も含めて、何日も前から練習していて、きっちりと形式的に進められる。

卒業証書授与では、一人一人が順番に立ちあがって進み、所定の5か所の位置で立ち止まる手順になっている。

まずは舞台下で待機。その次に、舞台上手でこちらを向いて立つ。

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upwardright 舞台上手に漠然と立っている七海)

次に名前を呼ばれて、校長先生の前に立つ。卒業証書を受け取って、

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舞台下手に移動して、こちらを向いて立つ。

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upwardright 舞台下手で、次の生徒の名前が呼ばれるまで待つ)

その後、舞台から降りて、また立ち止まる。

この一連の流れで、卒業生一人一人が、長い時間「晴れ舞台」に立つことになり、シャッターチャンス、ビデオチャンスが長くとれることになる。うーん、なかなかうまくできた仕組みです。

そして、一人一人にセリフが割り当てられた「お別れの言葉」があり、5年生からの「さよならの言葉」がある。6年生が歌を歌い、5年生が歌を歌う。対面でやっているので、コール&レスポンス 的な、ちょっと感動的な場面です。

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upwardright 前列真ん中あたりの、一番背が低いのが七海。手前はレスポンス5年生。いや、コール5年生か。)

舞台上で、涙している女の子。別れの寂しさがこみあげているのが分かる。舞台横で涙を拭っている担任の先生。

思わずもらい泣きしそうになるが、ふとみると、きょとんとしている我が子。「卒業の悲しさ」という機微が、たぶん分からない様子。そういう「複雑」な感情には、まだついていけてないんだと思うと、ちょっとした淋しさにおそわれる。

まぁ、でも、うちの子は、普通の子とは違うのだし。

小学校に入学する時は、せめて、ひらがなでも書けるようになってくれたら。せめて、ひとけたの計算くらいができるようになってくれたら。と思っていたのだし。

そう思うと、この6年間の成長は想像以上のものだったし、いじめられたり疎外されたりすることも(たぶん)なく、楽しい小学校生活を送ってくれたと思っている。

七海が支援学級に入って以来、私は、私自身の小学校や中学校の、当時は「養護学級」と呼ばれていたクラスに在籍していた同級生たちのことを、よく思い出した。当時は、今ほど支援も行き届いていなかったし、おとなしい女の子はよく男子にいじめられていた。小学校の頃はそれでも、正義感あふれる女子たちが、いじめっ子に「やめたりぃやぁ!」と抗議していたが、中学校では、そういう関わりももう、あまりなかったように思う。

高校に行ったとしたら、たぶん支援学校に行って、その後、彼らはどうしているんだろうか、と折に触れて思う。たぶん、それは七海の今後の進路や将来のことを不安に思ってのことなのだけど。

40年前と違って、今の小学校や中学校の支援学級の指導は手厚く、普通級の生徒たちとの交流を促してくれたり、他校との交流会などもあって、七海はめいいっぱい充実した小学校生活を送ることができた。

幸いなことに、中学校は小学校の隣にあり、また、うちの小学校一校からの持ち上がりで、環境はさほど大きく変わることがない。こんどは「ひまわり学級」という支援学級でお世話になるが、これからの3年間も、これまでの6年間に劣らぬ「ジェットコースターぶり」が待っているような気がする、母の心情的に。

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たんぽぽ学級の先生方には、ほんとうにお世話になりました。

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大学の4年間もまた、大きな変革&成長の時期です。

この期間の途中では、それこそ「成人」というラインを越えるのだから、それなりに成長してもらわなければならないんだけどね、実際のところ。

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どの段階であっても、人が成長し、卒業して行く姿は、「希望」そのものです。

最近の卒業式では、いつの頃からか、女子は、式典では着物、謝恩会などのパーティでは洋装に着替える風潮に。私のころは、卒業式から謝恩会、そのあとの2次会まで、ずっと振袖着てたけど、それもまた、30年も前の話だから?

