大学生活

2019年5月31日 (金)

デジタル・デトックス カモン!

「デジタル・デトックス」なる言葉が流行っているらしいですが、要するに、デジタルデバイスをデトックスしましょう、スマホやパソコンから離れ、インターネットの世界を断ちましょう、ということらしい。

いや、もう、まったくの大賛成! ですが、「言うは易し、行うは・・」の典型例ですね。

スマホ依存、ネット中毒、ネトゲ廃人、など、世にすさまじきは数あれど、なんぴともデジタル依存の負の影響から逃れていられることはないのではないでしょうか。

私もデジタルデトックスしたい。いや、しなければ。いや、もう、しつつある。と言いつつ、さきほどから、ずっとパソコンに向かって、この文章を書きながら、ネットで「デジタルデトックス」検索したり、ついでに、メールチェックしたり、他のサイトみたり、しているうちに、ネットサーフィンが始まり、いやいや、いかんいかん、とこちらの文章の画面に戻ってきて、「句点」を打ったついでに、ふっと、隣にあったスマホを見て、いくつかのアプリのアイコンを押して、・・・って、なんじゃ、こりゃぁ~!

もう、こんな生活から、早く抜け出したいわけです。一日の多くの時間を、パソコンやスマホの画面を見て過ごす生活から、少しでも足を洗いたいのです。

という切なる願いを、こうしてパソコンの画面に向かって訴えなければならない、私「矛盾子」の悩みは深い。

その喫緊の要請は、もっぱら肉体からの要請によります。まぁ、無駄に過ごす時間が多くなる、という問題もなきにしもあらずですが、これはまぁ、何をしていたって、全体的には「無駄」の多い人生ですから、それはいいとして、とにかく、体がもう、パソコンに向かうのも、スマホ眺めるのも限界! 状態です。

目が疲れる、以上に、肩が凝る、よりも、腕がだるい、というか、右手の腕の腱がひきつる、と思っていたら、肩甲骨から背中にかけてバキバキに固まっている。

特に伏兵のように襲ってくるのはマウスの操作で、右手の人差し指でクリック&スクロールする動作が、右腕の腱から肩、背中にダメージをもたらしているような気がする。

こうして、ダラダラと文章を書くくらいの動作ならまだましですが、航空券の予約など、あちこち検索しながらクリック&スクロールを繰り返す動作が、特にダメージング。

休み休みやる、あるいは、タッチパッドを使う、などすればいいんでしょうが、気が付いたら夢中に集中していて、アウト! です(涙)

==✨==✨==✨==

肉体的な要請のない若者も、デジタルデトックスは必要でしょう。

いつの頃だったか、ひと昔前は、大学でも、授業中の私語が問題になっていたことがありましたが、おやじギャクで言うところの、今や「私語」など「死語」と化しているほど、教室は静かです。なぜなら・・・!

若者たちは、息をするように、スマホを見ます。息をしている人に息をするな、といえないように、スマホを見ている人に、スマホを見るな、といえないほど自然に、スマホを見ています。

時計代わりに時間をみる。英語の単語を調べる。もちろん、スワヒリ語の単語だって調べられる。その合間に、ラインしたり、インスタ、チェックしたりする。ショッピングだってできる。そう、ショッピングしている「つわもの」もいるのです。いや、強者というほどのものでも、もう、ないのかもしれない。

しかし、「あれ、アフリカの人口って、何億人だったっけ?」というつぶやきに、即座に「14億人です!」と答える学生に、「そのスマホ、しまっておきなさい」とは、言えないのです。

はい、私にはもう、スマホを見るな、とは言えません。最近言ったのは、そのスマホ裏返しなさい! という、大変間の抜けた言葉だけです。

30代になってからパソコンを使い始め、40代になって初めて携帯電話なるものをもち、50代になろうかという頃に初めてスマホをもった私と、自意識の芽生えとともにスマホが手の中にあった若者とは、もう全然ちがうんでしょうね。体もスマホに合わせて進化して、私のように、肉体が悲鳴を上げることも、ないのかもしれない。

==✨==✨==✨==

だからもう、最近は、指導するポイントも、よく分からなくなっている。

ひと昔前は、「私にメールを送って来る時に、“夜分失礼します”っていう前置きはいらないからね」といちいち言っていたのだが、それもやめました。言ってもぜんぜんピンときていないようなので。

私が、夜分にメールを見ない、あるいは、メールが来ていることに気づかない、ということに、彼らがぜんぜんピンときていない、ということが、ようやく分かってきたからです。

それに、「メールを送る時は、差出人名が分かるように、差出人名欄に、ちゃんと名前をかいておいてね」と言うのもやめました。ケータイのアドレスが表示されていたり、文字化けした記号が並んでいたり、なんかこれ、普通のパソコンからメール送ってるんじゃないんだ、と分かったので。

そう、最近は、課題のレポートもスマホで書く「つわもの」がいる。いや、もう、これも、強者というほどのものでもない、のかもしれない。

ワードの文書ですら、ない。
「文書はワードで書くもの」と思い込んでいた、マイクロソフト洗脳信者@私には、よい刺激ですらある。

「レポートを提出します」と送られてきたメールには、添付ファイルはなく、本文にURLが貼り付けてある。そこをクリックすると、「なんちゃらの権限がありません」とか言われて、見れない。

「レポートを“添付”して送ってください!」と言うと、今度は開けることのできないファイルか、文字化けのファイルだったりする。

「だから、読める形で送ってください!」と再度要求すると、プリントアウトされた文書の写メが送られてきた。うーん、確かに、これなら、読める。って、これがレポートか~いっ!

もちろん若者は、悪気があってやっているのではなく、若者の世界のやり方でやっているだけで、こちら側の世界がどんなパニック状態になっているのか、たぶん想像すらできないのでしょう。

==✨==✨==✨==

あー、私の「デジタル・デトックス」の話が、若者との「デジタル・ジェネレーション・ギャップ」の話になってしまいました。

デジタル・レボリューション ハズ カム!

デジタル・メシア、ヘルプ ミー、プリーズ!

