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2011年10月 2日 (日)

諸行無常

引っ越ししてから、2週間ほどたちました。

ほぼ毎日、ニトリ or 百均ショップ or ホームセンター or ジャスコ or 湯川家具 ・・・ に日参し、主に収納用品を買ってきては、新居のあちこちに収納場所を定め、日用品を配置し、さらに配置換えを繰り返している。

カーテンを買ってきては吊り、時計を買ってきては掛け、新しいオフィスチェアーを買ってきては組み立て、リビングの電灯を注文しては取り付けてもらい、念願の、天井まで届く1cmピッチ大収納本棚を注文しては組み立ててもらっている。

引っ越しで一番大変なのは、新居に入ってからの後、物たち一つ一つの新しい居場所を決めてやることだと思い知りました。

サランラップ一つ、ビニール袋一枚まで、その定位置を決めてやらなければならない。回収日まで待つ 「ビン・缶」 や 「プラスチックごみ」 の置き場、不急のカバンの置き場、そして次々と移動しつづける七海のおもちゃたちの置き場など ・・・。

ちらかり放題だった旧居の和室は、主に居場所を定められていなかった七海のおもちゃや日用品が散らばっていたのだが、その反省を生かして、今度こそはちゃんと定位置を決めるぞ、と思っているのですが、どうにも、はかどらない。

新居の和室も結局、七海のおもちゃが 「かたづけ待ち」 の状態でひろがり、大きな箪笥と、クリーニング済みの服が掛けてあるパイプハンガーと、こたつ机が雑然と置いてあり、片づけ方が分からない。

見た目にも、機能的にも 「最適」 の片づけ方と配置方法があると思うのだが、私のセンスでは、なかなかその 「最適」 にたどりつかない。こういう時に、片づけ上手の 「カリスマ主婦」 とか、片づけコンサルタントとかの助言があればなぁ、と思うのですが ・・・。

20110920一番後回しになっているのは、私の書斎。

とりあえず、机とパソコンの場所を確保し、ネットにつないで、仕事だけは再開している。

あとは大量の段ボール箱から、本や書類を取り出して、再配置するだけだが、それがどうにも、はかどらない。

というか、不思議なことに、このがらんとした空間で妙に落ち着いてしまっている。

何もない書棚。 何も貼られていない壁。

旧居の書斎の壁は、エゴンシーレの絵とか、ミュシャのポスターとか、アフリカのバティックとか、たくさんの絵葉書を貼りつけた壁掛けとか、そして大量の七海の記念写真で一面埋めつくされていて、毎日それらを眺めては、めでていた。 引っ越し前日、断腸の思いでそれらを取り外しながら、「新しい書斎に行っても、すぐに全部、同じ場所に、同じように貼るからね!」 と固く心を決めていた。

それが、どうしたことでしょう。

引っ越ししてきて以来、それらの物たちを、貼るどころか、箱の中から探して取り出そうという気にも、ならない。

あれだけ愛して、一時の別れさえ惜しんでいたというのに!

旧居の書斎の本棚には、厳選されたアフリカ系 & 言語学系の本が並んでいて、やはり、毎日それらの背表紙を眺めては、めでていた。 「私の知的興味・関心は、すべてこの本棚が具現化してくれている!」 と、これまた愛して止まない本棚の姿だった。 「すぐに同じように並べるからね!」  と、厳選書は、段ボール箱に詰められた後、<急ぎの品> 印の黄色テープで封印された。

ところが、どうしたことでしょう。

「台所やリビングみたいな生活空間の準備が先だからね」 と、厳選書たちは、自分たちの番が回ってくるまで、しばらく段ボール箱の中で眠っていたが、ようやく段ボール箱のふたが開いて光があたったかと思うと、またすぐにパタンとふたが閉まってしまった。

「とりあえず並べる場所が決まるまで、ね」 ということで、取り出しを一時保留したわけだが、実際のところは、旧居では燦然と輝いていた本たちが、段ボール箱の中では、死んだ魚のように見えて、思わず取り出す気が失せた、というところでしょうか。