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upwardright 「やだぁ~、せんせぃ、パーティでは洋装に着替えるの、当然じゃありません?」


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upwardright 「そうですよ、先生っ。あ、私たち、ブラックフォーマルかぶり!」

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upwardright 
「やっだぁ~、せんせっ、私たちはOG! 同級生の卒業を祝いに来てあげたんですよ♪」

そう、両側の女子二人は、昨年、号泣しながら花束を渡してくれた卒業生。同級生であるS本君(写真真ん中)が、6年目にしてようやくご卒業の運びとなり、それを祝いにかけつけてくれたのでした。

気が付けば、七海が小学校に入学した時に、S本君もご入学。そして、今年・・・。

七海に、「これは、シ じゃなくて ツ!」とイライラしながら教え、「これは、ソみたいに見えるから、書き直し! ン、ね、ン!」と激昂していたように、S本君には、「これ、書き直し! 小論文、ぜんぜん論理的じゃないから!」、「早く修正版を提出して!」と、おこってばかりいたように思います。

そんな七海が、先生方から「ななみちゃんは、ほんとうによくがんばりました。勉強も遊びもいつも一生懸命がんばりました」と褒めてもらったように、私もS本君を褒めたいと思います。「スワヒリ語も、小論文も、卒論も、みんなよりはゆっくりだったけど、S本くんなりに、よくがんばりました」

どう指導していいか分からず、本当に悩んだ時期もありましたが(この私が!)、「教員はなくても、学生は育つ」。それぞれがそれぞれのペースで、必ずや成長していくんだから、こちらは、もっと気長に、おこらないで、ゆっくりと見守っていかなければなりませんね。学生さんも、我が子も。

S本君と我が子の成長&卒業がシンクロした、今年の卒業式でした。

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みんな、ほんとに、ご卒業おめでとう!

2018年2月28日 (水)

Memento Mori

2014年2月16日に、七海の祖母であるところの、ダンナのお母さんが亡くなった。

その時のこと → 「さよなら、ばーば」

あれからちょうど4年となる、2018年2月15日に、その夫であるところの、七海の祖父である、ダンナのお父さんが亡くなった。

享年90。 「大往生」と言っていい人生の終幕だった。ただ、その最後の4年間は、「妻に先立たれた夫」の典型のような人生であり、人生の「消化試合」のような4年間であったようにも、みえる。

義父は、ダンナとダンナのお姉さん、ダンナの叔父であるところの弟夫婦、それに1日に3回訪問してくれるヘルパーさんたちの全力の支えでもって、4年間の自宅での一人暮らしをまっとうした。

臨終に際して、大泣きしてくれたというヘルパーさん。出棺に際して、棺のそばで涙を流していた叔父さん。

お義母さんの時は泣けたけど、お義父さんの時は、申し訳ないけど、の嫁。

昨年、実父を見送った時も、さほど泣くことはなかった。 → 「さよなら&ありがとう、ジージ」

さすがに、慣れた。 
通夜、葬儀の段取りも、だいたい、把握した。 
順番に見送っていく、というのは、こういうことなんだろうなぁ、と思う。

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七海:「天国でばーばと仲良く暮らしてくださいね」

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一番泣けたのは、同僚のT村さんのお母さんが亡くなった時だったかもしれない。2012年の秋、まだ70歳という若さと、T村さんとお母さんの結びつきの強さを思うと、それだけで泣けた。

あれから5年余りの間に、いろいろな人を見送った。
T村さんのお父さんも、Y田N子のお母さんも。それから、大学院の時の恩師二人も。

自分たちの両親はまだ健在だなぁ、と思っていると突然に義母が逝き、昨年は実父が旅立ち、今年は義父も逝った

ここによくコメントくれるNoraさまのお父様も、シスターのせぽんのお父様も旅立たれた。

高校時代の恩師や、義兄・義弟の父上といった、やや離れた親戚縁者も入れると、まさに「数え切れない」くらい
の人々が逝ってしまった。

『ぐるナイ』の「ごちになります!」で馴染んでいた大杉漣さんの訃報にも驚かされた。

まさに、Memento Mori. ー 死を想え。

これは、自分の死について、いつも覚悟しておかなければならないという意味らしいが、今はまだ、「見送る側」の心構えのように思ってしまう。

誰がいつ、突然亡くなっても、おかしくないのだ、覚悟しておけ、と。

そう思うと、ほぼ「寿命をまっとうした」くらいの年齢で亡くなるのは、幸せなことだと思える。「まだもう少し寿命があるはずなのに」というのは、悲しい。「昨日まで、元気だったのに」というのは、もっと悲しい。

それもこれも、みんな、残された側の感情だ。亡くなる人の無念や思いは、どのようなものだろうか。

自分が死ぬ時に、何を思うのか。

Memento Mori.

