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2017年2月28日 (火)

逃げる2月

「2月は逃げる」というのは、ことわざか何か?

とにかく今日で2月も終わり。普通なら、あと2、3日あるところなのに、もう今日で2月が終わるかと思うと、焦る焦る。

締め切り迫る業務やら論文やらの積み残し満載。「時間がいくらあっても足りない」と言いたいところだけれど、「時間の有る・無し」の問題ではないことは、よく分かってます。

時間があったらあったで、ダラダラと、先延ばしにしてきましたとも。

いや、よく言えば「試行錯誤して、時間をかけてきました」と言いたいところですが。

そう、こうして、やるべきこと満載の中、ブログの記事を書いているのも、ひとつの「時間のかけかた」ということですね。

こうした選択の積み重ねが、「あー、もう、今日で2月も終わりだぁ!」という、お得感のない2月に対する恨みとなってあらわれてくるのでありましょう。

だからもう二度と、「時間がない!時間が欲しい!焦る焦る!」というようなことを言わないことを、ここに、急に誓います! そう、すべて、自分の選択の結果なんだもんね。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

今日は父の月命日。父が死んでちょうど1ヵ月になる。

これまでに3度ほど父の夢をみた。前回の夢では、父はいつものように饒舌に語っていて、「死ぬっていうのは、超能力でもない限り、分からんもんやなぁ~」と言っていた。聞いている私は、「超能力?」と怪訝に思ったが、あー、父は、あんなに弱っていて死期も近かったけど、自分が死ぬなんて、さらさら思っていなかったんだなぁ、と夢の中で納得した。

あんな風に私の夢の中に出てきて語るのは、父なりの「無念」が残っているからなのかもしれない。

先週末、タンザニアで長年、旅行会社を経営していらっしゃるN本さんの訃報が届いた。突然の心臓疾患で急逝されたとのことで、ただただ驚くばかりだった。タンザニアに縁のある人はみなN本さんに縁があると言ってよく、皆さんの、そしてご家族の驚きやら喪失やらを思うと言葉もない。

そして、まだ60代で突然、この世から去らなければならなくなったご本人の「無念」を思うと、深い悲しみにおそわれる。人間の生死の無常さについて考えさせられる。

「人はいつか必ず死ぬ」というようなことは、頭では分かっていても、心では本当はよく分かっていない。

年を取るにつれて、身近な人が亡くなる機会が増えるにつれて、少しずつ心に染入るように実感していくものなのだろうか。「人が死ぬ」ということの意味を本当に考え始め、徐々にそれが分かっていくものなのだろうか。

そんなことを思いながら、書店の前を歩いているときに、ふと目にした本に惹かれた。

『明日この世を去るとしても、今日の花に水をあげなさい』

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表紙の美しさと題名に惹かれて買い求めた。

順天堂大学の医学部の先生が、がん患者と向き合う中で考えた、まぁ、人生訓というか、生きる上で大切だと思うことが書いてある本で、生死無常の本当の意味を理解するには到底及びませんが、この書名と、1章の題名 「人生の役割をまっとうするまで人は死なない」 という言葉に、心動かされました。(逆に言えば、この書名とこの章題にのみ、価値を見出したわけですが。)

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突然亡くなる人も、きっと人生の役割はまっとうしたのだと、そう思うと、少しは救われる思いがします。

私たちは何のために生れてくるのか。死んでいくとはどういうことなのか。人生でまっとうすべき役割とは何なのか。

いつもなら、さら~っと流してしまいそうな問いも、人の死を身近にすると、しばし立ち止まって考えさせられます。
決して、答えは出ないけれど。

2017年2月 2日 (木)

さよなら&ありがとう、ジージ

七海のジージであるところの私の父が、先週末に亡くなった。

1月28日の土曜日のお昼過ぎ、お昼ご飯を食べ終えて、そろそろ七海をスイミングに連れて行かなきゃ、と思っているところへ、母から電話がかかってきて、わめき声だけが聞こえる電話に、車で2分の実家にとんで行ったら、トイレでこと切れている父親を発見した。

去年の夏ごろから息切れが激しくなり、階段をのぼることができなくなっていた。10月に大学病院へ行くと、「肺繊維症」と診断され、そのまま入院。鼻から酸素を吸入するチューブをつけて退院してきた。それから3カ月足らずで、あっけなく逝ってしまった。

退院してからは、日に日に症状が悪化して、外に出かけることもできなくなり、入浴もできなくなっていたけど、それでも自分で食事をし、トイレに行けるような状態ではあった。27日(金)には、食べたいというので、生協の漬物と紅生姜を買って持って行き、「あんまり、お酒飲んだらあかんよ。はよ寝なあかんよ。」と、体が弱っても不摂生を続けている父をたしなめて帰ったところだった。

28日も父は、いつものように昼前に起きてきて、トーストを食べ、その後トイレに行ったようだった。なかなかトイレから出てこないな、と母が見に行ったら、・・・ということだった。

私とダンナで、トイレから父を運び出していたら救急隊員が来て、心臓マッサージをしながら救急車で運んで行った。病院に着くと腕に点滴のようなものがつけられていたが、シロート目に見ても、もうトイレで絶命していたのには間違いなく、それにもかかわらず、ここまでの処置をするのかと思うと、感心するやら、複雑な思いやら、ではありました。

