書籍・映画

2017年2月28日 (火)

逃げる2月

「2月は逃げる」というのは、ことわざか何か?

とにかく今日で2月も終わり。普通なら、あと2、3日あるところなのに、もう今日で2月が終わるかと思うと、焦る焦る。

締め切り迫る業務やら論文やらの積み残し満載。「時間がいくらあっても足りない」と言いたいところだけれど、「時間の有る・無し」の問題ではないことは、よく分かってます。

時間があったらあったで、ダラダラと、先延ばしにしてきましたとも。

いや、よく言えば「試行錯誤して、時間をかけてきました」と言いたいところですが。

そう、こうして、やるべきこと満載の中、ブログの記事を書いているのも、ひとつの「時間のかけかた」ということですね。

こうした選択の積み重ねが、「あー、もう、今日で2月も終わりだぁ!」という、お得感のない2月に対する恨みとなってあらわれてくるのでありましょう。

だからもう二度と、「時間がない!時間が欲しい!焦る焦る!」というようなことを言わないことを、ここに、急に誓います! そう、すべて、自分の選択の結果なんだもんね。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

今日は父の月命日。父が死んでちょうど1ヵ月になる。

これまでに3度ほど父の夢をみた。前回の夢では、父はいつものように饒舌に語っていて、「死ぬっていうのは、超能力でもない限り、分からんもんやなぁ~」と言っていた。聞いている私は、「超能力?」と怪訝に思ったが、あー、父は、あんなに弱っていて死期も近かったけど、自分が死ぬなんて、さらさら思っていなかったんだなぁ、と夢の中で納得した。

あんな風に私の夢の中に出てきて語るのは、父なりの「無念」が残っているからなのかもしれない。

先週末、タンザニアで長年、旅行会社を経営していらっしゃるN本さんの訃報が届いた。突然の心臓疾患で急逝されたとのことで、ただただ驚くばかりだった。タンザニアに縁のある人はみなN本さんに縁があると言ってよく、皆さんの、そしてご家族の驚きやら喪失やらを思うと言葉もない。

そして、まだ60代で突然、この世から去らなければならなくなったご本人の「無念」を思うと、深い悲しみにおそわれる。人間の生死の無常さについて考えさせられる。

「人はいつか必ず死ぬ」というようなことは、頭では分かっていても、心では本当はよく分かっていない。

年を取るにつれて、身近な人が亡くなる機会が増えるにつれて、少しずつ心に染入るように実感していくものなのだろうか。「人が死ぬ」ということの意味を本当に考え始め、徐々にそれが分かっていくものなのだろうか。

そんなことを思いながら、書店の前を歩いているときに、ふと目にした本に惹かれた。

『明日この世を去るとしても、今日の花に水をあげなさい』

20170228a

表紙の美しさと題名に惹かれて買い求めた。

順天堂大学の医学部の先生が、がん患者と向き合う中で考えた、まぁ、人生訓というか、生きる上で大切だと思うことが書いてある本で、生死無常の本当の意味を理解するには到底及びませんが、この書名と、1章の題名 「人生の役割をまっとうするまで人は死なない」 という言葉に、心動かされました。(逆に言えば、この書名とこの章題にのみ、価値を見出したわけですが。)

20170228b_2

突然亡くなる人も、きっと人生の役割はまっとうしたのだと、そう思うと、少しは救われる思いがします。

私たちは何のために生れてくるのか。死んでいくとはどういうことなのか。人生でまっとうすべき役割とは何なのか。

いつもなら、さら~っと流してしまいそうな問いも、人の死を身近にすると、しばし立ち止まって考えさせられます。
決して、答えは出ないけれど。

2016年4月30日 (土)

『アフターダーク』

七海が退院して1か月。
術後の回復も順調で、5年生になって毎日、元気に登校している。

downwardright 「5年1組になったよ」

20160423a_3


downwardright 頭の上にラバーダック、その上にPLタワーの図@ずれずれだけど!

20160501a_3

こどもは、その日その日をめい一杯生きている、充実して過ごしている、ように見える。小学生くらいまでは、そんな風に過ごしていたのかなぁ~、自分も。

大人の方は、毎日濁流に流されるがごとく、日々の仕事と雑務とルーティンでもう、アップアップである。

あー、ちょっとゆっくり立ち止まりたい。
ゆっくり立ち止まって、ゆっくりものを考えたい。
教える一方のアウトプットではなく、自分の勉強がしたい。

4月からまた新たに共同研究に参加したり、新年度の科研の研究が始まっている。それらの研究に対して、ひとつずつゆっくり考えて、じっくり取り組んでいきたいのだけど、日々の業務と家事に追われて、あっという間の1か月。

ゴールデンウィークに入ってやれやれ一息、と言いたいところだけれど、大してゆっくりできる期間でもない。

普段は、「授業がある」&「七海が家にいない」
連休は、「授業がない」&「七海が家にいる」

これは、総量からすればだいたい同じことで、ゆっくり自分の時間がもてない、ということに変わりはない。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆


そんな日常の中で、ひとときだけ「ゆっくり」できるのは、お風呂から上がって寝るまでの間の、ほんの短い読書の時間。たぶんその時間をもつことで、一日のリセットがなされて、ようやく精神の均衡が保たれているような気がする。

で、現在読んでいるのは、『アフターダーク』@村上春樹

20160430afterdark


全く興味をもてなかった村上春樹だったけど、ブックカフェでたまたま読むことになった 『1Q84』 から、オセロの駒がひっくり返るように、・・・ いや、イメージとしては、ドミノ倒しのドミノが、そこから逆に倒れていくように? 過去の作品へとさかのぼって読むことになってしまっている。

まぁ、それほど 『1Q84』 が私にとってはインパクトの強い作品だったということですが、それに加えて、NHKラジオの 『英語で読む村上春樹』 を聴くに及んで、村上文学に対する理解が深まった、というのもある。

で、『アフターダーク』 というのは、ある深夜から明け方までの間の出来事が書かれている、まぁ、なんとも不思議な中編小説なんですが、この 『アフターダーク』 という題名は、小説の中に出てくる、タカハシという青年が語る、ジャズの曲名から取られている。

タカハシくんは、大学のジャズバンドに入っていて、トロンボーンを吹いているのだけど、なぜトロンボーンを吹くことになったのかというと、

「中学生のときに、中古レコード屋で 『ブルースエット』 っていうジャズのレコードをたまたま買ったんだよ。古い古いLP。どうしてそんなもの買ったのかなあ。思い出せない。ジャズなんてそれまで聴いたこともなかったからさ。でもとにかく、A面の一曲めに 『ファイブスポット・アフターダーク』 っていう曲が入っていて、これがひしひしといいんだ。トロンボーンを吹いてるのがカーティス・フラーだ。初めて聴いたとき、両方の目からうろこがぼろぼろ落ちるような気がしたね。そうだ、これが僕の楽器だって思った。僕とトロンボーン。運命の出会い」 (p.32)

と言う。

ここまで読んだら、『ファイブスポット・アフターダーク』 というのがどんな曲なのか、大変気になる。

それで、YouTube で検索して、「あぁ、聞いたことがあるなぁ」と思うほどの名曲だったということを知るのですが、それ以上に驚かされたのは、そこに書かれてあるコメントの数数でありました。

282あるコメントの、ほぼすべてが 「Murakamiを読んでここへきた」 というもので、ほぼすべてが外国からのコメントなのでした。

「村上春樹は世界中で読まれている」、「村上は世界文学だ」 と言われているのは重々承知しているつもりでいましたが、それをこんな形で、まさに 「目の当たりに」 するとは。

『アフターダーク』 という小説の不思議さと相まって、時空を超えた奇妙な体験でありました。

YouTube: Curtis Fuller - "Five Spot After Dark"

そんなわけで、新緑の光がまぶしいゴールデンウィークですが、ちょっと憂鬱な気分のままに、たぶん過ぎていくであろう予感を残しつつ。

2015年9月29日 (火)