いつ死んでもいいように、日々心がけて過ごし、死んだあとのことも考えて、身の回りを整理しておき、通帳や印鑑など、何がどこにあるかも、残された人が分かるようにしておき、・・・、などといった境地には、まだまだ立てませんけどね。

そんな整理をし始めると、まるで、明日にでも自分が死にそうな気がして、いやだしなぁ。

こうして、いろいろな人を見送りながら、自分の番を待つことになるんだろうけど、それでも、いまわの際まで、自分は死なない、と思いながら、過ごすんだろうなぁ。

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あっ、そうだ。

私のハンドルネーム(というほどのものでもありませんが)、K森 Junko あらため、M.森 Junko にしたいと思
います。

これからは、こちらでは、「M.森さん」と呼んでください。(ピリオドも意識しつつ)

そして、数年がたったころ、初めてこちらを訪問してくださった方が、「あれ、K森さんなのに、どうして、M.森さんって、呼ばれているんだろう (しかも、ピリオド付き)」 と気づいた時に、「M.」が何の略なのか、そっと教えてあげてください。

きっと、その深さに驚愕することでしょう。

(って、せんか。)

2018年1月31日 (水)

私は私のままでありたい

2018年になっての初投稿。今年もよろしくお願いします、という挨拶に引き続き、お伝えしなければならないのは、残念なお知らせです。

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2014年1月、体脂肪も測れるタニタの体重計を買い、「レコーディング・ダイエット」を始める決意を表明しました。 → 
2014年1月「1年の計」

そして、2015年1月、1年間にわたる試行錯誤の末に、ついに10キロの減量に成功したことを、高らかにお知らせしました。 → 2015年1月「1年の計:ミッション・コンプリート、の巻」

しかし、その後、体調がダダ下がり。「大殺界」にダイエットというのは、まったく星回りが悪かったようで、体重を5キロ戻して、ようやく落ち着きました。
その顛末はこちら → 
2017年1月「新しい酉年のはじまり」

そして、2018年1月、気が付けば体重はさらに5キロ増え、2014年の振り出しに戻った、と思う間もなく、その後も増え続け、現在、人生初の体重を更新し続けております。そんなご報告のための、本日の記事でございます。

なんて日だっ!

何がまちがっていたのか。10キロ減って、5キロ戻ったところで、止めておきたかった。減量時と同じ食事を続けていて、特に暴食に走っているわけではありません。

なのになぜ!?

一般的に、これを「リバウンド」と呼ぶのでしょうか。そうすると、私にとっての「リバウンド」とは、私の体が、私の命令に従うことをやめ、本来の「自分」を取り戻そうとする、壮絶な「レジスタンス運動」ということができましょう。

レジスタンス運動のスローガンは、「私は私のままでありたい」!

そう、私の体は、40代になると脂肪をため込み始め、50代では筋力の衰えに乗じて代謝を落とし、さらに脂肪をためこむ。いわゆる「中年太り」と呼ばれる、典型的な中年の体形を作り上げていく、そういう風に、生れた時からプログラムされていたように思われます。

2014年までは、順調にそのプログラムにそって歩んできた。(太ってきた、ともいえる。)

ところが、ダイエットによって、順調に歩んできた道を、突然断たれたようなものだったのでしょう。

えっ!? これから脂肪をためこもうという時期に、肝心の炭水化物が供給されない!? えっ、なぜに小麦粉が体に入ってこない!? (←体の叫び)

あんなに好きだった菓子パンはどうした? うどんやスパゲティはどうした?

うろたえる体は、それでもせっせと供給されるたんぱく質と筋トレで筋肉を作り、脂肪を燃焼し、備蓄してあった大事な脂肪を減らしていった。

えっ、いったい、いつまで脂肪を減らすんですか? こちとら、これから脂肪を溜めるんですぜ。いつまでこんなバカなことを続けるんです? 小麦粉をください! 炭水化物をもっとください! 脂肪が減っていくぅ~!