2019年3月31日 (日)

卒業おめでとう

ここ何年かは、3月の終わりはずっと、卒業式の報告をしているので、今年も、卒業式の報告を。

こちらとしては、もう、毎年のことで、ルーティン化している感がいなめませんが、卒業していく学生さん一人一人にとっては、生涯で一度きりの大学卒業。しかも、長かった「子ども時代」の終わり、という卒業でもあるので、やはり、とても大事な節目では、あります。

節目ではありますが、見送るこちらとしては、「子ども時代」側にいるので、これからの長い人生の先行きに対する不安の方が大きく、「おめでとう!」というよりは、「元気でね」、「くじけないでね」、「くじけたらまた、戻ってきてね」という気持ちいっぱいに、船出を見送ることになります。

特に、今年は、手の焼ける学生が多く、「ちゃんと社会人としてやっていけるのだろうか」と不安のよぎることしばしば。もちろん、手の焼けない、しっかり者の学生さんたちに対しても、「この伸び伸びとした感性が、会社の歯車の中で、失われていかないだろうか」という余計な心配をしてしまう。

「子どもの成長を見守る」というのは、こんな不安や心配を抱えつつ、それでも、何もしてやることができず、ただ、見送ってやることしかできない、ということなんだなぁ、と思う。

手の焼けた学生さんも、「いろいろとご迷惑をおかけしました」と、ちゃんと挨拶をして旅立って行った。

私の授業に衝撃を与えてくれた学生さんも、「生意気なことを言ってすみませんでした」と言って、はじけるような笑顔を見せて、卒業していった。

「あー、みんな、立派に成長したなぁ」と、つくづくと感慨深かった。

親はなくとも子は育つ。まさに、教員はなくとも学生は育つ。

教員の役割って、なんなんでしょうね。

授業の内容や教え方を、いろいろと悩んでいましたが、そんなことは、あんまり関係ないのかも、と、思ったりします。

悩んでいた時の様子 → 「生意気なこと言ってすみませんでした」の学生さん、登場 

これからの長い人生の中で、必ずぶつかるであろう挫折や悩みの時に、自分を振り返る原点として、大学時代を思い起こしてくれれば、それはとても幸いなことだし、ふらっと訪ねてきて、いろいろと話などしてくれれば、それはとても嬉しいことです。

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卒業おめでとう!


昨日、私の大学院時代の指導教員であられた先生の、定年退職の最終講義とパーティがあった。

(伏字にすると)Y田先生(になって、ややこしいんですが)は、印欧語比較研究の、まさに「権威」で、特にヒッタイト語研究の世界的な第一人者であられ、なのに、学生指導にも手を抜かれることなく、私のような末席にいる学生にも、熱心にご指導してくださった。

いや、「熱心」というか、今覚えていることといえば、私の論文を添削しながら、絶句されている先生の姿しか思い出せない。

「これでは、何を言っているのか分からない・・・」、「文と文のつながりが不明・・」、「論がなっていない・・・」、そんなことをおっしゃっていたような気がするが、その時の私は、先生が何を絶句されているのか、よく分からなかった。

私は今、先生と同じようなセリフを吐く側に回り、また、それを聞いている学生が、どういう理解でそれを聞いているのかが、よく分かる。

どんな所にも、どんな事にも学びがある。そして、その学びの意味や意義は、ずいぶんあとになってから分かることもある。そんなことを教えてくれるのが、大学という場の役割であり、またその尊さなのだと思います。

Y田先生の最終講義のスクリーンに映された画像を、こっそりと、ここに揚げさせていただき、先生から私への言葉とさせていただきます。そして、勝手に、私から卒業生への言葉とも、させていただきます。

先生、ごめんなさい & ありがとうございました。

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(上段が、楔形文字で書かれたヒッタイト語)

 

2018年6月30日 (土)

学生さんの成長

6月は、企業の採用面接の「解禁」ということですが、「売り手市場」のご時世、5月にはすでに複数の内定をもらっている学生も多く、6月はその中から本命を選んで決める段階、といった感じです。

今の就職活動というのは、昔に比べたら期間が長くなっているようで、3年生の夏休みくらいからインターンシップに参加し始め、就職セミナーなどに参加して、企業研究したり、自己分析したり、エントリーシート書いたり、OBと会ったりと、なかなかに長い道のりを歩んでくるようです。

その過程で、自分自身を見つめ直し、将来を考える作業に向き合い、また、「大人」との接し方を学んで、人として大きく成長するように思います。

その成長ぶりは、特に、「口のきき方」も知らなかったような男子学生が、妙に折り目正しいメールを書いてくるようになったり、提出物を期限通りに出すようになったり、遅れる場合は事前に連絡してくるようになったり、といったところに見られます。

こういうことは、こちらがいくら指導しても、決して身につかなかった態度で、なんとまぁ、就職活動というのは、よい教育の機会なのでしょう、と驚くばかりです。「教員が教育できることなんて、たかが知れているなぁ」と思う瞬間でもあります。

先日も、就活中 ー というか、正確には、休学してインターン体験中 ー の男子学生が、久しぶりに研究室を訪ねてきたのだけど、その変容ぶりに驚かされました。

まず、見た目からして全然違う。久しぶりに会ったというのもあったけど、名前を言われるまで誰か分からなかった。しっかりした、というか、落ち着いたというか。

男子学生というのは、大学に入っても往々にして「子ども」っぽい子が多いですが、特にこの学生は、いつまでたっても子どもっぽく、「中二病か!?」というくらい、見た目も、態度も、言動も、大変「ガキ」っぽかった。

それがまぁ、180度異なる見た目、態度、口のきき方、そして考え方! 「いやぁ~、人間ここまで変われるのか」と驚きました。就労体験が、彼をここまで成長させたのでしょう。

まぁ、彼がインターンでみつけた世界が、彼に合っていた、というのもあったと思う。それまで、どこに向けていいか分からなかったエネルギーの注ぎ先をようやく見つけた、という感じ。目標や進むべき道をみつけると、人はこんなにも素直に、まっすぐに世界に向き合い、自分らしく成長していくことができるんだ、と思い知りました。

大学の学業だけでは、なかなか目に見える成長を実感することはありませんが、就職活動や就労体験っていうのは、ほんとうに成長のよいきっかけになるのだなぁ、と思います。

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留学も、学生さんが成長する大きなきっかけになるように思います。

就職活動は、見た目や態度など、「即効的な」成長の効果を見せてくれますが、留学は、あとからじわじわとその効果が感じられます。

留学から帰った学生さんたちは、当初は「逆カルチャーショック」のような状態で、留学していた国や留学生活、そこでの友人関係をなつかしみ、帰国後の、せかせかとせわしない日本の生活に、しばらくなじめなかったりするのですが、そのうち落ち着いてくると、留学体験が、土壌の栄養分のように、ゆっくりとその学生さんの成長につながっていくのが感じられます。

見た目や態度にはあまり変化がありませんが、授業中の発言や意見、レポートなどに書いてくる内容に、ハッとさせられることが多くなり、「あー、この子、成長したなぁ」と感心することが多くなります。

異文化を体験し、言語も文化も異なる人々と交流して、視野が広がり、違った視点から物事を見ることができ、問題意識がもてるようになったのだと思います。

かわいい子には旅をさせよ。

就活にしろ、留学にしろ、大学の本業が与えることのできないものによって、学生さんは成長するのねぇ、と思うと、大学教員としては、ただただそれを見守ってやるしかないなぁ、と思います。

留学中の学生さんから写真が届きました@英国バース

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「うーん、成長したなぁ」って思う気、満々で待っているから、元気で留学生活おくってくださいね(from かるくプレッシャーかける教員)

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今日で6月も終わりですが、世界的には、サッカーW杯が盛り上がっています。

セネガルがコロンビアに負けることに賭けて、最後はボールを回してポーランド戦を終えた日本チーム。シロートながら、日本チームの見事な「成長」を感じずにはいられませんでした。やっぱり、西野監督がすばらしかった?