夏休み終わる ~ 『Dear ダニー』 とともに去りぬ

中学の時に読んだ星新一のショートショートの中に、妙に忘れられない作品がある。

うろ覚えだが、ある会社で、何人かの優秀な社員が選ばれて、あるミッションを与えられるというもの。

豪華な別荘地に滞在して、仕事をしないで毎日遊び暮らすというミッション。選ばれたメンバーたちは毎日、贅沢三昧、遊び放題で暮らす。来る日も来る日も遊んで、あらゆる遊びをして過ごすのだが、やがてどんな遊びにも飽きてしまう。月日は流れ、やることが無くなった彼らは、自分たちでとても高度で手の込んだゲームを作り出す。そこで社長が現れて、このゲームの開発こそが彼らに与えられたミッションだったのだと明かされる、というような話だった。

遊び暮らして、あらゆるゲームに飽きた人間こそが、誰も見たことのない新しいゲームを作り出すことができる。暇を持て余すような余裕からしか、新しいものは生まれない。新しい文化も芸術も、遊びのような無駄な時間、非生産的な余剰の時間の中からこそ生み出されるのだ、というようなことを知らされた気がした。

あー、そうなのよ、暇を持て余して、毎日好きなことやって、遊んで遊んで遊び疲れて、それでようやく、新しいオリジナルなものが生れてくるのよ。

という風に、いつのころからか解釈するようになった私は、クリエイティヴな仕事をするには、まず遊ばなければ! → クリエイティヴでない自分は、遊びが足りないのだ! という大変自己好都合的な言い訳ばかりを肥大化させている。

毎日遊べると言えば、夏休み。
あー、それなのに、急に去っていった猛暑のように、今年の夏休みも去ろうとしている。前期の残務を処理し、夏休みの雑務をかたづけ、日々の家事をこなし、七海の相手をしているうちにもう、後期の準備をしなければという時期になり、夏休みが終わろうとしている。あー、ぜんぜん遊び足りないのに。

夏休みにおける私の「遊び」とは何でしょうか。まず、何といっても、映画を見に行くことです。普段はまったく見に行くことができないので、夏休みに見に行きたいだけ見に行きたいのだけど、それがなかなか、タイミングよく好みの映画をやっているわけでなく、しかも今年は「大殺界」の体調不良に覆われて、3本見に行くのがやっとだった。

その中でも一番よかったのは、『Dear ダニー 君へのうた』 という、ちょっとダサ目の邦題がついた映画でしょうか。(原題は "Danny Collins"。まぁ、原題もパッとしませんが。)

実在の英国フォーク歌手が、自分に宛てて書かれたジョン・レノンからの手紙を三十数年ぶりに受け取ったという実話をもとに、というか、その出来事にインスピレーションを受けて作られたという映画である。

166538_01

映画のストーリー自体はフィクションで、スターとしての絶頂期を過ぎた老ロック歌手が、自分に届けられるはずだったジョン・レノンからの手紙を数十年ぶりに受け取ったことによって、これまでの人生を反省し、一度も会ったことない息子に会いに行き、新しい人生を歩み始める、というもの。要所要所にジョン・レノンの曲が流れるのがとても心地よかったが、それ以上に、老ロック歌手を演じたアル・パチーノがしぶかった。

Al_pacino_2

そりゃ、「アラン・ドロンかアル・パチーノか」と言われるくらいカッコよかったのだから、今のアル・パチーノがかっこいいのも当然といえば当然なんでしょうけど、いやぁ、やっぱり、年取ってからのほうが、断然しぶくてカッコいいよなぁ、アル・パチーノ。

Al_pacino_3

これで75歳! 映画のストーリー自体は、ちょっと飛躍があったり練られていなかったりして粗が見えますが、75歳でこのかっこよさ!この色気! という惚れ惚れとした気持ちで満たされる、中年女性に優しい映画でした。

Al_pacino_1

アル・パチーノ、1940年生まれ。 てことは、ジョン・レノンと同い年だった!? と今回、気づいた次第。ジョン・レノンも生きていれば、きっと惚れ惚れとする老歌手になっていたことでしょう。(と、こればっかりは、言っても仕方のないことですが。)

男女問わず、歳をとるにつれ、ますますカッコよくなる、という人はいるものです。

外見の老化、という抗いがたい事実を考慮すれば、それはとりもなおさず、内面のカッコよさ、生き方のしぶさの現れであり、そういう風に私も年をとっていきたい、と思えば、「52歳にして体調さいあくぅ~(涙)、9月もさいあくぅ~(涙)」 と泣き続けている後ろ向きな態度に、少しは喝も入ろうというものでありました。

「アル・パチーノのかっこよさに免じてゆるしてやってください」の夏休みが、こうして終わろうとしています。

『Dear ダニー 君へのうた』 公式HP

2014年9月28日 (日)

映画 『めぐり逢わせのお弁当』 を見て、の秋

去年は、「9月っていうのに、なんでこんなに暑いんだぁ~!」 と叫んでいたような気がするが、今年は、拍子抜けするくらい、あっという間に、秋になってしまった。

「あれ、もう暑くならないの?」 と思っているうちに、9月も終わりそうになり、「しんみり」した気分が満ちてきている。

  ・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

理由その1: 今週から、ついに後期が始まる。

「あー、もう、夏休みが終わる~」 と思うと、焦る気持ちが大波のように押し寄せ、その波がひいた後には、「しんみり」とした気分が残る。次の日にはまた、焦る大波が押し寄せ、そして、静かな「しんみり」が残り・・・、というのを、この1週間ほど繰り返している。

2学期が始まるのを嫌がる小学生みたいじゃん! とも思うが、先日、大学の印刷室で出くわした同じ学部の先生に、「もうすぐ、後期が始まりますねぇ~。あ~、憂鬱ですね~」と言われ、自分が間違っていないことを確信したのが、ほんの少しの救いであった。

  ・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

理由その2: 映画 『めぐり逢わせのお弁当』 を見た余韻が、とても「しんみり」

話題のインド映画を見た。大阪で封切られた直後に見に行ったら、満席で見られず、仕方なく隣で上映されていた『ローマ環状線、めぐりゆく人生たち』という、「めぐり」の部分が一緒だからいいか、と思って見た映画が「意味不明」で、映画を見ながらあれほど寝たことはない、というくらいの爆睡映画だった。そんな無駄を乗り越えてのリベンジ鑑賞でもあったので、まぁ、それだけでも思い入れは強い。

インドのムンバイでの、弁当配達システムが鍵となって生じる男女の淡い恋愛物語、とまとめられましょうか。

Photo_4

ムンバイでは、「ダッバーワーラー」と呼ばれる弁当配達人たちが、各家庭から弁当を集荷して、各職場へ配達するというシステムが確立していて、その様子にまず驚嘆させられる。

マンパワーオンリー。自転車で集めて回り、電車で運び、オフィスの中のそれぞれ机の上にまで、一つ一つ弁当を届けていく。夕方にはそれを回収し、また各家庭に戻しに行くのだ。

バーコードのようなものが付いているわけでもなく、コンピュータで制御されているわけでもなく、人力だけで毎日、何万もの弁当が行き来している。ムンバイの通勤風景の混沌と相まって、その映像に圧倒され、インドの「奥深さ」に畏敬の念すら抱く。

で、誤配率は「600万分の1」と言われている、その弁当が誤って配達され、弁当を介しての手紙のやり取りが始まり、恋心が芽生えていくという、おとぎ話のような映画である。

主人公の女性のダンナは浮気をしているようで、奥さんに関心がなく、冷たい。彼女は離れてしまったダンナの心を取り戻そうと、心をこめた弁当を作っている。

私は、予告編を見た時に、この、「男性の心を取り戻す、あるいは惹くための料理づくり」というところが、とても気になった。

Img_awards01_2

映画の話から離れて申し訳ないが、そもそも、なんで家庭内において女性が料理をすることになっているのか、という疑問がぬぐえないでいる。あらゆるジェンダー的な問題を考えると、それらがすべて構築された制度だとしても、なぜ世界中の、文化も制度もちがうあちこちで、女性が男性に料理を作ることになっているのか。その基盤にあるものは何なのか。

