卒論の試問

2012年2月20日 (月)

卒論の試問も終わって ・・・

2月も中旬を過ぎると、ようやく1年の学務も終わり、という感じになる。1月下旬の期末テストから、「大団円」 の卒論試問までが慌ただしく過ぎていき、ようやくの一息である。

おととし、《卒論試問でフルボッコ。 そしたら、自分の車がボッコボコ》 という恐ろしい記事を書いたものだから、「もう二度と、卒論試問のことは書くまい」 と心に誓ってきたが、この時期、一番心を揺すぶられる出来事は、やはり卒論の試問である。

ということで、今年の試問の様子と、卒論の書き方に関する雑感を少し書いておきましょう。

これまでの試問は、3人の教員が横一列に並んで座り、試問を受ける学生に対面する、という配置だったが、今年は卒論を読んだ教員2人が対面し、読んでいないもう1人の教員は横から見ているという配置になった。つまり、ロの字に置かれた長テーブルの、縦の各1辺に試問する教員と学生、横の1辺に試問しない教員が座る、という配置である。

で、横の1辺から見る風景は、まさに 【集中砲火】 という言葉がぴったりの風景でありました。

「撃ち方、止めっ」 で、砲撃が止むのもつかの間。 次の戦いのために、今度は自分が縦の1辺に出撃すると、再び 「集中砲火」 が開始される。

真っ赤に添削した卒論をめくりながら、「せめて言いたい事の半分も言わせてもらいますっ!」 の勢いである。 あぁ、「長篠の戦い」 というのも、このようなものでありましたでしょうか。

1月の終わり頃だったか、研究室で学生と雑談していた時、卒論を提出した学生が、「せんせ、試問って、どんなこと聞かれるんですかぁ? あぁ~、恐いなぁ~、試問・・・。」 って言うから、「あんた、試問する教員に、あぁ~、恐いなぁ~、はないんちゃう?」 と笑い合っていたが、確かに、学生さんが抱く漠然とした 「恐いなぁ」 という感じは、あたっていましたね。

ただし、「どんなこと聞かれるんですかぁ?」 の部分は、ほとんど、恐るるに足らず、ですね。 こちらから 「聞くこと」 など、ほとんどないわけですから。

「で、結局、最後のところは、どういう意見を主張しているわけですか?」 と、「聞くこと」 がないこともない。

その一瞬、砲撃は止み、相手の 「反撃」 を待つ静けさが訪れる。 しばらくしてようやく、火縄銃一丁から、パン、パン、と弾が飛び出てくる。

すると、「じゃぁ、そういう風にちゃんと主張を書いて、その根拠を明確に示してくれないと分かりにくいですよね」 と一瞬にして砲撃の応酬である。 そう。 答えが返ってくる前から、こちらの言うことは決まっているのだ。

もちろん、いたずらに学生さんをいじめているわけではないことは、こちらの 「熱心な指導態度」 から分かっていただけると思うが、やっぱり 「砲撃隊」 に 「火縄銃一丁」 では、ねぇ~ ・・・。

先日、NHKの番組 『プロフェッショナル』 で、プロフェッショナルたちの心に残る言葉特集というのをやっていたが、その中で、リゾート会社経営の星野佳路氏が取り上げられていた。

星野氏は学生時代、アイスホッケーチームのリーダーで、強くなるために部員たちに厳しい練習を要求し、叱咤し続けていたが、チームの成績は振るわなかった。そんな時に、監督から言われたという言葉。

「お前が考える七割で良しとして、ほめてやれ」

ははー、すみません。 もう、ほんとに、すみません。
十割を求めて卒論指導しては、いけませんよね ・・・。

  ・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

卒論完成に至るまでの指導中に言うことも、試問の場で言うことも、ほぼ一つのことに集約される。

「読み手に分かるように書きなさい」―砲撃隊が言葉を換え、手を替え言っているのは、つまるところこの一言に尽きるのだ。しかしそれは、書く本人たちが理解して実践するには、千里の道ほどに遠く険しい道でもあります。

「ここで唐突に話題を変えられても、読んでいる方は何のことか全然分からないじゃない。 『こうこう、こういうことを明らかにするために、次に○○について見ていこう』 とかいう風に、読者を導いていかないと」