減量途上で、私の体は幾度となく抵抗を試み、脂肪が減っていくことへの警戒を強めていったように思われます。そして、ついに、減量に成功した時、バラ色に喜んでいた私の「心」とは逆に、「体」は絶望のおたげびを上げていたのでした。

あー、もう、ダメだ! こんなんじゃ、私は私の人生を歩んでいくことができない! こんなに脂肪が減って。これ以上脂肪が作れない人生なんて! あー、死んでやる! もう生きていくことができないっ。死んでやるっ!

思えば、マックスで減量に成功した2015年に、私の体のレジスタンス闘志たちは、必死の覚悟で地下に潜り、レジスタンス運動を開始したのでしょう。

それがどんな作戦をとったのか、おそらく近代科学の知見をもっても、解明されないでしょう。

私の「体」は、私の「心」の命令に背いて、脂肪を減らすことをやめました。代謝をぐんと落として、食物が供給されれば、すばやくそれを脂肪として蓄え、決して手放すことをしません。どんなに筋トレしても、どんなに有酸素運動をしても、決して脂肪を減らしません。

レジスタンス闘志たちは、苦しい時の経験を糧に、いかなる状況も乗り越えるすべを手にしたようです。供給量が減らされても、決して備蓄を減らすことなく耐え忍び、たまに供給量が増える時は、全身全霊、脂肪の備蓄に努めました。

そして、2017年末の「小豆島バイキング料理の乱」で一気呵成に態勢をたて直し、ついに、生来のライフコースに記されてあった体重&体形を、勝ち取ったのでありました。

2018年1月、レジスタンス闘志たちが勝利したことを、ここにお伝えしたいと思います。

私は私のままでありたい!

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勝利宣言に喜ぶ「体」に対して、「心」はげんなり、です。

これまでの人生が走馬灯のように、思い浮かばれます。

結婚当初、ダンナと一緒にでかけたスーパーで、小学校以来の同級生にばったり出会った時の事。

「あっ、コモ!? わー、お久しぶり! えっ? ダンナさん? わー、おめでとう! 私は結婚して、それから、子どもができて、うんぬんで、かんぬんで。 あれ、(と、視線をやや下に向けて)、おめでた?」

「・・・。」

あー、そんな二十数年前のことが、思い起こされます。

私はあの時、どんな腹をしていたのでしょうか。

(言うまでもありませんが、私が本当に「おめでた」になったのは、その十年ほどあとのことです)

現在の私に、「おめでた?」と言うような人はいないと思いますが、そう言われてもおかしくはない状況が戻ってきました。そう言えば、私は昔から、脂肪体質だった。特に腹回りが。

そんなことを思って、ちょっと「心」が納得しかけるのですが、いやいや! 一体あの減量作戦はなんだったのか? あのダイエットの日々はなんだったのか!? 「心」がどうにも納得しません。

今度は、「心」のレジスタンス闘志たちが立ち上がりました。

減量によって、「体」は代謝を抑えるすべを身につけた。ただでさえ、加齢とともに代謝が落ちる。それなら、代謝を助けてやればいいのではないか!

こうして、世の中に「代謝を高めましょう!」というスローガンが氾濫することになるのですね。

私の「心」を捉えたスローガンは、

<食事の糖・脂肪の吸収を抑えます>

Calolimit_3
<日常活動時のエネルギー代謝において、脂肪を代謝する力を高めます>

1日4粒で代謝が高まるなら、喜んでっ!

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しかしまぁ、これが1袋2800円もする代物でさぁ、だんな。

しかし! メルカリでは、これが2000円くらいで出品されてるとくれば、封印してあった「メルカリ中毒」も炸裂しようってもんです。

気が付けば、『大人のカロリミット』がどしどしと送られてきて、「心」はようやく落ち着きを取り戻すのでありました。


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どんだけー!

これはむしろ、「心の飢餓状態」と呼ぶべき状態かもしれませんね。

いやいや、そんな憐憫に浸っている場合ではないのです。

「心」と「体」の闘いは、今後もしばらく続くことでしょう。

つづく。

2017年12月31日 (日)

初めて乗ったフェリー

はじめまして、カムリです。

こちらのご主人に買われて、もうすぐ5年。

「カムリくん、カムリくん」と、家族同然にかわいがられ、毎日ご主人を大学に送るために、高速道路を走っています。

そんなボクも、たまには休みたい! ということで、冬休みの旅行に連れて行ってもらいました。

「連れて行ってもらいました」と言っても、結局ボクが連れて行くんじゃん! と言いたいところでしたが、なんと! 今回は、生れてはじめて! 船に乗せてもらいました。イェーィッ!