男性でなく女性が子どもを生む、という事実くらいしか、揺るがしがたい事実としては思いつかないが、しかし、そことジェンダー的なもろもろの制度を結びつけるのは、かなり無理があるようにも思う。

ま、いずれにしても、彼女がダンナへの愛情表現として心をこめて弁当を作るのだが、その気持ちは、私にもよく分かる。

女性は男性に料理を作ることを愛情表現ととらえている。少なくとも、「愛している。大切に思っている。」という言葉の代わりか、それ以上のものとして、男性に料理を作っていると思っている、と思う。

あるテレビ番組で、夫婦の愛情表現という話になった時に、心屋仁之助という人が、奥さんが 「何言っているの、私はあなたに毎日ごはんを作ってあげているじゃない」 と言った、という話をしていた。 あー、やっぱり、女性はダンナに料理を作ることを愛情表現としてとらえているんだ、と思った。

しかし、男性の方はどうなんだろうか。もちろん、問われれば、ありがたいと思っていると答えるだろうが、それは 「理屈で考えれば」 というような気がする。どちらかというと 「ママンの愛情」 みたいな。 女性が思うような感じではとらえていないのではないだろうか。

御多分に漏れず、私も、ほとんど無自覚に、愛情表現としてダンナに夕食を作っていたが、同じように働いて帰ってきているのに、手伝いもせずにテレビを見ているダンナに内心ぶち切れ、『夫は犬だと思えばいい』 を読んで溜飲を下げていたが、「男性に料理を作ってあげることを愛情表現としてとらえる」 というのが、女性の幻想なのかもしれない、ダンナのほうは、特に愛情表現としてはとらえていないのかもしれないと思い至り、時間のない忙しい時は、ダンナに夕食を作ることをやめた。

まぁ、しかし、というか、案の定というか、それで特に夫婦関係が悪くなったわけでもなく、多少ダンナの夕食の栄養バランスが気になるくらいで、私のイライラが減った分、円満な気分が増したようにも思う。

  ・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

Img_intro_3というようなことがあったので、夫に心をこめて弁当を作る妻、という初めのところが気になって見始めたのだが、観ているうちに、その部分はもう、どうでもよくなっていった。

まぁ、そりゃぁ、そうなんだが、この映画のメインの部分は、弁当に入れた手紙のやり取りを通して、偶然に知り合った男女が情愛を深めていく、というところで、この二人がどうなるのか、という興味でぐいぐい引きこまれていく。

で、観終わってしばらく経った今でも、この映画を思い出し、しんみりとした余韻に浸っているのだが、一番ステキだった場面は、二人がいよいよ会う約束をしたカフェでのシーンだ。

カフェで離れて座っている二人。女性は男性に気が付かない。大勢いる男性のうち、誰が彼か分からないからだ。一方、男性は女性に気が付いている。しかし、(おそらく自分が思っていたよりもずっと)彼女が若く、美しいのを見て、彼女に声をかけることをやめるのだ。じっと彼女の様子をうかがうだけで、結局声をかけなかった。彼女は、彼が来なかったとあきらめて帰る。

男性は定年間近の初老の男性で、といっても、見た目にはまだ若くてダンディなのだが、彼自身が、自分の老いを自覚する場面がある。

満員の通勤電車で席を譲られるのは、まぁ、よくあることとしても、ひげを剃っている時に、死んだはずの祖父が身の回りにいるような気がしてあたりを見回すが、それが、実は、自分の匂いが祖父を喚起させたのだと気が付いて、自分の老いを自覚する。

自分の老いを自覚するという切ない情景と、若く美しい彼女から身を引くというダンディズムが、しみじみと胸に迫る。

振り向いてくれない夫に尽くそうとがんばっていた彼女も、彼との手紙のやり取りを通して変わっていき、最後は、娘と共に家を出て(おそらく)ブータンへ向かう。女性が、そんな風に、新しい人生を歩み始める姿を見るのは、勇気づけられることである。

しんみりとした気分と、彼女からもらったほんのりとした勇気が心の中で交叉する。

エンディングはあいまいで、はっきりとした結末が示されていないので、こちらに想像の余地が残る。二人がブータンあたりで出会って、幸せな人生を歩んでいく、と想像してもいいし、出会わないまま、でも、お互いにまた、新たな人生を新たな気持ちで歩んでいく、と想像してもいい。

そして、私自身も、映画を見る前とは違って見えるようになった周りの風景に、新たな気持ちで前に進んでいこうと思えるようになったのだ。

 『めぐり逢わせのお弁当』 ← 予告編はこちら

あー、ということは、今週から、大学、大学!

2014年5月30日 (金)

成長する子ども

前回の、カムリくんへの愛・満開の記事に、「カムリという文字は26回も書かれているけど、ななみちゃんは「な」の字も出ていないね」 という主旨のコメントをいただき、あぁ、確かに、七海のことを書かなくなったなぁ、と思った。

写真では相変わらず露出しているななみちゃんですが、それもカムリくんの 「添え物」 的露出にすぎず、愛らしい幼児期における 「見て、見て、私のプリンセス!」 的な露出はもう、望むべくもない。

主観的に見れば、「自分の子どもはかわいい」 に違いありませんが、客観的にみれば、絵的に最も愛らしいのは、2歳くらいから5歳くらいまででしょう。小学生ともなると、我が子であっても、「絵的な愛らしさ」 を感じることはなくなります。

だから、「ほら、ほら、こんなに愛らしい我が子!」 という提示が減ってくるわけですが、その言動においても、幼児期のように、言うことやること何でも愛らしい、というわけにはいかなくなってきます。

去年の11月だったか、七海がポポちゃんの給食袋に書いた 「つ せ と」 という文字列は、「きゅーしょくせっと」 と書いたつもりでした、オーマイガッ、という話を書きましたが、あの辺がもう、ぎりぎりのラインでしょう。

現在小学3年生、絵を見てひらがなを書く宿題で、電話の絵の下に 「れんわ」、窓の下に 「まろ」、キツネの絵に 「ちくね」 と書いていることを、ブログで無邪気に報告することなどもう、はばかられるようになってきました。

「んまっ、ななみちゃん、ダ行がラ行になっちゃって、かわいいんだからっ!」 と、めでている場合ではないだろうし、「KITUNE → TIKUNE。うーむ、子音だけが入れ替わっている見事な事例である」 と、分析している場合でもない。

あるいは、自転車を欲しがったので、補助輪付き18インチの幼児用自転車を買い与えるも、まったくうまく乗りこなすことができず、補助輪付きにも関わらず転倒してしまった、という出来事にいたっては、「笑い」 にするには 「イタ」 すぎて、単に我が子の至らなさを披露するだけになってしまう。

2014_0420a

かと言って、何かができるようになったとか、先生に褒められたとか、というような話も、特段面白いわけでなく、単に 「親ばか」 の披露になるだけなので、ますますもって、ブログにおける七海の露出が減ってくる次第です。

まぁ、考えてみれば、赤ちゃんの頃は、全裸の七海の写真だって、何も気にすることなくブログにアップしていたわけで、あのころの感覚としては、カムリくんと同様、「私の所有物」 感が、とても強かったのだと思われます。

カムリくんはいつまでも私の 「所有物」 で、カムリくんのキリッとした目元や、キュッとした後姿は、いつでも写真に撮ってアップOK! って感じですが、七海はもう、さすがに、そういうわけにもいかなくなってきました。 ま、遅きに失した感はありますが、気持ち的には、これが私の 「子離れ第一段階」 といったところなのでしょうか。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

最近、私のブログをみつけてくれたという、もう何年も会っていない昔の友人からメールがあった。まさに、ネット時代の 「朋あり遠方より来る、また楽しからずや」 の感慨でありますが、その友人が、七海の記事を読んで 「子どもは、いろいろなことを、少しずつ乗り越えてゆくのだ、と信じる以外、親にとっての支えはないですね。」 とメールに書いてくれた。