いや、しかし、私てきには、モロッコのルナール監督のすばらしさが、群を抜いていましたが!

モロッコのルナール監督@ポルトガル戦を指揮する様子
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この立ち姿!
おおよそ、サッカーの監督が、ベンチの横で指揮をとっている姿には見えませんが。
VOGUE の撮影か何か!?

残念ながら、モロッコは1次リーグで敗退してしまい、もうこのお姿、拝見できませんが。

アデュ、ムッシュー ルナール!

2018年5月31日 (木)

肉体的五月病

「五月病」というのは、五月の連休を機に、四月からの新生活で張り詰めていた糸が切れ、なんとなくだるい、気分がすぐれないなど、抑うつ的な気分に見舞われることを言うそうです。

確かに大学でも、特に新入生に見かけられる症状です。今年の新入生は、比較的元気で、活発そうな女子が多く、「タンザニアに留学に行きたいです! どうやったら留学できますか?」と、質問してくる学生もいて、「おー、それはすばらしい! じゃぁ、留学した先輩がいるから、話聞いてみたら!」と言ってたのだけど、そのテンションも徐々に下がってきているのが分かる。

4月から新たな目標に向かって張り切っていたけれど、思い描いていた理想とは違う現実が見えてくるにつれて、張り詰めていたものが切れ、4月当初の高揚感も徐々に薄れてくる。

まぁ、「理想と現実のギャップからくる高揚感の喪失」と言ったところでしょうか。

上級生には、そのようなギャップはないですが、4月からの新生活に、それなりにバタバタとしているようで、やはり5月の終わりごろには、「いや、すみません。毎日、なんか忙しくて。ぜんぜん、ゆっくり時間がなくて・・・」と、課題を提出できなかった言い訳などしてくる。

その言い訳を聞きながら、「あー、学生さんも、忙しいんだなぁ」と妙に納得してしまった。

そう思う教員も、五月病です。

毎日が妙にだるい。しかし「抑うつ的な気分」とまではいかないので、「肉体的五月病」と言ったところでしょうか。

4月からの新学期、例年通りの授業をしているだけなんですが、体が妙にだるい。思い当たるところがあるとすれば、昨年より一コマ多く担当している火曜日の語学初級3連続! でしょうか。

それに加えて、課題を提出しない学生さんを怒りすぎたせいもあるかもしれません。

いや、やっぱり、これは「年」のせいでしょうかね。専任になって12年。ずっと同じような授業をし、同じような学生指導をし、同じように学生さんを怒ってきたのだけど、それに疲れを覚えるというのは、やっぱり、年のせいだろうなぁ~。

肉体的五月病の最後のダメ押しは、5月最終週の北海道2泊3日。

アフリカ学会@北海道大学

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発表もしたし、いろんな人に会えて楽しかったし、食べ物もおいしかったし、で、気分的には充実の北海道だったのですが、帰ってからの平日は、使いものにならないくらい、くたびれてしまったのでした。2泊3日の国内旅行で疲れ切るなんて!

回復途上の五月末日。
ほんま、年とってしもたわぁ。

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余談:北海道で驚いたことは、札幌駅と北海道大学の近さです。

大阪駅の北西に、今開発中の「うめきた」がありますが、まるで、大阪駅と「うめきた」みたいな感じで、札幌駅と北海道大学が! 近っ!

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それにしても、札幌駅は大阪駅みたいだし、札幌の中心地は大阪の中心地みたいだし、旅情のない旅ではありました。

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 話には聞いていましたが、高層ビル群の谷間にある「時計台」も、気の毒なくらいで。

北海道はきっと、町に滞在しないで、雄大な自然を満喫しにいくところなんでしょうね。

あー、夏に、1か月くらい、北海道で、のんびり過ごしてみたい・・・。
(現実逃避的願望)

2018年4月30日 (月)

新しいことと、変わらないこと

2018年度が始まりました。

今年度は、七海がいよいよ中学生になった! という新しい年度です。

新しい生活に胸を膨らませて始まった4月ですが、のっけから、つまずいております、制服に!

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七海:「制服は、セーラー服にスカート。制カバンは肩掛けなので、やや持ちにく~い。ランドセルがよかったなぁ。」

もちろん、七海は制服を着るのが楽しみで仕方なかったし、毎日、楽しく登校している。

しかし、制服って、思っていたよりずっと煩わしい衣服なのでありました。

まず第一に、ずっとズボンしか穿いていなかった七海が、いきなり毎日、スカート!

腰のところのカギホック、っていうんですか? あれを留めて、ファスナーをあげて、プリーツの正面がちゃんと前にくるように穿く、これがまず一苦労。しかも、スカートがめくれないように、あるいは適正にさばきながら、一日を過ごすのは、思ったより大変なんじゃないかと推察される。

考えてみれば、スカートというのは、かなり「非・行動的」な衣服であって、中学生の学校生活には、実用的ではないんじゃないかと思う。

それが証拠に、七海の中学校では、登下校は制服が義務付けられているが、学校内では体操服で行動してもよいということで、七海は学校に着くと、体操服に着替えて一日を過ごしているらしい。他の女子たちも、多くはそうしているらしい。

だったら、制服なんか、なくてもいいじゃん!

と、実用一直線の母は思うわけだが、そこはそれ、伝統やら習慣やら惰性やら思い込みやら、ついでに、業者さんたちの喰いっぷちやらで、そう簡単には変えられない、変わらない、変えませんから! の、事情があるのでしょう。

七海にとってさらに煩わしいのは、セーラー服の胸のところにある、三角形の当て布のようなものを留める作業。

逆三角形の布の左辺は縫い付けてあり、右辺をポチ、ポチ、ポチッと、3つの小さなスナップ・ボタンで留めるようになっている。

これ、普通の人なら何てことないんですが、これが七海には難しくて!