人を乗せることしか知らなかったボクが、人に乗せてもらうなんて。

生れたばかりの頃は、トレーラーに乗ってディーラー店まで行ったそうなんだんけど、そんな時のことは覚えてないよね。

今回は、フェリーってやつに乗ったんだ。姫路から小豆島までの1時間40分の旅。カンゲキしたなぁ。

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upwardright 七海嬢とフェリー乗船記念!

船に乗ったら、ご主人たちは出て行った。ボクは一人でずっとコーフンしてたよ。回りのお友達にも挨拶して、どこから来たんですか? どこ行くんですか? っていろいろ聞いたけど、みんなわりと冷めてて、「小豆島に住んでるから、こんなのいつものことだよ」って言って、すぐに寝ちゃってた。

小豆島はちっちゃな島だと思っていたら、意外と高い山があってびっくりしたよ。ご主人たちはロープウェイに乗って、山頂まで行ったりして。さすがにロープウェイにも乗せてくれとは言えず、下から眺めて待っていたよ。

「オリビアン」っていうホテルはお客さんでいっぱい。車もいっぱい。いろんなところから来たお友達といっしょに駐車場でパーティーさ。オリーブオイルがぶ飲みパーティーさっ。瀬戸内海が見えて、眺めのいい駐車場だったよ。

お客さんたちもインバウンドいっぱい。スタッフにも外国の人がいたらしいよ。フィリピンからのスタッフは愛想がよくて、七海嬢は楽しかったって。

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upwardright 「オリビアン」のフィリピン人スタッフと記念撮影

ご主人は、バイキング料理がとってもおいしかった! って。 あわびや刺身やオリーブやステーキやうどんや寿司や、おいしいものばかり、食べまくってた。 ありゃぁ、2キロは太ったね。

フェリーにはもう一回乗ったんだ。今度は、小豆島から岡山。これは1時間10分で、ちょっと短かった。やっぱり、回りのお友達は慣れた感じで、中には、車から降りないで、車に乗ったまま寝ていたご主人もいたなぁ。

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岡山からはもう、ひたすらボクの独壇場さ。

ちょっと西進して、尾道にも寄ってあげたよ。

尾道にもロープウェイがあってびっくりさ。もちろん、下から眺めてただけだけど。あんな急な坂道のところに、あんなに家が建っているなんて、感心したよ。

それから、尾道のあちこちで、行列をみたよ。店に入るのに行列ができているんだ。何の店かと思ったら、尾道ラーメンの店だってさ。寒風の中、ごくろうさんなことだよ。

ご主人は、ラーメンには見向きもせず、牡蠣の店を見つけて、ひたすら牡蠣を食べてたよ。安いし新鮮なんだって。

ご主人のお友達に、「今度牡蠣を食べたら死ぬ」と医者から言われたアレルギーの人がいるそうで、「そのお友達が本当に気の毒だ、自分がそう言われたら、食べなくても死ぬ」ってご主人、おおげさなこと言ってたよ。

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今年の初めに、総・走行距離 【70000】 キロをマークしたボクですが、

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帰路の山陽道で 【88888】 キロをマークしました!

コーフンしたご主人が、写真を撮ろうとしましたが、高速走行中のため、ブレブレで数字がちゃんと写っていませんでした(涙)

来年は、総・走行距離、10万キロ超え必至。

いつまでも若々しく、スイスイハイブリッド走行でがんばりたいと思います。

来年も、どうぞよろしくお願いしますワン!
(ご主人に代わって、戌年っぽくご挨拶させていただきました、のカムリより)

2017年11月30日 (木)

映画『トゥンブクトゥ』とアメリカナイズド・ジャパニーズ

今年からバンバラ語の授業をやっている。

「西アフリカ諸語演習」という授業科目で、これまでヨルバ語をやってきた。しかし10年間、同じテキストで、「こんにちわ - こんにちわ」、「お元気ですか - はい、元気です」、「お父さんは元気ですか - はい、元気です」という会話を繰り返し続け、ついに飽きた。