こんな七海も、いずれちゃんとひらがなが書けるようになり、漢字が書けるようになり、自転車も補助輪なしで乗れるようになり、・・・ ちゃんと成人して、自立していってくれたらと、親としては、願うことしかできないのかもしれない。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

子どもの成長を、親は見守ることしかできない。子どもは自分の力でちゃんと成長していくのだ、ということは、先日見た映画 『世界の果ての通学路』 を見ても感じました。

2014_2

世界の4つの「辺境」の子どもたちの通学風景を描くドキュメンタリー映画で、

ケニア:          片道2時間(草原の中を)
アルゼンチン: 片道1時間半(馬で)
モロッコ:      片道4時間(山を越えて)
インド:        片道1時間15分(車いすを押しながら)

それぞれの学校に向かいます。その通学風景が淡々と描かれているだけで、途中で何か事件が起こるわけでもないのですが、その長い道のりを、ただひたすらに学校に向かっていく子どもたちの姿に、だんだんとじわじわときます。

子どもたちが 「学校に行く」 ということが、いかに貴く、また、希望に満ちたことなのかということが、じわじわと胸に迫ってきます。

最後に、一人一人の子どもたちのインタビューが映るんですが、もう、その言葉がどれも、けなげで、けなげで。 「泣ける」 映画ではないのですが、私は一人で、号泣ですよ、もう。

予告編もあります → 『世界の果ての通学路』

一人泣けて泣けて、涙が止まらなかったのは、年のせい、アーンド、映画を見る前に飲んだランチビールのせい、だったとは思うけどね。

2013年9月27日 (金)

杉田敏先生と沼野充義先生

普通、自分が習った先生の名前を言う時は、「宮本先生」とか「中島先生」というように、苗字だけに「先生」をつけるものだが、常にフルネームに「先生」をつけて呼びたくなるのは、ラジオ講座の先生がたである。

「ハロー、エビリバーディ。すぎたさとしです。」といつも同じ挨拶から始まる 『実践ビジネス英語』。「わたくしは、案内役のぬまのみつよしです。」という挨拶の 『英語で読む村上春樹』。

毎回、律義に、「杉田敏です。」 「沼野充義です。」とフルネームで挨拶してくださるものだから、「杉田敏先生」、「沼野充義先生」でないとしっくりこない。だからと言って、「杉田敏せんせいっ!」とか呼びかけるわけでないし、「昨日さぁ、沼野充義先生がさぁ~、」と、話題にして言うわけでもない。おそらく、決して発音されることはないであろうが、常に「フルネーム+先生」で記憶され、喚起されるのが、ラジオ講座の先生方である。

大した夏休みの思い出もないまま、そろそろ後期の始まりが見えてきた昨今、気持ちを「お勉強モード」へ切り替えるために、今日は「お勉強的」なお話しを。

☆゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

語学関係者には縁の深いNHKのラジオ講座かと思われますが、私もその例にもれず、中学生の頃の「基礎英語」に始まり、言語いろいろ、濃淡いろいろ、折に触れて聞いてきました。

韓国に行くと言えば、ハングル講座を聞き、イタリアを旅行するとなれば、イタリア語講座を聞き、「ハルコス」さまこと榮谷温子先生がアラビア語講座を担当されると聞けば、テキストを買いに走り、いつか西アフリカに行く時のためにフランス語も聞いておこう、中国語もできた方がいいんじゃない? ロシア語も読めた方が・・・、と、「かじる」 だけなら、いろいろとかじってきましたが、まぁ、もちろん、どれも「習得」はできず、ですが。

で、現在は、杉田敏先生と沼野充義先生の講座をヘビーリスニング中。

杉田敏先生の『実践ビジネス英語』は、1987年の『やさしいビジネス英語』から連綿と続いている講座で、途中、別の先生が担当した時期もあったそうだが、20年以上は杉田敏先生が担当している長寿番組である。

まぁ、私は、たいがい「休み、休み」にしか聞いていないが、20年以上も、高いクオリティの番組を作り続けていらっしゃるということに、つくづくと感銘を覚える。

「ビジネス英語」と銘打っているので、アメリカの会社が舞台で、赴任してきた日本人社員がアメリカの同僚たちと英会話を繰り広げるという設定になっているが、その会話のトピックが、「ビジネス」に限らず、現在のアメリカのトレンドや人々の関心を押さえたテーマになっていて、たいへん興味深い。

「雑談力」や「メンター」の話題、同僚がブータンに行ってきたという話から「幸福」についての話題、「中国ブーム」や「サイレント・オークション」、ダイエットやワークライフバランス、会議でのラップトップ禁止の話や職場の去り方、最悪の上司、高齢者の運転免許返上などなど、トピックは多岐にわたり、日本のトレンドにも通じるこれらの話題は、「英語のお勉強」というより、その内容自体が「お勉強」になる。

毎月2つのトピックが用意されていて、テキストには、ダイアログだけでなく、そのトピックについての背景や解説まで書かれていて、よくもまぁ、これだけの内容を毎月毎月、用意し続けられるものだと感心してしまう。その仕事ぶりに、杉田敏先生に対する敬意がいやがおうでも高まる、という次第です。

 201309murakami

それに対して、もう一つの講座『英語で読む村上春樹』は、今年の4月から始まった新しい番組で、これまた英語講座というよりは、その内容を楽しむ番組になっている。

沼野充義先生と言えば、その昔、ロシア語講座をかじった時に講師をされていた先生で、まさかこんな形で「再会」するとは思ってもみませんでしたが、ロシア文学だけでなく、文学全般に造詣が深いことがうかがい知れます。

4月からの半年間は、村上春樹の短編『象の消滅』、10月からの半年は同じく短編の『かえるくん、東京を救う』の朗読を聞きながら、日本語と英語の表現の違いなどについて、沼野充義先生の解説を聞くという番組。

で、翻訳する時の表現の違いや問題などが述べられ、ふむふむ、翻訳にはそんな苦労や問題点があるわけね、と、これまたなかなか興味深いのですが、さらに興味深いのが、テキストの後ろの方に「おまけ」的についている「対談集」です。

作家や翻訳家、評論家や大学教授などが月替わりに登場して、村上文学について対談しているのですが、その内容にいちいち驚かされるというか、刮目させられるというか。

まぁ、私が知らなかっただけで、世の中には村上春樹評論なるものがたくさん出ていて、さまざまな立場や視点から、いろいろな評論がなされているようなんですが、そういうものに全く縁がなかった私にとっては、たまたま読むことになったこれらの評論は、まぁ、なんとも新鮮というか、驚きに満ちているというか。

たとえば、新刊『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』について。 この小説は、多崎つくるが高校時代の親友たち(女子のシロとクロと、男子のアオとアカ)から突然絶交されて絶望し、十数年後に彼らに再会して真相を明らかにしていくという物語。

それを、ある評論者は、この小説は、大学時代の友人である灰田に対するホモセクシャルな愛情関係と、それを排除することをめぐって書かれたテクストであると言っていて、びっくり。シロとクロを混ぜると灰色、つまり、灰田になるでしょ、というところで、じぇじぇじぇ~っ、と目をむいてしまいました。

そうかと思うと、この新刊を「歴史と記憶の問題をモチーフとする作品」と読む評論者は、<色彩を持たない> 多崎つくるは、経済発展と引き換えに固有性を希薄にしていった現代日本を表象していて、レイプされたと主張していたシロは、「その伝統的な衣服の色によって、<朝鮮> を象徴する色でもある」と解釈していて、さらに2倍返しのじぇじぇじぇじぇじぇじぇ~っ! 