こういうスナップボタンって、自分がやる時のことを思い返してみると、上からボタンのついている布をかぶせて、指で位置を確かめながら、人差し指あるは親指で、上からポチッと押さえていると思うのですが、どうやら七海は、この「指で位置を確かめながら」というのが、できないらしい。

両手で、一つ一つのボタンをもって、自分の目で見ようと最大限に持ちあげて、スナップボタンの凸と凹を合わせようとする。その時点で、布の向きが反対?になっていて、次のボタンを留めようとすると、無理な力がかかるので、一つ目のボタンがはずれる。

もう、目もあてられない、というか、その「不器用さ満開」が情けない、というか、かわいそうというか・・・。

「自分でできるようにならないと!」と思って見守るが、登校時間に遅れるという影響が出るほどになり、結局私が留めてやることになる。

何日か試行錯誤したが、七海の技術向上を待っていられなくなり、ついに制服屋さんに相談して、スナップボタンをマジックテープボタン(というのでしょうか?)に替えてもらうことになりました。やれやれ。

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆

「制服問題」が片付いたと思ったら、今度は、体育館シューズ問題。

学校指定の体育館シューズは、ひもで結ぶタイプで、靴ひもを蝶結びにしなければならない。春休みに猛特訓したが、学校の先生に言わせると、最後のところは結局、先生に結んでもらっているらしい。

先生:「学校でも蝶結びの練習はしますが、どうしても集会とか、みんなと一緒に行動しなければならない時に遅れるので、マジックテープタイプのシューズを用意してもらったほうが・・・」

ということで、これまた、七海だけ特別なシューズを用意することに。

あー、それなら、はじめっから、マジックテープのシューズを買っていたのに!

上履きも、学校指定なんですが、これは事前に「無理!」を予見して、七海だけ特別な上履きでもいいと了承をもらっていました。

学校指定の上履きは、クロックス風のサンダルみたいなもの。「こんな草履みたいなのが上履き!?」と、中学入学説明会で見た時は驚きましたが、草履・スリッパ類がうまく履けない七海が、これを履いて、階段を上り下りするとどうなるか。これは火を見るより明らかに予見されましたので、事前に、上履きは違うものを用意させてくれと、中学校にお願いしておきました。

もちろん、しょうとく園のころより愛用の、アシックス・すくすくシリーズの上靴で!

体育館シューズまでは予見できなかったのが、悔やまれます。

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆

かように、七海の中学校生活のスタートは、「想定外」の波乱含みでありましたが、本人は環境の変化に揉まれながらも、楽しく毎日を送っているようです。

しかし、思うに、これほど「多様性」が尊重される時代において、学校指定の制服、学校指定のカバン、学校指定の上履き、学校指定の体育館シューズ、学校指定の・・・、その他多数。しかも、初期費用だけでも10万円近く。公立の中学校において。これはもう少し、見直されてもいいのではないでしょうか。

まぁ、自分自身は、中学・高校と、制服に疑義も嫌気も感じたことはなく、喜んで従ってきたほうですが、それはやはり、自分が「メジャー側」にいたからなんだな、と今さらながらに思います。七海のような「マイナー側」に立って初めて、そのメインストリームに疑問をもつことになる。

最近は「性自認」などに対する理解も深まって、制服も選択肢が広まりつつあるらしいが、そもそも、中学や高校で「制服」って必要なのか、というのが、根本的な問題としてあるように思います。

ま、しかし、これは、私がこの1か月ほどに、急に感じた「問題意識」なので、泡沫候補的問題にすぎないのも事実でありますが。

(「本命候補的問題」は、たとえば、「夫婦別姓問題」とか、「女人禁制問題」とか、ですかね。いずれも、「マイナー側」から声が上がり、これがもう、すでに「マイナー」でなくなっている、という感じの問題でしょうね。)

・‥…━━━☆・‥…━━━☆

七海の新しい生活とは対照的に、また、同じ新年度の始まりの私。

例年のごとく、新入生を迎え、一からまた、「こんにちわ」-「こんにちわ」。

特に今年の火曜日は、

2限:バンバラ語、3限:1年生スワヒリ語、5限:初級スワヒリ語

という、語学の授業が3連チャン。しかも、全部、初級。

ということで、この1カ月、火曜日は、挨拶&自己紹介ばかりしている。

「こんにちわ」ー「こんにちわ」

「おはようございます」-「おはようございます」

「お元気ですか」-「はい、元気です」

「ご家族のみなさん、元気ですか」-「はい、元気です」

「あなたの名前は何ですか」-「私の名前はヨーコです/私の名前はジギです」

「あなたはどこから来ましたか」-「私は大阪から来ました/私はマリから来ました」

「さようなら」-「さようなら」

これを1日3回、いや、5回、いや、10回くらいは言ってるなぁ、スワヒリ語&バンバラ語で。

Hujambo? - Sijambo.

Habari ya asubuhi? - Nzuri sana.

Habari gani? - Salama tu.

Nyumbani wote hawajambo? - Hawajambo.

Jina lako ni nani? - Jina langu ni Yoko.

Unatoka wapi? - Ninatoka Osaka.

Kwa heri. - Kwa heri.

私は、基本的には「語学教師」体質で、これを何度も言って、何度も学生にリピートさせないと気がすまない。

毎年毎年、4月はあらたな気分で、Hujambo? - Sijambo.

バンバラ語は、テープを流して学生にリピートさせる。自分も一緒にリピートする。

I ni tilen. - Nba,i ni tilen.

I ni sɔgɔma. - Nse,i ni sɔgɔma.

I ka kɛnɛ wa? - Tɔɔrɔ tɛ.

Somɔgɔw ka kɛnɛ wa? - Tɔɔrɔ t'u la.

I tɔgɔ bɛ di? - Ne tɔgɔ ko Jigi.

I bɛ bɔ min? - Ne bɛ bɔ Mali.

K'an bɛn. - K'an bɛn.

これらの例文が、私の頭の中を、ずっと巡っていた4月でした。

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そのおかげか、朗報が一つ!

年明けから、「爆買い」していた『大人のカロリミット』ですが、もちろん、大方の想像通り、効果は見られておりません。史上最重体重ラインをはさんで、一進一退の攻防戦を繰り広げながら、3か月が経ちました。

効果が見られないどころか、毎日4粒飲み続けていたら、若干めまいのようなものを感じる時があって、飲むのを控えたり、3粒に減らして休み休みのんだり。爆買いカロリミットがまだ、大量に残っています。とほほ。

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そんなとほほ状態にもかかわらず、この4月からの1カ月で、気が付けば、2キロ減量という朗報が!