「 『○○年に起きた軍事介入の失敗の要因は、次の2つに要約できる』 っていきなり書いてあるけど、そもそも○○年に軍事介入をした、っていう事実からして、どこにも書いてないのに、こういう風にいきなり書かれても、読み手は、はぁ~? 軍事介入って何のことぉ~? って思うだけじゃない」

「この一文、長すぎて、何のことか、全然分からないよ。 もっと、読者の理解に沿って話を進めないとぉ」

「書いている方は、いろいろな前提が分かって言ってるんだろうけど、読んでいる方は、予備知識なしに読んでいるわけだからね。 何も知らない高校生に教えてあげる、っていうつもりで、順を追って丁寧に説明して」

年が明けてから、卒論執筆中の4年生に向かって、ほぼ同じことばかりを、繰り返し言ってきたような気がする。

そして、このように言いながら、自分の言葉のすみずみまでが、自分自身がかつて大学院生の時代に、指導教官から言われた言葉とそっくり同じであることに気づく。

「K森さん、・・・ (やや絶句)、こんな風に、いきなりまとめられても、読んでいる方は、何のことか全然分からないでしょ」

「しかも、唐突に話題が変わっているし ・・・。『それでは、次に○○について詳しく見ていくことにする』 とか何とか書いて、読み手を導くように論を進めていかないと ・・・」

二十数年前、指導教官が私の論文を前にして言っていた言葉と、今自分が学生に向かって言っている言葉が、二重写しになってくる。 自分の言葉を聞きながら、その言い方の一つ一つが、かつて自分が言われた通りの表現だと気がついて、苦笑する。

そして、だから、学生に指導しながらも、「あー、この子は、『はい、はい』 って聞いているけど、何を言われているのか、全然分かってないんだろうなぁ」 とリアルに思う。 二十数年前の私が、先生の言っていることがよく理解できなかったように。

「もっとよく分かるように、って言われてもなぁ~ ・・・。 ちゃんと書いてあるじゃない ・・・? 読み手を導くように論を進めるってなぁ~ ・・・、読めば分かるじゃない ・・・」

先生が言う 「よく分かるように」 とか 「読み手を導くように論を進める」 とかが、実感としてよく分からなかったのだ。

同じように言われている今の学生さんたちも、たぶん、 「読み手に分かるように書けって言われてもなぁ ・・・、どこが悪いんだか、よく分らないなぁ ・・・」 という感じだろう。

今になって、ようやく自分の指導されてきたことの意味が分かるようになった。まぁ、これが 「教育の成果」 というものであるなら、二十数年も経ってようやく実感される 「成果」 もある、ということでしょうか。

二十数年前の私に欠けていたのは、 「読者の視点」 である。 私の論文を読む人が、何を知っていて、何を知らないのか。 章を追うごとに何を提示すれば、正しい理解へと導けるのか。 読み手はこちらが示す仮定や根拠を理解しているのか。 論の展開についてきてくれているか。

まぁ、そんなこと、書いている本人には、なかなか分からないですわなぁ~。 書いている方としては、自分が調べたこと、言いたいことを、とにかく書き連ねていくだけで精一杯である。 「わかって、わかって。 私の言うことを、ねぇ、分かって」 のゴリ押しである。

自分の主張を、客観的に俯瞰しながら、読み手の立場にたって、相手の理解に合わせて提示していく、なんていう 「大人の振る舞い」 ができるようになるには、「10年早い」 と言いましょうか、私自身、二十数年たってようやく分かるようになってきた、と申しましょうか。

「論文は、とにかく、読み手の立場に立って、分かりやすく書く」

これを指導の要としましょう、と今年、心に誓ったのだが、その意を強くしたのは、新書  『いますぐ書け、の文章法』 (堀井憲一郎、ちくま新書、2011年) を読んだためでもあります。

この本を見た時、筆者の名前に見覚えがあるなぁ、と思ったら、『週刊文春』 に 「ホリイのずんずん調査」 というコラムを長年掲載していたライターさんでした。
これまでレポートや論文の書き方といった類の本をいろいろと読んできたが、この本はフリーライターという肩書の作者が書いただけに、「読ませる文章」 という視点が徹底している。