そんな風に読むんだ、ブンガクって・・・。

レクサスのショールームと、レクサスセールスマンの着メロばかりに気を取られていた私には、まるで思いもつかない解釈たちで、あらためて文学評論のおもしろさ、というか、おそろしさ? というか、多様さ、などを感じたのでありました。

ほとんど、備忘録的メモで恐縮ですが、その他の作品についての対談でも、いろいろと驚かされることしきり。特に驚いたのは、「無名性」を軸に、夏目漱石と魯迅と村上春樹を論じている評論。

『坊っちゃん』の主人公は姓も名も出てこず、実は「坊っちゃん」とすら呼ばれていない「無名」な人物。『阿Q正伝』の阿Qも、本名が定かでない最下層の農民を代表する人物。評論者は、「阿Q」の原型は「坊っちゃん」にあると言い、それぞれの作品は、無名性の主人公を使って、近代国家への大転換期における中国や日本の国民性への批判を描いているという。

まぁ、そこまでだったら、ふーん、そんな風に解釈するのかぁ~、くらいなんですが、この「無名性」という阿Qの系譜が、村上文学の中では『1Q84』に登場する「牛河」という人物に受け継がれている、というあたりで、じぇじぇじぇっ! そして、それが証拠に、「牛河」を音読みすると「GYUKA」。Gが余分だけど「AKYU」のアナグラムになっているでしょ、だから、「牛河」は「阿Q」なのだ。という説明に至っては、じぇじぇじぇを通り越して、ぎょぎょぎょぎょぎょっ!

そ、そんな風に読むんだ、文学って・・・。

「文学ごころ」のない私でさえ、さすがに「文学」の奥深さを思い知らされた感じで、文学評論や文学研究の意義、というか、それをやっている人々が何を面白いと思って研究しているのかが、ほんの少し分かったような気がしました。

しかし、「牛河」が「阿Q」だなんて・・・。

いや、べつに、あの小説の中で、特に牛河に思い入れがあるわけでもないし、っていうか、『阿Q正伝』も読んだことがないし、まぁ、『1Q84』の中で最も心惹かれる人物は、と聞かれれば、青豆をサポートする超ハードボイルドな「タマル」でしょうか・・・。

と、話が脱線ついでに、『1Q84』に関する評論で「あ痛たたた」と思わされたのは、この小説がポップカルチャー満載の「エンタテーメント」小説であったという評論。

評論者によれば、『1Q84』は、アニメやライトノベルの世界では、「セカイ系」と呼ばれる物語らしく、つまり、主人公の二人が最終的に結ばれることによって、「1Q84」の世界が「1984」の世界に書き換えられる、という構図が「セカイ系」らしく、でもって、ポップカルチャーに位置づけると、この小説はかなりの「流行遅れ」らしい。しかし、「なんで今さら?」の「オウム事件」のモチーフも、エンタテーメントの一要素として読めば、この小説は純粋にエンタテーメント小説として面白い、ということらしい。

私にとって『1Q84』は、村上作品の中で初めて面白いと思ったもので、それまでの作品はどれもピンとこず、「はぁ~?」みたいな感じでしたが、しかし、それは面白いように書いてある「エンタテーメント小説」だからおもしろかったのか、と分かって、なんか、ハメられたというか、思うツボにはまったというか。

セカイ系?の構図が用意され、分かりやすいエンタテーメントの要素が配置され、そして二人が結ばれるまでの、ハラハラドキドキの盛り上がり。まぁ、そんな「エンタテーメント小説」がおもしろくないわけがない、ということで、なんだか、あらためて私の思考回路の単純性が露呈してしまった、という感じなのでした。

ま、いいか・・・。

ということで、「読書の秋」もやってくるので、少しは「文学ごころ」を養いつつ、読書にいそしもうと思う昨今、なのでした。

  ・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

ななみちゃんの近況 ~

ただ今のななみちゃんマイブームは、ポポちゃんのお世話がかり。

20130815a_2

upwardright 誕生日プレゼントに買ってもらったポポちゃんハウスやお洗濯セットなどが、我が書斎をテント村のように占拠中。

20130815b

upwardright 「この洗濯機はゴーゴー音をたてて回るし、持ち運びも便利だよ!」

休日のおでかけ ヘビーローテーションは、イオンモール北花田店のキッズガーデン。

20130825a

upwardright 30分500円で、この囲いの中でいろいろなおもちゃや遊具で遊べる。これの最大の利点は、中に保育士のおねえさんがいて、子どもだけを預けておけること。

さ、ななみ預けて、スタバでまったり、お茶、お茶 cafe

2011年3月20日 (日)

『英国王のスピーチ』

20110320the_kings_speech       
        ☆*:;*☆*:;:*☆

歴史上おそらく最も重大で危機的なこの時に、国内そして海外のすべての国民に、このメッセージを送る。心の垣根を越えて皆の心に等しく届くように、私自身の言葉を語ろう。

        ☆*:;*☆*:;:*☆

この試練の時に、国民には冷静で、堅固で、そして団結していて欲しい。任務は厳しいものになるだろう。暗い日々が待ち受け、戦争はもはや、戦場だけのものではなくなるだろう。

しかし我々にできることは、我々が正しいと信じることを行い、我々の大義を神に厳粛に委ねることのみである。

我々が固い意志をもって大義に忠実であり続け、そのために必要ないかなる奉仕や犠牲もいとわない覚悟でいるなら、神の救いを得て、我々は必ずや勝利するであろう。

神の祝福と御加護が我々とともにあらんことを。

  ・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

あふれてくる涙と、それをぬぐうハンカチで、スクリーンがよく見えない。

最後のクライマックスシーン、英国王ジョージ6世が、国民に向けてラジオ演説する場面である。

スクリーンの中の英国王は、ついにドイツとの会戦が避けられない事態となった1939年9月3日、国民に向けて戦争の開始を告げ、国民を鼓舞する演説をしている。

スクリーンを見ている観客は、2011年3月11日、日本を襲った未曾有の大災害に心を痛めて涙している。

このような倒錯した映画の見方もありだろうか。

どうすることもできないどかしさを抱えて、胸詰まる思いでいるしかない者に、それでもいくばくかの励ましと慰めが与えられるなら、それは映画の役目としては、僅かなりとも 「功績」 があったといえるだろうか。

  ・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

『 <月イチゴロー> で、稲垣くんが 「もう少し期待していた。ストーリーがいいとか、涙するような感動巨編ではなかった」 と言っていたので、残念ながら落選 』 って、言ってなかった!?

まぁ、これが 「あまのじゃく」 の本性というものでしょう。

自分で 「面白くなさそうだから、見ません」 と言った途端、その言葉に自分が縛られて、その挙句に、自分でその縛りから逃げたくなる。「見ないんだもん」 と思えば思うほど、選択はそちらに向かってしまう。悲しい本性ですね。

ということで、まったく期待もせず、稲垣クンが言ってたことを確かめるくらいの気持ちで、アカデミー賞受賞作となった 『英国王のスピーチ』 を見に行った。おそらく、別の時期だったら、予想通りの展開に 「ふーん、なるほどね」 くらいの、稲垣クンと同じような感想をもったことでしょう。

最後の演説シーンも、別に、< 国王がついに吃音症を克服した! > という感動のシーンではなく、まだ克服過程にあって <ややマシ> 程度であり、一緒に克服しようとがんばってきた治療者と共に、大事なスピーチを一つ、乗り越えることができた、という程度のものである。

しかし、観る側の気持ちによって、いかにその受け止め方が違ってくるか、ということを実感させられた経験でした。まさか、最後のジョージ6世のスピーチに、私自身が励まされ、涙してしまうことになろうとは ・・・。

  ・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

戦後最大と言われる大災害の中で、私たちは心を一つにして立ち向かわなければならない。しかし心を一つにしたい私たちは、暖も取れず日々の食事もままならない人たちから、普段と変わらない日常生活を送っている人たちまで、さまざまである。

息詰まる思いでテレビを見つめるしかないのは、関西にいても海外にいても同じである。困難な任務にあたっている人々を称え、励まし、祈るしかない私たちは、それぞれの立場で最大限にできることをするしかない。思いはみな同じである。私たちは常に共にある、と強く念じている。

        ☆*:;*☆*:;:*☆

この試練の時に、私たちは冷静で、堅固で、そして団結していなければならない。任務は厳しいものになるだろう。暗い日々が待ち受け、闘いはもはや、被災地だけのものではなくなるだろう。

しかし私たちにできることは、私たちが正しいと信じることを行い、私たちの平安と未来を神に託すことのみである。

私たちが固い意志をもって私たち自身に忠実であり続け、そのために必要ないかなる奉仕も忍耐もいとわない覚悟でいるなら、神の救いを得て、我々は必ずや勝利するであろう。

神の祝福と御加護が、私たちとともにありますように。

May God bless and keep us all.