それで、今年は意を決して、ナイジェリアのヨルバ語を離れ、西進して、マリのバンバラ語をやることにした。

4年ほど前から独習し始め、自分自身もまだ、初習者の域を出ていないが、ちょうど音声つき会話テキストが手に入ったので、それで一緒に勉強する、というスタイルの授業を始めた。

「一緒に勉強する」というスタイルなので、大変フリー、というか、フランク。それで、受講生の提案で、『トゥンブクトゥ』という映画を、授業で観ることになった。

原題 『Timbuktu』 邦題『禁じられた歌声』
(2014年 フランス・モーリタニア映画)

Poster2

マリの古都トゥンブクトゥが舞台で、イスラム過激派が町を占拠し、歌も禁止、サッカーも禁止と、人々を抑圧的に支配していく話。公開処刑の実話に触発されて作られた映画だそうで、フランスの名だたる映画賞をとっている名作。

主人公たちは「トゥアレグ」という名で知られる砂漠の民で、タマシェク語(アフロアジア語族、ベルベル語群)を話している。過激派はアラビア語やフランス語、時に片言の英語を話している。

トゥンブクトゥの町で商いをする女性はバンバラ語を話し、また、夜に聞こえる歌声もバンバラ語である。

というこの事実のみで、バンバラ語の授業で鑑賞するにふさわしい映画といえましょう。ただ、聞きとれたバンバラ語が 「ne fa so」(我が祖国)と、「jege」(魚)だけというところが、何とも悲しいところではありますが・・・。

名前はよく知っているけど未だ見ぬ町トゥンブクトゥ。その町なみや人々の様子を垣間見ることができ、また、川や砂漠の風景を撮った映像が美しい。青年たちがボールのない「エアーサッカー」に興じる姿は、まさに「叙事詩的」であり、胸を突かれる。

モーリタニア出身でマリにも住んでいたことがある仏在住の監督が撮った映画であり、取り上げられているテーマといい、映像の美しさといい、確かに称賛に値する映画である。

が、しかし。

観終わったあとに、「え、もう、おわり?」、「え、どういうこと?」、「え、あれは誰?」、「え、なんで死んだん?」の、「?」の嵐。

最後のところを巻き戻して見直しても、「だから、あれは、誰やったん?」、「え、何しようとしたん?」という疑問は解消されない。エンドロールが流れたので、止めて終わろうとしたら、「あっ、もしかしたら、エンドロールのあとに、まだちょっと続くんじゃないですか? よくあるドラマみたいに」と言うので、期待して最後まで見たが、それは虚しい作業に終わりました。

つまり、全体的には、「イスラム過激派による理不尽な支配」、「抑圧される人々」というテーマと、美しい映像がちりばめられていて、雰囲気的にはよい映画なんですが、細かい話の筋が見えない。というか、分かりづらい。

映画をみながら話の筋を追い、起承転結を見出そうとし、最後にクライマックスと感動、あるいは衝撃、あるいはカタルシスを求めてしまうのは、そういう映画にどっぷりとつかってきた「さが」でしょうか。

いわゆる、ハリウッド映画的な?

いや、起承転結のない、淡々とした映画でも、どこかに強く感動する場面があれば、カタルシスが得られて納得して見終わるので、少しでも「気持ちを揺さぶってくれ!」みたいな?

お話の筋がはっきりしていて、最後に感動が待っている。そういった映画を無意識に求めているような気がします。そのような映画を「ハリウッド映画」的と呼びましょう。そう、私たちは、アメリカナイズド・ジャパニーズ。

『禁じられた歌声』は日本でも劇場公開されたようで、その予告編を見ることができます。

『禁じられた歌声』予告編

これは、典型的なアメリカナイズド・ジャパニーズが作った、アメリカナイズド・ジャパニーズのための予告編ですね。

この予告編を見ると、映像の美しさが垣間見られます。そして、話の筋が想像されます。曰く;

イスラム過激派に支配されるトゥンブクトゥ。その町にいる少女が主人公らしい。その少女が過激派支配のために、つらい目にあうにちがいない。だって、<愛を知る前に、自由を奪われた> という文字が画面に見えるから。

もしかしたら、彼女のお父さんが過激派に殺されてしまうのかもしれない。お父さんらしき人が「娘の顔が見たい」と言い、少女が「父さんはいつ帰る?」と聞いている場面があるから。

あー、この少女はどうなってしまうんだろう? お父さんは過激派に殺されてしまうんだろうか? あー、なんて、悲しそうな、つらそうな映画なんだろう。

<実話をベースに人間の「赦し」とは何かを描いた、> という文字が見える。あー、つまり、お父さんは赦されるんだろうか。あるいは、過激派が赦されるんだろうか・・・。

というふうに、この予告編からは、お話の筋がおぼろげに見え、映画をみたらきっと、最後のクライマックスや感動を知ることができるだろう、と期待される。

あー、ぜんぜん、ちがいますから!