20120215horiis_book_2ホリイさんが新書一冊かけて言っている主張はただ一つ。
《 読む人の立場で書け 》 この一言に尽きるわけです。

《 読んでいる人のことをいつも考えて書く 》 ことが重要であり、《 ちゃんとした文章を書くためには、その文章で、あまり熱心でない読者をどこへ連れていくのか、をきちんと意識してないといけない 》 のである。

具体的なアドバイスとしてまず、《 漢字を減らせ 》、《 すぐ改行しろ 》 という2点があげられている。

そのあとにすぐ、《 これは雑誌に文章を書く場合であって、卒業論文や就職活動のエントリーシートなどには有効でない 》 と断りがついているけど、このアドバイスは卒論にも十分に有効なものです。

ワープロで書くものだから、学生さんの論文はどうしても漢字が多くなる。殆ど、且つ、全く全ての出来事等、殊更に変換可能な限りを尽くして変換し切った暁には見慣れない漢字に覆われ尽くして見苦しい事この上無い。

また、自分の視点からまっすぐ前だけを向いて、ひたすらに文章を書き連ねていくものだから、1文がやたらと長くなり、その長い1文が連なって、段落分けもなんのその、1段落が1ページにも2ページにもわたるスペクタクルが展開される。

まぁ、こういうスペクタクルは、かえって添削しやすくていいんですけどね。 4,5行に渡っている1文をググっとカッコで囲んで、「一文が長すぎる!」 と赤で書き、ページの隅に 「適切な段落分けを!」 と書き入れればいいのだから。

《 すぐ改行しろ 》 というアドバイスは、卒論のこの添削に通じるものであります。

さらに、《 時間軸に沿って書くな 》 というアドバイスも有効である。

ホリイさんは、企画書や報告書のたぐいで、やたらに結論が遅いものを断罪して、《 結論から言え、結論から 》 と言う。

結論が遅い企画書や報告書は、自分が発案に至った経緯や体験が、時間軸に沿って書かれている。 それを読まされることはつまり、発案に至るまでの時間を共有することを強要されることである。 《 なんで、恋人でもない相手と、時間を共有しなきゃいけないんだ 》

卒論もしかり、である。 肝心の事件に至るまでの歴史の説明が長すぎて、何を論じているのか分からない。 用語の定義から説明を始めるものだから、肝心の問題の具体的な形がなかなか見えてこない。

「あなたがお勉強したことを、お勉強した順番に書いてもね、読んでいる方は、何の話を読まされているのか、分からないわけ。 何を問題として取り上げ、それについて何を主張したいのかを、まず示してもらわないと」

企画書も報告書も、そして卒論も、みんな同じ原則ですね。 読む相手が何を知らなくて、何を知りたがっているのか、ということを常に考える必要がある、ということです。

まぁ、そんなわけで、試問と言っても、相変わらず 「内容に関する質疑応答」 というよりは、「書き方に関する一方的な指摘」 という場面がほとんどでしたが、まぁ、「砲撃」 を受けた学生さんのうちの一人でも、何年かののちに、「あぁ、そう言えば、先生が言ってたのは、こういうことだったんだなぁ~」 と気付いてくれれば、「成果」 の一つもあったと言えることでしょう。

downwardright 「砲撃隊」 のみなさん
20120215

いえ、何も、いつもこんなアフリカンな格好をしているわけではないのですが、試問のあとに、ローカル紙の取材があったので、「アフリカをアピール!」 の格好で写真を撮ってもらいましたぁ。 その記事については、またいずれご紹介~ soon

2010年2月20日 (土)

【 卒論 口頭試問 】

やれやれ。 2月の最大業務、卒論の口頭試問がやっと終わった。 これですべての成績評価が出そろい、今年度の授業業務はおしまい。

今年の卒論は34本。 一つの論文を2人の教員が読んで試問するので、一人の教員が24本くらい読むことになる。 そして、1日に12人くらい、一人20分の持ち時間で、3日間かけて試問する。