2011年3月 7日 (月)

まったり春休みのつれづれ

ようやく3月。

まだ、小雪のちらつく日があって、寒さは相変わらずだけど、でも、2月の時のような 「厳冬感」 が減じているのも確か。

2月の種々の行事&業務が落ち着いて、ようやく <春休み> という気分が盛り上がってきました。

ぶゎんずぅわーい  \(^o^)/

春休みになって一番したいことは、近所のブックカフェで、だらだらまったりお茶しながら本を読むことと、映画を見に行くことです。

あー、こうして書いてみると、なんとささやかな楽しみ。

こういうのって、学生時代には時間つぶしにやっていたようなことなのに、今では、やり繰りしてようやく確保できる貴重な時間となってしまいました。

<2月の受難> を乗り越えた後となれば、その喜びもまた、ひとしおというものです。

  ・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

受難その1: 『ジンクスの降臨』 という題で記事を書こうかと思っていたけれど、去年の 『ジンクスの誕生』 ほどの衝撃でもなかったので、見送られた件。

「えー、またやったのぉ~!?」 と驚かれた方。ずっとブログを読んでいていただいて、ありがとうございます。

その通りでごじゃります。またやっちまいました ・・・。

しかし、去年とは多少様子が違うので、果たしてこれを <ジンクス> と呼んでいいのかどうか、疑問ではあります。

対比させて考察してみましょう。

●去年の事件      ○今年の事件

 卒論試問の後      卒論試問の前
 激昂度 大        激昂度 小
 自損            他損
 マークXの後ろ      トラックの後ろ
 30万円程度        不明
 自腹            保険金

まぁ、いわゆる 「おかま」 ってやつですね。私が突っ込んだ側です、すみません。

大した事故ではなかったんですが ・・・。 試問を翌日に控えた日の出勤途中。 万博外周道路から左折して北上する地点。 信号待ちでわりと長い列ができていた。

信号待ちの間、前のトラックのナンバープレートの数字が目に飛び込んできた。

【1126】

1126g というのは七海が生まれた時の体重である。七海の誕生以来、私は車を運転している時にこの数字のナンバープレートを見ると、目が吸い寄せられるようになる。

この時も、目の前に見えるこのナンバーに目が釘付けになっていたが、なぜかふっと、「あ、写メ撮ろっ」 と思い立ったのでした。

助手席のカバンに手を伸ばし、ケータイを取り出し、「カメラの操作は ・・・」 と思っていると、気がついたら、我がマークXくんが、そのプレートにキスをしていた、というわけです。

大阪でも 「豪雪」 だったバレンタインデイのことでした。

このままそぉ~っと離れたら気づかれないんじゃないか、と思うくらいの衝撃でしたが、前のトラックからは、しっかりとおじさんが降りてきて、後ろに回ってのぞきこみ、「バンパーがまがってるなぁー」 とおっしゃいました。 ひょぉ~。

「いやぁ~、裏からトントンと叩けば、まっすぐになって全然わからないくらいじゃないですぅ~?」 とは、まさか口が裂けても言えず、ひたすら謝っていると、「まっ、バンパーさえ直してくれたらええわ。ちょっと急いどるから、また連絡ちょうだい」 と言って連絡先を交換し、さっさと去っていかれました。

保険会社に電話する段になって、「警察にも届けていない事故に保険金が下りるんだろうか」 という疑問が浮かんだが、電話してみると、そんなことは関係なく、サクサクっと対応してくれ、「では、こちらから先方様にご連絡差し上げて、処理をすすめてまいります。保険金の支払いや今後の保険料などについては、HPにご登録のマイページでご確認ください」 ということで終わった。

早い。 早いぞ、対応、チューリッヒ。

しかしその後、何度もマイページを確認しているのだが、まだずっと <処理中> となっている。 どうなっているんだ、チューリッヒ。

しかも、先日、歩いて近所のジャスコへ行く途中、横断歩道で信号を待っていると、見覚えのあるトラックが目の前を横切っていった。 

ん? 見覚えのある運転手の横顔。 通り過ぎる瞬間にみた 【1126】 のナンバープレート。 ややへこんでいる後ろのバンパー。

えー、まだ直してないのぉ~?

っていうか、家の近所でもう一度、このトラックに遭遇するほうが驚き!?

あのトラックが実は、富田林に近い材木団地の会社のだとは分かっていましたが、しかし、まさか、もう一度お目にかかるとは ・・・。

あの感じでは、修理に出す暇が惜しいってとこかなぁ、って踏んでます。

  ・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

受難その2: 大学には近畿自動車道を通って通勤しているが、年に1回くらい、<事故渋滞> に巻き込まれることがある。

おそらく高速道路上では、もっと頻繁に <事故渋滞> が繰り広げられていることと思うが、私が通勤する日の、しかも、「ちょっと急いでいます」 という時に起こる確率は、私の体感確率では、<年1回> である。

その<年1回>が先日、大学の業務に出かける日の、出かける時間に起こった。

高速道路入り口で見た 【緊急工事 渋滞16KM】 の電光文字。 「えっ!?」 と驚きつつも、まだ時間に余裕があり、かつ、<緊急工事> という標示にまどわされ、そのまま突入した。しかし結局それは、「事故処理のための緊急工事」 だった ・・・。

ただの 「工事」 なら、渋滞といっても多少は流れるが、「事故処理」 では、「事故」 と同じくらい流れが悪くなる。事故した車はなくなっていても、「ここが事故現場でした」 という雰囲気を醸し出している地点を通過する時、各車両が一台一台、「どんな大変な事故だったんだろう」 と吟味するように、ゆっくりと通過していくから ・・・。

ジリジリとしか進まない車の中で、なすすべもなく前方を凝視していると、「一体何が間違っていたのだろうか」 という疑問が浮かび始める。 <事故渋滞> というのは自分が招いた過誤ではないが、このような事態に巻き込まれる自分自身に、なにか落ち度があったのではないだろうか ・・・。 なにかあらためるべき態度があったのではないだろうか。 これまでの生き方になにか間違いがあったのではないだろうか。 ・・・。 そんなことばかりが、つらつらと思い浮かばれる。

そうして、自分の半生をほぼ反省し終わると、今度は、 「絶対許さない」 と思っていた人を許そう、という気分になってくる。最近のところでは、頼んでいたベビーシッターが、来るのを忘れていたという 「事件」 があったが、「もう二度と来てもらわない!」 と思っていたかたくなな気持ちが、少しゆるむ。 誰にでも過ちはあるものなんだから ・・・。

あ、こんなことしている暇はない。電話、電話。

本部の事務へ電話。「あ、すみません、今、そちらに向かっている途中なんですが、高速道路が事故で大渋滞で、集合時間に遅れるようなんです、すみません。なるべく早くそちらに着けるようにしますので」 と平謝りの電話をする。電話を切りながら、「って、どうやって早く着けるようにするわけ?」 と、その言葉のいい加減さに苦笑する。

ため息をつき疲れたころに、もう1度電話。「すみません、まだ、渋滞の中で ・・・」 

つくため息も枯れ果てた頃に、さらにまた、電話。

おそらく忙しいであろう事務側の、初めはちょっと、あせり&気の毒がってくれていた対応も、だんだんと 「はいはい、分かりました。もう、代わりの人を手配してますから」 と、ややうんざりした対応になっていくのが分かる。 まぁ、そりゃぁ、そうよね。 こちらが、あせる気持ちを解消しようと電話したって、そんな実況中継、聞かされたってしょうがないですもんねぇ。