家で亡くなると、医者に看取ってもらわない限り、「警察沙汰」になる。

病院に警察官が来て、検視のために父を富田林警察署まで運んで行った。私たちが家に戻ると警官が3人来て、あーでもない、こーでもないと「現場検証」。事件性がないことを確かめるためだが、そういうものだと知らなければ、「私たちがお父さんを殺したっていうんですか!」と、間違って逆上しかねないような現場検証であります。去年同じくお父さんを自宅で亡くした同僚のT村さんから話を聞いていたので、逆上せずにすみましたが。

そういうことがよく分かっていない母は、警官に通帳を見せてくれと言われて驚き、出入金の詳細まで聞かれて憤慨し、しかしその挙句に、警官に「あー、もう、夫の介護はほんとうに大変でした。私はもう限界でしたよ!」と愚痴るものだから、聞いているこちらは、内心ヒヤヒヤ。

警官がこちらを向いて、「聞きにくいことですが、お父さんとお母さんは、・・・」と聞いてきた時は、「えっ? 夫婦仲が良かったかどうか!? って聞かれたら、どうしよう!?」と一瞬ギクッとしましたが、質問は、「初婚どうしかどうか」というものでした。まぁ、それはそれで、「だからどうやねん」ってツッコミたくなる質問ではありましたが。

28日(土)は結局、死亡診断書にあたる死体検案書というのが間に合わず、父(の遺体)は警察署で1泊することに。

29日(日)の朝に、葬儀屋さんと一緒に警察署まで遺体を引き取りに行き、父は自宅に「タッチアンドゴー」で、近くの葬儀会場に運ばれて行きました。通夜のあと、父(の遺体)は葬儀会場でさらに1泊。そして、30日(月)に葬儀。こちらが涙を流す間もなく、あっという間に父は、白い骨と灰を残して、天国に行ってしまいました。

感傷的なことが嫌いな父だから、天国へ行く前に、警察署に1泊、葬儀会場に1泊、というのは、なんとも父らしかったなと思います。自宅に1泊だと、母が心細くて私も実家に泊まらなきゃいけないし、それはそれでちょっと面倒だなぁと思うような娘だったので、そういう娘のために、合理的な父が遠慮してくれたような気がする。「わしはかまへんで。どこに泊まっても。もう死んどるんやしなぁ」てな感じで。

自由気ままな父は、入院中も「牢屋に閉じ込められているみたいや!」と病院を嫌がり、集団行動ができない父は、デイサービスに行っても所在なく、「あんなとこにおっても退屈や!」と文句を言い、勝手気ままな父は、デイサービスでの入浴後に飲むんだと言ってビールを持って行こうとして止められ、母には食事の文句ばかり言って疲労困憊させておりました。

そんな父の介護に、母は精神的・体力的に限界状態。だからと言って私が面倒をみることもできないし、施設なんて父が断固拒否でとんでもないし、今はまだ自力で食べたり、トイレに行けるからいいけど、いよいよそれもできなくなったら、どーしたらいいの、私たちっ!?

という状況のところで、「あと10年は、生きなあかんな!」と言っていた父が、朝ごはんを食べ、トイレで用を足して、ポックリと、もとい、心不全で、あっさりと天国へ旅立って行った。

ありがとう、お父さん。こうして、娘がその死に軽口が叩けるくらい、何の後悔も未練もなく、安らかに穏やかに天国に行ってくれて、私たちは心からお父さんに感謝しています。

好きだった漬物と紅生姜は食べてもらえなかったけど、冥途の土産に持って行ってもらうこともできたし、お父さんにしてあげ残したこともないし、お別れは言えなかったけど、感傷的・儀礼的なことが嫌いだから、あらたまってお礼を述べる機会も、生きている間にはなかったはずだから、これでよかったよね。

最後に買い物に連れて行ってあげた時は、お店の車いすに初めて乗って、「あー、情けない、こんなじいさんになってしもて。」と我が身を嘆いていたから、もうこれ以上、嘆くこともなくて、よかった。

いろんな親子の別れの形があるだろうけれど、こんなにもあっさりと涙もないお別れの形とは、あの父とその娘の私らしいお別れの形なんだと思います。

「あぁ、猫の太郎ちゃんが死んだ時は、動物病院で泣き崩れ、三日三晩泣き続けたなぁ」と思うと、ちょっとばかりお父さん、ごめんなさい。

そう思えば、2006年にこのブログを始めてすぐに、太郎ちゃんは天国に行った。そして2017年、このブログを再開してすぐに、父が天国に行った。再開第2報が父の訃報になろうとは、です。

ということで、「このブログを開始・再開すると何かが起きる!」というジンクスができましたので、これからはそのような事態が起きないように、細々と末永く続けていきたいと思います。

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享年82。

昭和一ケタ生まれらしく、気分屋で頑固。「自由がええ。なんでも自由にしたらええ!」と言いながら、娘がアフリカに行くと言ったら怒り、夫婦別姓にしていると知ったら激怒し、その矛盾も自己中心的なところも省みず、生きたいように生きた父でした。がさつで、でも裏表のない性格で、一人でドライブに行くのが好きでした。今は天国への道すがら、いろいろな所を眺めて楽しんでいることでしょう。

娘二人と孫二人を残して、まぁ、上々の人生だったのではないですか、お父さん。 さようなら、そして、ありがとうございました、お父さん。

安らかに眠ってください、とは言いません。天国でも好き勝手に暮らし、たまにはお釈迦様に怒られたりして過ごしてくださいね、お父さん。 そのうち、私たちもそちらに行って、またお目にかかりたく思いますので。

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