そう、これは、とりもなおさず、授業での大声発声のたまものなのでしょう。

アーンド、なんやかんやで、七海の件に対する母・神経消耗が効いたのでしょうか!?

ちょっと、やつれました、みたいな?

きゃぁ!(← 嬉しい悲鳴)

2018年3月30日 (金)

2つの卒業式

3月は卒業の月。

毎年こうして卒業式の報告をして、今年で12回目となります。

そして今年は、七海の小学校の卒業式も。

6年前のしょうとく園の卒園式では、思いもかけずに母・号泣という顛末でしたが、→ 「さよなら、しょうとく園」 さすがに小学校の卒業式は、あっさりと見守ることができました。

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小学校の卒業式というのは、在校生の5年生も含めて、何日も前から練習していて、きっちりと形式的に進められる。

卒業証書授与では、一人一人が順番に立ちあがって進み、所定の5か所の位置で立ち止まる手順になっている。

まずは舞台下で待機。その次に、舞台上手でこちらを向いて立つ。

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 舞台上手に漠然と立っている七海)

次に名前を呼ばれて、校長先生の前に立つ。卒業証書を受け取って、

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舞台下手に移動して、こちらを向いて立つ。

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 舞台下手で、次の生徒の名前が呼ばれるまで待つ)

その後、舞台から降りて、また立ち止まる。

この一連の流れで、卒業生一人一人が、長い時間「晴れ舞台」に立つことになり、シャッターチャンス、ビデオチャンスが長くとれることになる。うーん、なかなかうまくできた仕組みです。

そして、一人一人にセリフが割り当てられた「お別れの言葉」があり、5年生からの「さよならの言葉」がある。6年生が歌を歌い、5年生が歌を歌う。対面でやっているので、コール&レスポンス 的な、ちょっと感動的な場面です。

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 前列真ん中あたりの、一番背が低いのが七海。手前はレスポンス5年生。いや、コール5年生か。)

舞台上で、涙している女の子。別れの寂しさがこみあげているのが分かる。舞台横で涙を拭っている担任の先生。

思わずもらい泣きしそうになるが、ふとみると、きょとんとしている我が子。「卒業の悲しさ」という機微が、たぶん分からない様子。そういう「複雑」な感情には、まだついていけてないんだと思うと、ちょっとした淋しさにおそわれる。

まぁ、でも、うちの子は、普通の子とは違うのだし。

小学校に入学する時は、せめて、ひらがなでも書けるようになってくれたら。せめて、ひとけたの計算くらいができるようになってくれたら。と思っていたのだし。

そう思うと、この6年間の成長は想像以上のものだったし、いじめられたり疎外されたりすることも(たぶん)なく、楽しい小学校生活を送ってくれたと思っている。

七海が支援学級に入って以来、私は、私自身の小学校や中学校の、当時は「養護学級」と呼ばれていたクラスに在籍していた同級生たちのことを、よく思い出した。当時は、今ほど支援も行き届いていなかったし、おとなしい女の子はよく男子にいじめられていた。小学校の頃はそれでも、正義感あふれる女子たちが、いじめっ子に「やめたりぃやぁ!」と抗議していたが、中学校では、そういう関わりももう、あまりなかったように思う。

高校に行ったとしたら、たぶん支援学校に行って、その後、彼らはどうしているんだろうか、と折に触れて思う。たぶん、それは七海の今後の進路や将来のことを不安に思ってのことなのだけど。

40年前と違って、今の小学校や中学校の支援学級の指導は手厚く、普通級の生徒たちとの交流を促してくれたり、他校との交流会などもあって、七海はめいいっぱい充実した小学校生活を送ることができた。

幸いなことに、中学校は小学校の隣にあり、また、うちの小学校一校からの持ち上がりで、環境はさほど大きく変わることがない。こんどは「ひまわり学級」という支援学級でお世話になるが、これからの3年間も、これまでの6年間に劣らぬ「ジェットコースターぶり」が待っているような気がする、母の心情的に。

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たんぽぽ学級の先生方には、ほんとうにお世話になりました。

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大学の4年間もまた、大きな変革&成長の時期です。

この期間の途中では、それこそ「成人」というラインを越えるのだから、それなりに成長してもらわなければならないんだけどね、実際のところ。

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どの段階であっても、人が成長し、卒業して行く姿は、「希望」そのものです。

最近の卒業式では、いつの頃からか、女子は、式典では着物、謝恩会などのパーティでは洋装に着替える風潮に。私のころは、卒業式から謝恩会、そのあとの2次会まで、ずっと振袖着てたけど、それもまた、30年も前の話だから?

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 「やだぁ~、せんせぃ、パーティでは洋装に着替えるの、当然じゃありません?」


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 「そうですよ、先生っ。あ、私たち、ブラックフォーマルかぶり!」

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「やっだぁ~、せんせっ、私たちはOG! 同級生の卒業を祝いに来てあげたんですよ♪」

そう、両側の女子二人は、昨年、号泣しながら花束を渡してくれた卒業生。同級生であるS本君(写真真ん中)が、6年目にしてようやくご卒業の運びとなり、それを祝いにかけつけてくれたのでした。

気が付けば、七海が小学校に入学した時に、S本君もご入学。そして、今年・・・。

七海に、「これは、シ じゃなくて ツ!」とイライラしながら教え、「これは、ソみたいに見えるから、書き直し! ン、ね、ン!」と激昂していたように、S本君には、「これ、書き直し! 小論文、ぜんぜん論理的じゃないから!」、「早く修正版を提出して!」と、おこってばかりいたように思います。

そんな七海が、先生方から「ななみちゃんは、ほんとうによくがんばりました。勉強も遊びもいつも一生懸命がんばりました」と褒めてもらったように、私もS本君を褒めたいと思います。「スワヒリ語も、小論文も、卒論も、みんなよりはゆっくりだったけど、S本くんなりに、よくがんばりました」

どう指導していいか分からず、本当に悩んだ時期もありましたが(この私が!)、「教員はなくても、学生は育つ」。それぞれがそれぞれのペースで、必ずや成長していくんだから、こちらは、もっと気長に、おこらないで、ゆっくりと見守っていかなければなりませんね。学生さんも、我が子も。

S本君と我が子の成長&卒業がシンクロした、今年の卒業式でした。

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みんな、ほんとに、ご卒業おめでとう!