ということで、遅刻して到着し、関係者にご迷惑をお詫びしつつ業務につく頃には、すっかり心身消耗状態に ・・・。

「受難」 の中で 「人を赦す」 という天啓を得た2月が、こうして去っていったのでした。

  ・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

note 春休みに見たい映画、ご紹介

春休みに映画を見に行く楽しみは、平日の <レディースデイ> に映画を見に行けることである。 <受難の2月> を終えた 「やれやれ感」 いっぱいに、平日の昼間に街まで出かけて、映画を見て、おしゃれなカフェでも探して、デバ地下で買い物して帰る、という、まぁ、なんとも慎ましやかな楽しみこそが、春休みの大いなる恩恵であります。

京阪神の映画館で <レディースデイ> に上映されている映画の中から、見たい映画を選んでみました。

downwardright すでに見に行った映画
『ソウル・キッチン』 (2009年ドイツ)

Soul_kitchen_2 
【オフィシャル・サイト】

ドイツ・ハンブルグを舞台に、ギリシア系の主人公が経営するレストラン 「ソウル・キッチン」 をめぐるコメディ。監督が73年生まれのトルコ系ドイツ人、というのをきくだけで、面白い映画であることが予感されるが、その通りの面白い映画でした。ドイツ語が心地よい。

『ヤコブへの手紙』 (2009年フィンランド)
Jaakobille_2 
【オフィシャル・サイト】 

舞台はフィンランドの田舎。盲目の老牧師ヤコブのところに、終身刑から恩赦されて出てきた無愛想な女性が住み込みに来る。牧師に届いた手紙を読む仕事をするためだが、やがて手紙が届かなくなり ・・・、というイントロを聞くだけで、どのような展開になっても泣ける映画であることが予感されるが、その通りのハンカチ必携の映画でした。フィンランド語が心地よい。

downwardleft 以下、見に行く予定の映画

『パリ20区、僕たちのクラス』 (2008年フランス)
20 
【オフィシャル・サイト】

この映画は、去年の春に上映されていて、卒論でフランスの移民のことをテーマにしたいという学生に、「見に行ったら?」 と紹介した覚えがある。私自身は見る機会を逸していたが、このたび上映される映画館を見つけたので、遅まきながら。

『君を想って海をゆく』 (2009年フランス)
Welcome 
【オフィシャル・サイト】

フランスの移民つながりで。クルド人難民の青年がドーバー海峡を泳いで渡ろうとするらしい話の結末が気になって。

『再会の食卓』 (2009年中国)
Apart_together 
【オフィシャル・サイト】

英語や日本語の映画を避けているわけではないが、結局、中国語映画が選ばれました。最後まで選択肢に残った 『英国王のスピーチ』 でしたが、smaSTATION の <月イチゴロー> で、稲垣くんが、 「もう少し期待していた。ストーリーがいいとか、涙するような感動巨編ではなかった」 と言っていたので、残念ながら、落選。

  ・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

まったりのブックカフェで読みたい本であるが、このカフェで1年半かけて読んだ 『1Q84』 の余韻が大きすぎて、なかなか次に没頭できる本に巡り合えない。村上春樹の他の小説やエッセー本や翻訳本などをパラパラと読んでいる。

『グレート・ギャツビー』 は、『華麗なるギャツビー』 という文庫本が家にあるので、読んだと思ったいたけど、「こんな話だったのか?」 と驚くところを見ると、読んでなかったようだ。村上春樹が描くギャツビーは、日本のテレビドラマでやるなら、木村拓哉が主役を演じればピッタリだと思うんだけどなぁ。「古代進」 役よりは似合うんじゃないだろうか。(って、映画 『ヤマト』 はみてないけど)

ところで、このブックカフェは、スパゲティもおいしいし、お店の人の気配りがとても行き届いているし、何時間でも 「長居歓迎」 の、とてもゆっくりできるいいお店なんだけど、一つだけシュミがイマイチなのが、BGMである。

ジャズあり、ピアノ協奏曲あり、映画音楽あり、イーグルスやビードルズあり、ときに佐野元春やよく知らないフォークソングがかかっていたりする。店の雰囲気やメニューへのこだわりに比べて、こだわりが最も薄い分野といえる。

まぁ、それは大した欠点ではないんだけど、先日、そういうことを洩らしたら、「じゃ、何かCDをもってきてもらえませんか」 と、お勧めを聞かれた。

カフェのBGMにして欲しいCDを1,2枚持っていく、となると、何を持っていきましょうか。人によって選択は全然ちがうでしょうね。

本を読むBGMには、やっぱり歌詞なしの楽曲がいいというわけで、私は、パット・メセニーの 『 First Circle 』 と、ウェイン・ショーターの 『 Juju 』、そして、そう言えばそうね、ということで、同じくウェイン・ショーターの 『 Beauty and the Beast 』 を持っていきました。 
『 First Circle 』 のタイトル曲 "The First Circle" を久しぶりに聞きましたが、いつ聞いても、
「ちきゅうに生まれてよかったぁ ━━━(゚∀゚)━━━ !!!」 (織田裕二の物まね風) 的に感動してしまいます。

  ・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

織田裕二といえば、今やっているドラマ 『外交官 黒田康作』 の織田くんはとてもかっこいいが、友情出演的に出てくるイ・ビョンホンを見ると、やっぱり 「イさま」 の方がかっこいいように見える。

「イさま」 と言えば 「ペさま」 だが、ぺ・ヨンジュンを心から愛している同僚Y田N子は、ペ・ヨンジュンさまに出会う前は、スマップを心から愛していた。スマップはいわば、「ヴァーチャル・元カレ」 である。

ドラマ 『任侠ヘルパー』 を見ていると、草彅くんもとてもかっこいい。それで、草彅くんの顔を見慣れると、うちの学生に似た男子がいることに気がついた。というか、その学生を見ていて、「誰かに似ているなぁ」 と思っていたのだが、「あー、草彅くんに似ている」 と思ったのでした。

で、ある日、なにげなくY田N子に 「ねぇ、学生の○○くんって、なんとなく草彅くんに似てない?」 と言ったところ、速攻で 「えー、どこがー!? 全然似てないっ!」 と強く否定されました。 「いや、でも、おでことか、頬のかんじとか ・・・」 と弱く抵抗してみたが、間髪いれずキッパリと、「全然似てません!」 と却下された。

その妥協のない完全否定に、「元カレ」 への愛情の深さを、あらためて思い知った、という話でした。

で、Y田N子の 「リアル・ダンナ」 Y田くんですが、これがまたすばらしい。なにがすばらしいって、バレンタインデイに、自分で手作りしたチョコレートケーキを、自分の奥様にプレゼントされるんですよ。

しかも、同じチョコレートケーキ(の小さいヴァージョン)を、奥様の友人たちにもプレゼントされるという心配り。 私は、生まれて初めて、バレンタインデイに、男性からチョコレート(ケーキ)をもらうという経験をしました。その感激と感心たるや。 「かじょく」 に大変な心配りをされるペ・ヨンジュンさまも、ここまではしてくれまい。

おいしいチョコレートケーキを、どうもありがとうございました、Y田さま。 この場を借りて、お礼申し上げます <m(__)m>

おしゃれだったのは、チョコレートケーキの入った紙袋に、楽譜の小節を手書きした紙が、飾りとして貼ってあったこと。

20110307aそれは、クリフォード・ブラウンの楽曲の1節とのことでした。

クリフォード・ブラウンのCDは持っていなかったので、この機会に1枚買ってみました。

『 Study in Brown 』 というのを選んだのは、1曲目が 「チェロキー」、最後の曲が 「A列車で行こう」 だったからですが、この選択はどうだったでしょうか。

2009年5月15日 (金)

『スラムドッグ$ミリオネア』

ゴールデンウィークは、基本的に ≪ななみちゃんと遊ぼう、の時間です≫ ってことで、ななみちゃんベースの生活になり、その結果、こちらは「自由時間」がなくなって、≪ほんっとお疲れさまです、の連休≫ ってことになった。