「試問」 というと <質疑と応答> のやりとり、という感じだが、そういうことができるのは、おそらく修士論文以上のレベルくらいからで、学部の卒論レベルでは、ひたすらこちらから <評価と批評> を投げつける格好になる。

まぁ、言われっぱなしの学生さんもフラストレーションがたまることでしょうが、こちらとしては、せめて20分間でも、言いたいことを言わせてもらわないと、こちらのフラストレーションが解消されない、というのが実情であります。

えっ、何のフラストレーションかって? 
・・・ はは、言わずもがな、ですね。
24本の卒論を読もうと思うと、どれくらいの時間がかかるか ・・・。

そして、物理的な時間だけでなく、読みながら湧き上がる 「あきれ」・「驚き」・「怒り」、時に 「失笑」・「苦笑」、まれに 「感心」・「感銘」など、吹き荒れる感情の嵐に、身も心もくたくたになるわけですが、体内に鬱積したそれらの感情を、試問の場で 「爆発」 させていただくわけです。

今年は、すべての卒論が試問の場で返され、最終的な保存版の再提出が義務となった。<義務としましょう> と決めたわけではなかったのだが、どの卒論も、あまりにもビッシリと添削されているので、それを直してもらわないことには、とても後世までの保存には耐えられない、というわけです。

まぁ、普通は、提出された卒論を読むのに、いきなり赤ペンをもって、読むはしから、<はい、ここ誤植。赤丸でぐりっ!>、<この文章、意味不明。アンダーライン、びしっ!>、<はぁ~!? ここ、どういう論理展開? 赤でクエスチョンマーク3つ!> などと書き込んでいく、というのはあまり一般的ではないように思うが、少なくともこの方法は、読む側の「精神衛生上」にはいい、ということを発見したのでありました。

  ・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

年明けからまた、急速に数を増しているこのブログへのアクセス検索語 【卒論 口頭試問】 のたぐいであるが、そうやってやってくる見ず知らずの学生さんへのサービスも兼ねて、今回のブログタイトルは、この検索語にしておきました。

【卒論 口頭試問 質問内容】 という検索語でこられた学生さんへ。

・・・ ということで、うちの専攻では、「質問内容」 は特にございません。純粋に論文の内容についての質問をすることもありますが、それはかなり <ハイレベル> な卒論です。内容について質問してもらえれば、それは、いかなる質問内容であっても、まともに 「論文」 として扱ってもらえた、と誇りに思ってもいいでしょう。

  ・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

【卒論 口頭試問 不合格】 という検索語でこられた学生さんへ。

卒論を提出したが、試問というのがある。果たして、それで 「不可」 になることがあるのか。・・・ という不安を抱えておられるのでしょうか。まぁ、普通は、形式どおりに提出された卒論を、その内容でもって評価し、「不可」 をつけて卒業を見送らせる、というのは、ほとんど考えられませんね。

普通の大学教員の心情からすれば、<とにかく仕上げて出してくれ。出してくれさえすれば、通すからさっ。それですっきり卒業してくださぁい> ってとこじゃないだろうか。

就職まで決まっていたのに、単位がとれずに卒業できなかった、というのは案外、学生との接触が少ない 《一般教養科目》 とか 《外国語科目》 とかだったりする ・・・。

  ・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

【卒論 口頭試問 フルボッコ】

えっ、フルボッコって、何? ヒナタボッコ、みたいな? ・・・ ダイダラボッコ? あ、それは、ダイダラボッチ、か・・・。

うちの専攻の試問では、指導してきたゼミの担当教員がまず口を開く。
「どうなることかと思ったけど、よくここまで、まとめましたね」 などと言うことがある。すると、横で聞いているもう一人の試問教員が、<えっ、これで 「まとまってる」!?> と心の中でのけぞる。

また、別の担当教員が、「初めはまともな文章になってなかったけど、何度も書き変えて、ちゃんと読める文章になりましたね」 などと言う。すると、横で聞いているもう一人の教員が、<えっ、これで「読める文章」になった!?> と心の中で叫び声をあげる。あるいは、<よくぞここまで、指導しました!> と、心の中で隣の同僚を褒め讃えたりする。