2017年6月30日 (金)

大学教育に関する考察 (という名の、ある日の衝撃体験メモ)

今週初めの新聞の書評欄に、『未来の学校:テスト教育は限界か』という本が紹介されていた。

書評を読んだだけで、その内容がほとんど分かってしまうのは、書評の文章がすぐれている、プラス、まぁ、当然と言えば当然の内容だからである。

著者はアメリカ人なので、アメリカのことが書かれているが、これはそのまま日本にもあてはまる。

一言で言うと、「重要なのは、知識の集積ではなく、思考力だ!」という主張です。

「現場で直接、思考力を働かせて課題を解決する能力が求められる」時代だからです。まぁ、産業界からの要請ですね。

この本の最初には、企業経営者たちへのインタビューが載っているらしく、これからの「知識経済」に求められる働き手の資質として、

「的を射た質問をする能力」
「相手の目を見て対等に議論できる能力」
「他人と強調しながら仕事を成し遂げる能力」が重要と言う。

「暗記ではなく、論理的に考え分析する能力」が大事なのです、と力説されている。

しかし、アメリカの学校教育をみると、「とくに公立学校は、知識の獲得を依然として主目的とし、その達成度を筆記試験でチェックする従来型から脱却できていない」ということらしい。あら、アメリカも日本と同じようなものなのね、と思う。

日本も、「知識の獲得」重視から、「思考力」重視へのシフトに躍起で、それは、4年後に大学入試を、「センター試験」から「思考力重視の試験」に移行しようという改革にも表れている。

新しい入試が、一体どういうものになるかは「見もの」ですが、まぁ、それくらい「知識の集積より思考力が大事!」というのが、浸透しつつあるということです。

となると、大学の授業でも、「知識の獲得を主目的とするのではなく、思考力を養うような授業を!」というプレッシャーがひたひたと押し寄せてくるわけで、「知識の伝達」を主目的とするような授業をしている私としては、「このような授業をしていて、いいのだろうか」と、疑問を抱くようになる。

卒論執筆を目的とするようなゼミは、まだいい。学生が自主的にテーマを決めて調べ、発表し、論文に仕上げる。 「思考力の涵養」を謳う本書でも、お勧めの授業形態である。

語学の授業も、まだいい。語学の「知識の獲得」を目的としているので、文法を説明し、単語を覚えさせ、練習問題を解かせて、語学力を身につけさせる。テストも、知識獲得の達成度をはかるバリバリの筆記試験で十分である。

問題は、講義科目の授業です。アフリカ言語学概論。こういった授業の目的をどのへんに定めたらいいのかが、悩みどころです。

アフリカの言語について講義する。 アフリカにはねぇ、こんな言語があってねぇ、こんな系統に分かれていてねぇ・・・。 ここの国ではこんな言語があって、あっちの国ではこんな公用語があって・・・。 こんな風に言語が使われていてねぇ。 こんな言語現象があってねぇ・・・。

しばらくすると、あちらこちらで、居眠りする姿が見受けられる。うぬぬ。

スマホをいじっている学生には、「スマホしまってください!」と注意するが、居眠りしている学生を起こすのは、ためらわれる。すみません、眠いよね、大して興味もない話、聞いてるだけじゃ眠くなるよね。眠くさせている私が悪いんです、という気分になる。

というわけで、少しでも眠気を誘わないような授業を、と思うのだけれど、これが難しい。ゼミのように毎回、発表やディスカッションができればいいのだけど、それだけでは講義の授業は回らず、どうしても「講義する」部分が必要になる。

そりゃぁ、いろんな講義の仕方がありましょう。すばらしく準備されたスライドに、映像や音響を伴ったスペクタクルな講義。熱意あふれる話術に知的好奇心が刺激され、ワクワクと耳を傾けたくなるような講義。

そんな講義ができない場合は、どうすればいいのでしょうか。こういう時に、「知識の獲得」を目的とする授業は便利です。 「はい、ここ、テストに出まーす」といえば、目をぱっちりと開けて、注目してくれる。いっそ、レポート課題をやめて、講義内容をテストする方法にするか? うーん、それだと、いつまでたっても、「知識の獲得を主目的とする授業」から脱却できないしなぁ。

まぁ、このように悶々としながら、まいど講義の授業を行っているわけですが、せめて、手でも動かしながら授業を聞けば、眠気を防げるのではないか、と考えてみる。

講義の内容を全部ノートに書き取る、という、なんだか明治時代的な講義風景は、望むべくもないが、少しでも書く作業を伴うようにと、資料のプリントを穴埋め式のものにして配布し、講義をする。

はい、ここ、official language 「公用語」ですね。セネガルの公用語は、はい、フランス語ですね。「フランス語」と入れておいてくださーい。広く話されている言語は、ウォロフ語。はい、「ウォロフ語」と書いておいてくださーい。何語族ですか? そう、「ニジェール・コンゴ語族」ですね。その中の? はい、そうです、「大西洋語派」に属しますね。「大西洋語派」と入れておいてくださーい。

うーん、結局、「知識の獲得」が主目的になってるなぁ、と思いながら授業をしていると、プリントに突っ伏して寝ている学生、発見。

寝ている子を起こすのは忍びないが、この場合、起こした後にやらせる作業があるので、起こしやい。近づいていって、肩を叩き、「はい、起きて。 はい、ここに書いてください、ここ。 ここ、ウォロフ語、ね。」とプリントを指さす。

すると、だるそうに起きた学生は、「書きたくありません」と言った。へっ!?

「こういう意味のないこと覚えるの、いやなんです。やる気になりません」

「意味ないって・・・。アフリカ言語学の授業だから、どこでどんな言語が話されているとか、どんな系統だとか、そういうのは一応覚えておいてもらわないと」

「そういう記号みたいなのを覚えるのが、苦痛なんです」

「苦痛って・・・。でも、中学や高校の授業って、こういう暗記みたいなことをする授業だらけだったんじゃないの?」

「はい、だから苦痛でした。興味のない、記号みたいなのを覚えるようなことは全部避けてきました」

「避けてきました、って、それじゃ、単位とか取れないんじゃない!?」

「だから、取らなくていい授業は取らなかったです」

そう言って再びプリントの上に突っ伏した学生に、私は言う言葉が見つかりませんでした。

わーおっ、もしかしてこれは、「知識の獲得より思考力の涵養をめざせ!」教育の完成形!?

常日頃からの 「この授業、思考力を養うというよりは、知識の集積に重きをおいてるなぁ~。どうしたらいいのかなぁ~」 という私の迷いの間隙を突かれた、衝撃の体験でありました。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆

はい、今日の講義のまとめでーす。

1.時代は、「知識の集積」よりも、「思考力の涵養」を求めている。

2.「思考力の涵養」に資する授業とは、どのような授業なんですか!? と教員たちは日々、自問している(と思う)。ゼミみたいな授業ばっかりも、できないし。

3.「ここ、テストに出まーす」というのは、興味のない授業を聞いている学生を引き付ける、有効的で安価な武器なのでした、実は。

4.その「武器」なくして戦うには、私はあまりにも旧態然とした授業しか知らず、日々悶々としながら、授業を続けるのでありました。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆

【イメージ図】 

<グループワークをおこないながら、活発に議論する学生たち>

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「こうして、思考力は養われるのでありました」 みたいな!?