これは一体、どういうことでしょう。

<執着心> という言葉で表せばいいでしょうか。<執着心> がポロっと心から剥がれ落ちて、無くなった間隙。

「これがなきゃ、生きていけない!」 とまで思っていたものが無くなっても、生きていけることに気づいた身軽さ、と言いましょうか ・・・。

物に執着していることにさえ気付かず日常生活を送ってきた。 そして、しばらくの後にはまた、新居での生活が日常生活となるうちに、新たな <執着心> という埃がたまっていくことでしょう。

壁を飾り、本を並べることを躊躇するのは、新たな <執着心> にまみれる日常生活へのためらいのような気もする。

ひとときの 「非日常」 的感覚の中で、人にとって本当に必要なものとは何か。 本当に大切なものとは何か。 無くてはならないものとは何か。 ということに、思いを巡らすのでした。

  ・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

このブログに、たまにコメントをくれている <まるりん> さんのダンナさんが、8月の末にくも膜下出血で倒れて、それから3週間ほどして亡くなられた。小学3年生の一人息子さんを残して。

息子さんは、七海と同じように成長ホルモンの注射をしていて、そんな縁で、私も親しくブログを拝見させてもらっていたのだけれど、ある日の記事で突然、ダンナさんが倒れて入院されたことが分かり、それから2つの記事を経て、お葬式の様子が知らされた。

たぶん、あまり私達と年齢も違わない方が、そのように突然に倒れて亡くなってしまうということが、信じられなかった。 人生にそんなことがほんとうに、起こってしまうなんて ・・・。

「本当に大切なものとは何か」 ということに思いを巡らせていた時期にシンクロするように、まるりんさんの悲しみや喪失感に、思いを馳せていた。ずっと、人生の 「無常」 というものに、思いを馳せている。

ダンナさんのお葬式のあとしばらくして、息子さんが9歳の誕生日を迎えられたそうです。今年に限って、ダンナさんは1ヵ月半も前から誕生日プレゼントを用意されていたようで、会社のロッカーから息子さんへの誕生日プレゼントが見つかったそうです。

まるりんさん、コタくんがとうさんから、最後の誕生日プレゼントをもらうことができて、よかったですね。 きっとこれからもずっと、コタくんのことを見守り続けてくれるんですよね。

心からご冥福を、そして、「幽霊になって」 まるりんさんと話をしにきてくれることを、心から祈っています。

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コメント

ご新居に落ち着かれたことおめでとうございます.日頃使うもろもろのものの置き場所が決まるまでのこと,なかなか大変なものです.お察しします.
天井までの本棚,いいですねえ.私も引っ越しを機に備えたのですけれど,もうあふれてます(笑).

はじめに、まるりんさんの旦那様のご冥福をお祈りします。そして、コタくんが元気に成長なさいますように。きっとお父さんが見守ってくれますね。

お引越しは「断捨離」のまたとない絶好の機会だろうと思いますが、とはいえ新しいおうちには新しいものも置きたいし、昔なじみのものへの愛情も断ち難いし…よく分かります。身軽になりたい、と思う一方で、バッサリと捨てきれないんですよね…。こういうことを言っては不謹慎かもしれませんが、TVで時々紹介される、最低限の衣類や調理器具しか持たずに小さな小屋で生活している、「貧困国」といわれるような国の人たちの身軽さが、なぜか羨ましく思える時があります。私の部屋にある多くの持ち物は、その命を全うすることなくタンスや棚に眠っています。例えば、ワンシーズンに1,2度しか袖を通さない服がたくさんあります。一度しか読んでいない本、またはまだ完読していない本がたくさんあります。一方、「貧しい」と言われる国の子供が、例えばシャツを2枚しか持っていないとすると、その子のシャツは、あちこちが擦り切れ破れ、洗っても落ちないほど汚れてしまっているかもしれないけど、そのシャツは、そのシャツを作るためにかかった手間(工程・時間)や原材料に十分に値するだけ使われている訳ですよね。シャツとして生まれて、それだけ使われて役に立てば、シャツ冥利(!?)に尽きることでしょう。
私ももう人生の折り返し地点に到達しましたので、これからは物を増やさないよう、そして私の死後に周囲の人たちに遺品処理の迷惑をかけないよう、断捨離に励みたいと思います。経済活性化には貢献できなくなりますがsweat01

