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2018年2月28日 (水)

Memento Mori

2014年2月16日に、七海の祖母であるところの、ダンナのお母さんが亡くなった。

その時のこと → 「さよなら、ばーば」

あれからちょうど4年となる、2018年2月15日に、その夫であるところの、七海の祖父である、ダンナのお父さんが亡くなった。

享年90。 「大往生」と言っていい人生の終幕だった。ただ、その最後の4年間は、「妻に先立たれた夫」の典型のような人生であり、人生の「消化試合」のような4年間であったようにも、みえる。

義父は、ダンナとダンナのお姉さん、ダンナの叔父であるところの弟夫婦、それに1日に3回訪問してくれるヘルパーさんたちの全力の支えでもって、4年間の自宅での一人暮らしをまっとうした。

臨終に際して、大泣きしてくれたというヘルパーさん。出棺に際して、棺のそばで涙を流していた叔父さん。

お義母さんの時は泣けたけど、お義父さんの時は、申し訳ないけど、の嫁。

昨年、実父を見送った時も、さほど泣くことはなかった。 → 「さよなら&ありがとう、ジージ」

さすがに、慣れた。 
通夜、葬儀の段取りも、だいたい、把握した。 
順番に見送っていく、というのは、こういうことなんだろうなぁ、と思う。

20180216a

七海:「天国でばーばと仲良く暮らしてくださいね」

・‥…━━━☆・‥…━━━☆

一番泣けたのは、同僚のT村さんのお母さんが亡くなった時だったかもしれない。2012年の秋、まだ70歳という若さと、T村さんとお母さんの結びつきの強さを思うと、それだけで泣けた。

あれから5年余りの間に、いろいろな人を見送った。
T村さんのお父さんも、Y田N子のお母さんも。それから、大学院の時の恩師二人も。

自分たちの両親はまだ健在だなぁ、と思っていると突然に義母が逝き、昨年は実父が旅立ち、今年は義父も逝った

ここによくコメントくれるNoraさまのお父様も、シスターのせぽんのお父様も旅立たれた。

高校時代の恩師や、義兄・義弟の父上といった、やや離れた親戚縁者も入れると、まさに「数え切れない」くらい
の人々が逝ってしまった。

『ぐるナイ』の「ごちになります!」で馴染んでいた大杉漣さんの訃報にも驚かされた。

まさに、Memento Mori. ー 死を想え。

これは、自分の死について、いつも覚悟しておかなければならないという意味らしいが、今はまだ、「見送る側」の心構えのように思ってしまう。

誰がいつ、突然亡くなっても、おかしくないのだ、覚悟しておけ、と。

そう思うと、ほぼ「寿命をまっとうした」くらいの年齢で亡くなるのは、幸せなことだと思える。「まだもう少し寿命があるはずなのに」というのは、悲しい。「昨日まで、元気だったのに」というのは、もっと悲しい。

それもこれも、みんな、残された側の感情だ。亡くなる人の無念や思いは、どのようなものだろうか。

自分が死ぬ時に、何を思うのか。

Memento Mori.

いつ死んでもいいように、日々心がけて過ごし、死んだあとのことも考えて、身の回りを整理しておき、通帳や印鑑など、何がどこにあるかも、残された人が分かるようにしておき、・・・、などといった境地には、まだまだ立てませんけどね。

そんな整理をし始めると、まるで、明日にでも自分が死にそうな気がして、いやだしなぁ。

こうして、いろいろな人を見送りながら、自分の番を待つことになるんだろうけど、それでも、いまわの際まで、自分は死なない、と思いながら、過ごすんだろうなぁ。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆

あっ、そうだ。

私のハンドルネーム(というほどのものでもありませんが)、K森 Junko あらため、M.森 Junko にしたいと思
います。

これからは、こちらでは、「M.森さん」と呼んでください。(ピリオドも意識しつつ)

そして、数年がたったころ、初めてこちらを訪問してくださった方が、「あれ、K森さんなのに、どうして、M.森さんって、呼ばれているんだろう (しかも、ピリオド付き)」 と気づいた時に、「M.」が何の略なのか、そっと教えてあげてください。

きっと、その深さに驚愕することでしょう。

(って、せんか。)

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