2017年3月30日 (木)

卒業式の3月

月末にその月のことを振り返って記事を書くとなると、3月はやっぱり、卒業式のことになる。

今年は3月22日(水)が卒業式でした。

専任教員になって初めて卒業式に出席したのが、2007年。それから数えて今年は11回目の卒業式となりました。このブログを振り返っても、毎年3月には、何らかの形で卒業式のことに触れている。

去年は、七海の手術入院中のことで、外泊帰宅中になんとか卒業式に臨んだ。と思ったら、もうあれから1年! いやぁ~、なにごとも万事、時の流れの早すぎる、ばかりが感じられて・・・、ですね。

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今年の卒業生は22名。6回生が2人、5回生が13人、4回生が7人と、5年で卒業するのが主流である傾向はずっと続いている。

11回目ともなると、こちらの感慨は薄れていくし、学生さんとの距離も遠くなっていくように思うのですが、学生さんの側からしてみれば、初めての、そして最後の、唯一無二の卒業式。

大学生活の締めくくりでもあり、長かった「子ども時代」の終わりでもある。一番、多感で悩み多い時期を過ごし、すぐそこには「社会人」としての新しい生活が待っている、希望と不安、期待と寂寥が入り混じる日でもある。

スワヒリ語専攻では、「母」というか「伯母」というか、なんともビミョーに濃い関係の教員がどーんといて、「みんな家族みたいなもんだから!」と言われ続け、そのうち友人たちも、ホントの兄弟姉妹のように思えてきて、そんなきょうだいたちも、今日でお別れかと思うと、もう泣けて泣けて、「ほんっとに、みんな、ありがとう!」と、涙で肩を震わせることになる。

毎年、卒業生から教員への花束贈呈がありますが、こんなに号泣されたのは初めてでした。

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私も思わずもらい泣き。よく見ると、向こうの教員のところも、号泣大会だったようです。

こんな風に素直に泣きながら卒業していけるのは、「子ども時代」の締めくくりにふさわしいことかもしれません。

これまた毎年、卒業生から記念の品をいただきますが、今年は教員それぞれに、ゆかりのある国のTシャツに寄せ書きをしてくれました。私にはナイジェリアのTシャツを。

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このTシャツを、卒業旅行のナイジェリアで買ってきてくれたのは、5回生のT原くん。2度も私のヨルバ語の授業をとってくれ、それでも挨拶程度しか習得させることができなかったのは、すべて私の責任です。すまなかった、T原くん!

しかし、救いは、寄せ書きに <先生の授業はホンマにおもろかったです> と書いてくれたことでしょうか。ありがとう、T原くん!

彼は、なんのご縁か、「小森コーポレーション」という会社に勤めることになりました。報告を聞いた時は、そんな会社があるのか! と耳を疑いましたが、印刷機械を作っている会社で、ナイジェリアの紙幣を印刷したこともあるというから、世界は狭いような広いような、です。

学生さんたちがこれから出ていく社会は、私の知らない世界であり、また、まばゆいばかりの世界でもあります。その活躍を通じて、私にもその、広くまばゆい世界を見せてくれたら、と願っています。

とりあえず、「子ども時代」の終わり。ご卒業おめでとう。まだまだ心配の尽きない「子どもたち」ですが、立派な大人になった姿をまた、見せてくれたら嬉しいです。

2015年10月30日 (金)

10月の雑感

大学の後期が始まって一か月。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

雑感その1

10月、久しぶりに学生たちに会うと、夏休みを経てきた分、どこかしら成長を感じる。

女子学生は、一様にきれいになっている。「きれい」といっても人それぞれだけど、着る物がおしゃれになったとか、化粧が濃くなったとか、見た目の変化が著しい学生もいれば、子どもっぽさが減じたとか、「大人っぽい」あるいは「女性らしい」雰囲気をまとうようになったとか、そんな感じの学生さんもいる。

男子学生は、見た目の変化はあまりないし、下級生たちは相変わらず「子どもっぽさ」が残るままだが、上級生たち、特に就活を経てきた学生たちは、一様に「しっかり」した感じになっている。

提出物の締め切りを守れだとか、ちゃんと連絡を取れだとか、さんざん叱ってきたことが嘘のように、叱ることがなくなっている。第一、メールの文面からして、「しっかり」を通り越して、営業マンかというような文面になっている。

こちらとしては、さんざん「お世話」しているつもりの学生から、「いつもお世話になっています」と書かれては、「なんだかなぁ~」という気分にはなるが、まぁ、それでも、そういう丁寧なメールを書こうという態度に育ってくれたのは、就職活動のおかげかと思うので、学生の成長にとっては「就活さまさま」だなぁ、という感じである。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

雑感その2

先日、大学時代の友人たちがキャンパスに遊びにきてくれた。フランスにお住いのK子さんが一時帰国するのに合わせて、「移転前の旧外大を見ておこう!」プランが決行されたわけだが、なつかしのキャンパスを見て回って、「この建物って何?」と図書館を丸ごとお忘れになっていたS子さんの感想もかなり鮮烈でありましたが、T内さんの「え~、墓石階段って、こんなに狭かったっけぇ~?」という感想も、なかなかに味わい深いものがありました。

卒業した母校を訪れ、それが、こんなに狭かった、あるいは小さかった!? という感想をもつことは、しばしばあることですが、それは、小学生の目には大きかった建物が、成長するに及んで小さく見えるようになった、という物理的な現象を指すものとばかり思っていましたが、T内さんの感想を聞いて、「あぁ、そうでもないんだなぁ」と思いました。

大学時代は、こんな辺鄙で不便、狭くて薄ら寂しいキャンパスでも、学生生活のすべてがここにあった。成長途上の自分が未来の自分をみつめ、まだ見ぬ世界を夢見る場所だった。そういう意味では、人生の輝ける時間が詰まった、とても「広大な」世界だったのだ。

ここを去って違う世界に行き、別の人生を歩むようになると、そんな「広大さ」は、夢の泡のように消えてしまうんだね、きっと。

でもまぁ、それが、人の成長っていうもんですよね。なじんだ場所を離れていってこそ人は成長する、って、そういえば昔、そんな風に思ったことがあったなぁ。

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 「墓石階段」
私たちが学生の頃は、真ん中の手擦りがなかったので、それで小さくみえたのかな、とも思いましたが。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