three ねんせいさま

> 日頃使うもろもろのものの置き場所が決まるまでのこと,なかなか
> 大変なものです.お察しします.

ありがとうございます。
「旧居の場所と同じように配置すればいい」 と簡単に考えていましたが、やっぱり、
間取りも寸法もちがうし、それに、以前の生活で使いづらかった点や、機能的でなかった点について改善を加えようとすると、「最適」 の状態にもっていくまでには、やはり時間がかかりますね sweat01

> 天井までの本棚,いいですねえ.私も引っ越しを機に備えたのですけれど,
> もうあふれてます(笑).

もうあふれていますか!
書籍の威力は恐るべし、ですね。
しかし、そう聞くとますます、「これが一杯になってしまったら、どうしよう」
という心配が募り、恐くてなかなか本が並べられません・・・ sweat02

って、「いつになったら、片づけ終わるねんっ!」 と自分にツッコミつつ・・run


sports のせぽんさま


> お引越しは「断捨離」のまたとない絶好の機会だろうと思います

まさに、その通りでございました。
旧居では、「あー、もう、このワンピース、絶対に着ないなぁ~」 と分かっていても、
せっかくクローゼットにかかっているのだから、わざわざ今すぐ取り出して、処分することもないか・・・、まっ、いつかね・・・。 なんて思っていましたからね。

それが、強制的に、「要る・要らない」 を迫られて、処分する機会が与えられるわけですから、まぁ、そういう意味では、引っ越しも悪くなかったなぁ、と思います。

とは言え、その他の大変さを思えば、まぁ、もう二度と、したくはないですけどね・・・。


> 最低限の衣類や調理器具しか持たずに小さな小屋で生活している、「貧困国」と
> いわれるような国の人たちの身軽さが、なぜか羨ましく思える時があります。

これまた、まったくその通りでございますね。
今回、<断捨離> 作業をしつつ、私も、タンザニアのホームステイ先の家のことを、ずっと思っていました。

その家も、まぁ、物がないんですよね・・・。
立派な棚はあったりするんですが、中身がない。
中身があったとしても、誰かれなく持って行ったり、あげてしまったり・・・。
気がつくと、いつも最低限の物しかない状態。
いつも、「自分は物を持ちすぎている!」 ということに気づかされていました。


> 私の部屋にある多くの持ち物は、その命を全うすることなくタンスや棚に眠っています。

これまた、上に同じ、でございますね。
今月号の 『クロワッサン』、 【片づけられない原因は、家の中にあった。】 という文字が表紙にあったのをみつけて、思わず立ち読みしたんですが、その中に、フランス人作家のドミニック・ローホーさんという人のエッセーがあって、「日本人とアメリカ人は過剰に物を持ち過ぎていると思う」というようなことが書かれてあって、「あー、そうなんだろうなぁ」と思いました。

今回、たくさんの物たちとお別れしましたが、それでも、まだまだ、
「所有物」 が多いような気がしています・・・。


> そして私の死後に周囲の人たちに遺品処理の迷惑をかけないよう、
> 断捨離に励みたいと思います。

「死後の遺品処理」!
のせぽんさん、いくら折り返しとは言え、まだまだ 「遺品」 のことなんて、心配しなくていいでしょう coldsweats01 人生は 「折り返し」 というよりは、「これから」 なんだから punch

まぁ、どちらかというと、「新しい自分に出会うための <断捨離> 」 という感じでしょうか。

あー、私も、「新しい自分」 に生まれ変われたらなぁ~ newheart02


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