そんな中、自分のために1日だけ捻出して、『スラムドッグ$ミリオネア』を見てきました。

気がつけば、『おいしいコーヒーの真実』から早1年たらず。なんでこんなに、映画をみるヒマもないような生活になってしまったんだろう。 ・・・なんてことを、嘆いても仕方ないんだけれど。

さて、この貴重なチャンスに、どの映画を見るか。

今回はまったくミーハー的に、「アカデミー賞」受賞作、ということで。

まぁ、アカデミー賞作品だからといって、すべて「あたり」とは限らないのだけれど、<どうやらこれはいけそうかな?> とめぼしをつけていたところへ、決め手となったのが、SMAPXSMAPでやってたパロディ。

ホストに扮するキムタクが、自分の経験を回想しながら、クイズに正解していくっていうコント。「あー、これは、あのスラムドッグ ミリオネアのパロディか」と分かった瞬間、無性に本編が見たくなった。

<インドのスラム出身の青年が、自分の経験からクイズの正解が分かり、全問正解してミリオネアになる話> とだけしか予備知識を持たずに、見に行った。

で、キムタクのパロディが動機・・・という観客は、映画に打ちのめされて、見終わった後も、しばらく席を立てなかったのでした。いつもなら、最後のクレジットが流れ始めると、出口が混むのがいやで、さっさと席を立つのだけれど、クレジットが流れ終わって明るくなってもなお、立ち上がることができなかった。

「苛酷」。映画をみている間じゅう、この言葉が頭の中をめぐっていた。

インドのスラムに生きる子供たちの、その生活と人生の、なんと苛酷なことか。

だいたい、のっけから、不正をしたと嫌疑をかけられた主人公が拷問を受けるシーンで始まるのである。「あっちゃー、そういや、この映画、<PG12>って書いてあったっけ? こ、こころの準備がぁ~・・・」

<R指定>とまではいかなくても、<12歳以下のお子さんは親と一緒に見てね>って、わざわざ言うだけのことはある。PG12指定、なめてはいけなかった・・・。そして、拷問シーンに身を固くしたあとからあとから、一気に「苛酷」のジェットコースターに乗せられて、「え、こういう映画だったの?」と気持ちが追いつく前に2時間たってしまった、そんな感じだろうか。

そう、「苛酷な」映画をみるには、それなりに心の準備が必要である。 ・・・ っていうか、普通は、だいたいどんな映画か分かっていて、それなりの心構えで見るんだけどね。

「苛酷度」という点においてはこの映画の比ではない『ホテル・ルワンダ』などは、ルワンダ内戦の基礎知識をもってのぞみ「覚悟」して見るので、見終わったときはむしろ、「かなりソフトに作ってあったなぁ」と思うほどだった。あるいはたとえば、見たことはないが気になる映画に『闇の子どもたち』というのがあって、これはタイの子供たちの人身売買や臓器移植の話だというのが分かっている。分かっているから、その問題に立ち向かう覚悟がもてないので、見ることができないでいる。

そういうのに比べれば、『スラムドッグ$ミリオネア』の苛酷さは「☆1つ」程度なんだろうけど、いやぁ~、しつこいようだけど、笑いながら見たキムタクのパロディと、アカデミー賞という「大衆性」と、クイズに全問正解してミリオネアになるという、ハッピーなイメージだけを持って見に行くと、いきなり片頬をハッたおされたって感じでしたぁ(T_T)

文句なしにすばらしい映画であることには違いありません。さまざまなサイトで絶賛の嵐。すべてうなづけます。兄弟愛、初恋の成就、そして、ハラハラドキドキのエンタテーメント性も抜群。

主人公のジャマールくん(ハイレパパと同じ名前!)を演じるのは、幼年期、少年期、青年期の3人の役者ですが、幼年期の子役がまた格別に愛らしく、幼子をもつ身として、余計に感情移入させられました。私はまだ、予告編のカットを見るだけで、胸が詰まって、涙が出そうになります(涙)

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

chick 幼子のゴールデンウィーク club

chick <歩いてジジババの家まで行くぞっ! おー!>

20090503b_3

chick <帰省中のけいごお兄ちゃんにも会いました。お兄ちゃんは「ななみちゃん、ななみちゃん」と言って可愛がってくれるので、とてもうれしかったです。>

20090503a_2

chick <パパもママも、ななみとずっと一緒にいると「疲れる」っていうのよねぇ~。パパは、す20090506 きあらば、パ○ンコに行こうとするし、ママは一人で映画見てカンドーしてるし・・・。こっちだって疲れるのよねぇ。たまには一人で喫茶店行って、まったりしたいのよねぇ。ここはケーキも美味しいし、ラコールも持ち込み可で、助かるわぁ~>

chick <あれ、あの子、さっきからずっと泣いてるけど、どうしたのかなぁ? ママとはぐれたのかなぁ? そんなこと大したことないのに・・・。 早く自立しないと・・・>

2009年4月14日 (火)

本2冊

P1040850ついに本が出版された。 しかも2冊!

う~れしぃなぁっ♪ うれしぃぃなっ♪

まずご紹介するのは、この世にたった1冊の希少本、ブログ本だっ! でたぁ~!

「ナルシストなのね、筋金入りのナルシストなのね!」と、水川あさみに言ってもらいたいくらいの「ナルシスト本」である。

このブログを始めてちょうど3年。これを機会に、うわさに聞くブログ本を作ってみるのもいいかな、という気になった。高い高いとは聞いていたが、この1冊を作るのに、「定額給付金プラス」の値段である。たっかぁ~!

P1040852ハードカバーで、「帯」のように印刷されている部分に、好きな文言を入れることができるタイプを選んだ。A5版の大きさなので、手に取ると、「本」というよりは「日記帳」のような感じである。あっ、まさに、日記帳か・・!(← 中はこんな感じ。)

<1つの記事に対して写真は5枚まで>という規制があるので、6枚以上アップしていた記事では5枚に絞るという作業をしたが、こちらに許された自由はそれくらい。写真の位置とか構成とかは、出版社が自動的に出力してPDF版を作るので、こちらはそれを確認するのみ。

P1040857 私の記事で多いのは、写真を左において、「←」矢印で示し、その写真についてコメントするような書き方だが、それがズレて出力されている箇所がある。それに、読みやすいようにとあけてあった行間が全部削除されていたり、写真の位置の関係で、空白部分が大きかったり、と、100%満足のいくものではなかったが、目次や奥付がついていて、出来上がったものを手にしてみると、まぁまぁの満足度(80%くらいか)。

パラパラっと読み始めると、ついつい読み耽ってしまう・・・。うーん、なんて読みやすいんだ。読む前から次の言葉が読めてしまう。・・・って、当り前か・・。 しかし、内容を覚えているから、というよりは、自分の言いそうなこと、書きそうな言い回しが、むかしから変わらん、って感じかなぁ・・・。

この本には2008年12月29日までをまとめたので、こんどは、2009年からの3年間分を「第2巻」にまとめることにしよう、と思っている。 ・・・ あら、ブログ本、けっこうヤミつきになる?

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

次にご紹介するのは、苦節3か月。年明けからシャカリキに追いこんできたテキスト『スワヒリ語』である。

自分に「ごくろうさまでしたぁ~」

あやぶまれたCDもちゃんとついて、もう、出来上がってしまえば、あのドタバタも、このアタフタも、すべては「計算づくだったのか!?」と思えるほどの完成度である。しゅ、しゅばらすぃ~。

あらためて見てみても、コラムと、写真と、イラストがすばらしい。多くの人に助けてもらえて、本当に幸運なことでした。「仕事」は一人では成し遂げられない、ということが、つくづくと身にしみたテキスト作りでした。Asanteni sana!

目次はこちらからご覧になれます down
  <20課以降は1節ずつしかないことに注目!>

お買い上げいただける方は、こちらからどうぞっ down
  <私が学生だったら、文句言ってるよなぁ、この値段>

(私信:M﨑さん、近々、実家の方に送らせていただきますんで!)

みなさん、ほんとにどうもありがとうsign01

より以前の記事一覧

2017年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