雑感その3

で、私自身は、なじんだ場所にいつまでもグズグズと居続けているわけだが、あの頃に夢見た自分とはずいぶん違うことになっている。まずもって大学の教員というのは夢のかけらにもなかったが、さらに、そこで一番熱心に指導することになったのが「小論文」というのも、なんだか妙な巡り合わせである。

小論文を「熱心に指導」というと、ちょっと語弊があるな・・・。

「どう書いたらいいか分かりません」という学生をなだめすかして書かせ、提出してこない学生をおどしたりすかしたりしながら催促し、書いてきたものを添削して書き直させ、早く修正版を送れとまた催促し、あー、もう、これ以上添削したら、嫌気がさして投げ出してしまうだろうなぁと思ったり、とにかく、一番苦心させられる、一番心砕かされるのが、小論文の指導なのだ。

添削したものを返して書き直させると、私が赤を入れた部分だけを修正してくる。いや、だから、ここの部分がちょっとつながりがおかしいから、この部分の言葉だけを変えるんじゃなくて、全体の流れを見直して欲しいんだけど。 だからぁ、全体の構成や主張からしておかしいから、考え直して欲しいんだけど! っていう気持ちを全部ぶつけると、学生さんはきっと本当に嫌になってしまうだろうから、全部は言わないけど、でも、でも、でも。 と、いつも指導が悶々である。

で、そのような悶々の先日、自分が書いた論文の査読結果が送られてきた。「査読結果」と言っても、要は論文の添削みたいなもので、私の書いた論文の随所に、ここは何? これはどういうこと? ここはこうでは? といったコメントが付されているのである。

あっちゃ~、ここが分からんかぁ。はぁ~、これはそういう意味じゃないんだけどなぁ。

まったく不承不承のまま、修正を始める。そして、修正しながら気づく。はい、そうです。学生さんと同じように、指摘された個所だけを修正している私。最低限の修正だけでやり過ごそうとしている私。気分はすっかり学生さんである。うん、うん、分かるよ、分かるよ。君たちの気持ちはよ~く、分かったよ。

さすがに、部分的な文言の修正では、かえって全体のバランスが悪くなることは分かる。分かっているが、これは学生さんが書く1頁の小論文とは違うんです! 22頁もある論文なんです! 今からこれを全体に修正するなんて、もう、無理なんです!

こうして、締め切り日を迎えた修正原稿は送られるのでありました。

ということで、こんな風に学生さんたちは小論文課題をやりくりしているのね、と気づきつつも、やっぱり小論文の指導について悶々とする日々が続きそうな10月末なのでした。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

10月は毎年、卒業アルバム撮影というのがある。
で、スワヒリ語専攻の3,4年生たちと集合写真を撮りました。

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大人っぽくなったような? 
まだ子供っぽいままのような? 教員も・・・?

2015年6月30日 (火)

さよなら、母校

前回の記事のコメントに、なつかしき我が大阪外大空手部時代の同窓生からコメントをいただきました。半年前くらいには、同じく空手部の同級生「くりちゃん」から、「ブログみつけてメールしています」と、30年ぶりくらいの嬉しい音信があった。
 

いつ思い出しても懐かしい大阪外大時代。思い出すのは、同級生たちとの楽しい学生生活や、空手部で過ごした放課後生活。そしてその背景は、山深く、交通の便が悪く、時に閑散とした空気に満ちる寂しい箕面キャンパス。
 

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結局30年以上も、そのキャンパスに通い続けることになったわけですが、ついに、ついに、この箕面キャンパスともお別れする日が、見えてきました。
 

先日、大阪大学が箕面キャンパスの移転計画を発表した。御堂筋線から続く「北大阪急行線」が千里中央よりさらに北に延びることになり、それに伴ってできる新駅「箕面船場駅」の駅前、というか駅横に、どーんと「都市型キャンパス」を作るという計画である。
 

そこに2021年に移転するというのだから、今の箕面キャンパスとも、あと6年でお別れ。
 

と言っても、まったく実感がわかないし、それがいいんだか悪いんだかも、まだよく分からない。
 

マスコミ発表前に、教員に向けての説明会があったけど、「まだ正式に決定していないのでご内密に」という話で、聞いている方は、「え、ほんまかいな?」という感じだった。

「総長選真っ最中のこの時期に、なぜ説明会?」という穿った見方もちらついて、まったく現実味はなかった。
 

それが2週間そこそこで、オフィシャルに発表されるに至り、「えー、ほんとだったんだ!」という感じ。
 

新キャンパスの予想図

Photo

グランドもなく、「懐かしの学び舎」といった風情もなく、駅前のサテライト的学舎での大学生活というものがどういうものになるのか、ちょっと想像できませんが、感傷に浸るのは「旧人類」たちであって、そこに通う「超新人類」くんたちにとっては、それが「当り前」の大学生活になるのかもしれませんね。

今の学生さんたちは、この話を聞き及ぶに、少し複雑な表情を見せはするけれど、「でも、やっぱり、ここは不便すぎますしねぇ」というのが、だいたいの感想のようである。

そう、「なつかしの母校がなくなる」という感傷と同じくらい、「でも、ここは不便なところだからなぁ」という実感も、いなめない。

旧大阪外大は、私が入学する3年前の1979年に、大阪市内の超便利な「都心」から、この不便な箕面キャンパスに移転してきた。当時の諸先輩方は、ただでさえ「なつかしの母校がなくなる」感傷満々の上に、「なんでこんな不便で、うすら寂しいキャンパスへ!?」と、きっと嘆きも深かったに違いない。

「都心回帰」の念願を、いざ果たさん! ということでしょうか。42年の時を経て、都心からまっすぐに伸びる御堂筋線の延長線上の駅前に、なんとかこれで「都心回帰」ということで! というようなキャンパス移転となった。

ということで、なつかしの同窓生のみなさん、あと6年のうちに、ぜひ一度、母校の見納めにいらしてね。 ・・・と言ってみたものの、でも、もう、そこに、懐かしの学生生活があるわけではないのも、分かっていますが。

すべては思い出の中に。

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友たちとの楽しい学生生活も、若かった在りし日の自分の姿も、すべては思い出の中に。

そこには、永遠に消えることのない、ちょっと不便で寂しい箕面キャンパスと、輝く未来を夢見ていた学生時代の姿が、ずっと変わらず残っている。

すべては私たちの思い出の中だけに。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

(大学からのオフィシャルの発表は → こちら )

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