このように、担当教員は指導過程を見てきているので、もう一人の、卒論だけを読んで試問にのぞむ教員とは 《温度差》  がある。 私自身、指導の限界を感じ、<でも、本人が、好きでやってるんだから、もうこれで、いいか> と、何も言う言葉を持たないでいると、隣の同僚が純粋に卒論の内容について評論してくれて、救われる思いがしたりする。

そんな中、2人の教員が声をそろえて同意見を述べる場面が、あることはある。「丸写し」 にもほどがある卒論。 中途半端な内容。 少しは自分の頭で考えたのっ!? と、あきれるばかりの論文。

指導過程において、何の努力も感じられなかった。何度も努力を要請してきたにもかかわらず、そのたびに 「なめた」 対応しか返ってこなかった。 締切りは守らない。 最後の最後まで、<出しさえすればどうにかなる> という甘えた態度。

そりゃ~、<出しさえすれば、通すからさっ> とは思ってますよ。 しかし、「出す」 までの努力や、卒論に向き合う真摯な態度が見られないようでは、それは無理でしょう! 大人をなめるのもいい加減にしなさいね!

「こんなことでは、社会に出ても通用しませんよ」 と言っても、<社会に出たらこんな態度はとりません> って、心の中で思っているかも知れないね。 だから、そんな風には言いませんよ。 ただ、あなたの不真面目な態度が、教員をこれだけ怒らせた、ということだけは覚えておいてくださいね。 その <なめた> 態度が、どれだけ人を怒らせるか、覚えておいてくださいね!

顔面蒼白の学生に、2人の教員からもう、ボッコボコである。

・・・ あ、これが、フルボッコ?

  ・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

卒論執筆中の学生諸君、めげずたゆまず、
がんばってくださいねぇ~!

時間をかけた分だけ、自分で 「がんばったから!」 と思える分だけ、
きっと評価するからさ!

2007年2月16日 (金)

卒論の口頭試問おわる

昨日までの3日間、卒論の口頭試問があった。

今年は35人も卒論を提出してくれたので、1日に12人、朝の11時から4時まで、と、なかなかの激務でした。教員は3人。一つの論文に対して2人の教員が審査するので、一人24本の卒論を読んで臨む。

共同研究室にかしこまって入ってくる学生に対して、まず、ゼミ担当教員が質問やコメントをし、その後もう一人の教員がコメントし、残りの一人が卒論要旨のスワヒリ語訳などをチェックして返却する、という段取り。一人20分。

で、試問をやってみて、つくづく思っていることは、「私は他人に厳しい。」(ってことは、自分に甘い。)

今、冷静に考えてみれば、学部学生の卒論など、不完全に決まっている。参考文献を写してまとめました、ってのがあっても当たり前。・・・しかし、それがもう、頭に血が上っちゃって、「許せない!」ってなっちゃうのよねぇ。

このブログでも、しばらく前に、学生は「ほめて育てる」のが肝要、とかなんとか自分に言い聞かせていたのに、「ほめる」どころか、これでもかこれでもかと、いきなり指摘の嵐。開口一番、「この論文の反省点はなんですか」と尋ねたことも一度や二度では・・・。これじゃぁ、学生の立つ瀬もないよね・・・(^_^;)

「あなたは自分が不完全な(卒論の)発表をしていながら、他人の発表には躊躇なく批判をするというのが、どういうことか分かっていますか。自分に向けるべき批判を他人に向けて、それでバランスをとっているだけですよ」

私は学生に言いながら、それがまさに今の自分の姿ではないかと思った。「私自身、成長しなければ」と深く反省した次第です。

2007_0216aa_1不徳のいたすところがきわまったせいか、3日目、あろうことか大学の駐車場に入るときに、やや傾いていた鉄柵に接触、激しいキズが(ダンナの)愛車マークX君の横面に!「バチが当たった!?」

先ほど、近所のカーコンビニ・クラブに修理の見積もりに行くと、ぬぁんと18万円! ・・・信じられません(:_;)

18万円払って、すべてを水に流すか、
しばらくこのまま放置して、我が不徳をここに留めるか・・・(涙)

2017年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