そんな話の筋じゃないですから!

お父さんは、近所の人との牛をめぐるトラブルに巻き込まれたって話ですから!

<愛を知る前に、自由を奪われた> っていうのは、話の筋にはほとんど関係なく、ましてこの少女とは、ぜんぜん関係ないんだから!

どこに <赦し> の部分があるのか、ぜんぜん見えませんから!

ということで、アメリカナイズド・ジャパニーズによる、アメリカナイズド・ジャパニーズのための、話の筋を作り上げたような予告編が見事に出来上がっている様子を、ここにつぶさに観察することができます。

そして、私自身もまた、この予告編のような筋を期待し、感動を待っていた、ということが、あらためて自覚できたのでありました。

まぁ、ハリウッド映画的な起承転結や感動は期待できないかもしれませんが、それでも、そういうことを含めて、いろいろと考えさせられる、いい映画ではありました。(と、無理矢理まとめた感?)

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ところで、
アメリカナイズド・ジャパニーズといえば、近年目にあまるのが、ハロウィンの狂乱でありましょう。

毎年、仮装した人々が繰り出す渋谷の様子や、今年は、心斎橋筋の様子も、ニュースで見ました。仮装すりゃいいってもんでしょうか。口から血を流している仮装とか、ナースの恰好をしている仮装とか。本家アメリカンもびっくりでしょうが、アメリカナイズド・ジャパニーズの吸収力と改変力には、目を見張るものがあります。

そんな私の授業も、ハロウィンパーティーにジャックされました。

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フリーでフランク、ついでにフレンドリーな、バンバラ語の授業でのことでした。

ちなみに、映画『トゥンブクトゥ』のDVDを借りてきてくれたのは、黒一点の「お兄さま」受講生(写真左)です。もちろん正規の学生さんで、最優秀のフランス語専攻学生です。バンバラ語のテキストのフランス語を訳してくれる頼もしい存在で、お兄さまがいなければ、なりなっていなかったであろうバンバラ語の授業です。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆

さらに、アメリカナイズド・ジャパニーズといえば、急に言い出したのが、「ブラック・フライデー」。

「バレンタインデー」の例に漏れず、商戦に結び付けて異文化を取り込む吸収力の強靭さは、アメリカナイズド・ジャパニーズの本領でしょう。

「なんか、ブラック・フライデーって、言葉がよくないよねぇ。1929年のブラック・サーズデー、1987年のブラック・マンデーに続く、縁起の悪い出来事みたいで」という疑念も、大セールを前に霧消するのでありました。

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upwardright 「わーい、充電式コードレス掃除機、買っちゃおっ。これって、かる~い! 再生シャープを応援だぁ!」

長年、ダイソンのコードレス掃除機を、買おうか、買うまいか、迷い続けてきましたが、やはり、ここは、ブリティッシュではなく、ジャパニーズ優先、ということで、こちらを買い求めました。

販売店のお兄ちゃんの、「ダイソンは外車、シャープのは日本車、みたいなもんですかね。アフターケアの面を考えると・・・」という説明に納得したわけですが、ダイソンのは、若干重いような気がして。

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upwardright 「ついでに、寝室用の小型オイルヒーター、いかがですかぁ~?」

「こちら、デロンギですと、13800円。」
「こちら、アイリスオーヤマ製、性能も一緒、消費電力も一緒、長持ち度も一緒で、5480円! さぁ、いかがですかぁ~!」

んー、これは、イタリアン VS ジャパニーズ、というよりは、単に、お値段、安い方に軍配!

こうして、すっかり「ブラック・フライデー」にのっかったアメリカナイズド・ジャパニーズは、まんまと掃除機とオイルヒーターを買って帰ったのでありました。


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