大学生活

2017年6月30日 (金)

大学教育に関する考察 (という名の、ある日の衝撃体験メモ)

今週初めの新聞の書評欄に、『未来の学校:テスト教育は限界か』という本が紹介されていた。 → その書評のさわり

書評を読んだだけで、その内容がほとんど分かってしまうのは、書評の文章がすぐれている、プラス、まぁ、当然と言えば当然の内容だからである。

著者はアメリカ人なので、アメリカのことが書かれているが、これはそのまま日本にもあてはまる。

一言で言うと、「重要なのは、知識の集積ではなく、思考力だ!」という主張です。

「現場で直接、思考力を働かせて課題を解決する能力が求められる」時代だからです。まぁ、産業界からの要請ですね。

この本の最初には、企業経営者たちへのインタビューが載っているらしく、これからの「知識経済」に求められる働き手の資質として、

「的を射た質問をする能力」
「相手の目を見て対等に議論できる能力」
「他人と強調しながら仕事を成し遂げる能力」が重要と言う。

「暗記ではなく、論理的に考え分析する能力」が大事なのです、と力説されている。

しかし、アメリカの学校教育をみると、「とくに公立学校は、知識の獲得を依然として主目的とし、その達成度を筆記試験でチェックする従来型から脱却できていない」ということらしい。あら、アメリカも日本と同じようなものなのね、と思う。

日本も、「知識の獲得」重視から、「思考力」重視へのシフトに躍起で、それは、4年後に大学入試を、「センター試験」から「思考力重視の試験」に移行しようという改革にも表れている。

新しい入試が、一体どういうものになるかは「見もの」ですが、まぁ、それくらい「知識の集積より思考力が大事!」というのが、浸透しつつあるということです。

となると、大学の授業でも、「知識の獲得を主目的とするのではなく、思考力を養うような授業を!」というプレッシャーがひたひたと押し寄せてくるわけで、「知識の伝達」を主目的とするような授業をしている私としては、「このような授業をしていて、いいのだろうか」と、疑問を抱くようになる。

卒論執筆を目的とするようなゼミは、まだいい。学生が自主的にテーマを決めて調べ、発表し、論文に仕上げる。 「思考力の涵養」を謳う本書でも、お勧めの授業形態である。

語学の授業も、まだいい。語学の「知識の獲得」を目的としているので、文法を説明し、単語を覚えさせ、練習問題を解かせて、語学力を身につけさせる。テストも、知識獲得の達成度をはかるバリバリの筆記試験で十分である。

問題は、講義科目の授業です。アフリカ言語学概論。こういった授業の目的をどのへんに定めたらいいのかが、悩みどころです。

アフリカの言語について講義する。 アフリカにはねぇ、こんな言語があってねぇ、こんな系統に分かれていてねぇ・・・。 ここの国ではこんな言語があって、あっちの国ではこんな公用語があって・・・。 こんな風に言語が使われていてねぇ。 こんな言語現象があってねぇ・・・。

しばらくすると、あちらこちらで、居眠りする姿が見受けられる。うぬぬ。

スマホをいじっている学生には、「スマホしまってください!」と注意するが、居眠りしている学生を起こすのは、ためらわれる。すみません、眠いよね、大して興味もない話、聞いてるだけじゃ眠くなるよね。眠くさせている私が悪いんです、という気分になる。

というわけで、少しでも眠気を誘わないような授業を、と思うのだけれど、これが難しい。ゼミのように毎回、発表やディスカッションができればいいのだけど、それだけでは講義の授業は回らず、どうしても「講義する」部分が必要になる。

そりゃぁ、いろんな講義の仕方がありましょう。すばらしく準備されたスライドに、映像や音響を伴ったスペクタクルな講義。熱意あふれる話術に知的好奇心が刺激され、ワクワクと耳を傾けたくなるような講義。

そんな講義ができない場合は、どうすればいいのでしょうか。こういう時に、「知識の獲得」を目的とする授業は便利です。 「はい、ここ、テストに出まーす」といえば、目をぱっちりと開けて、注目してくれる。いっそ、レポート課題をやめて、講義内容をテストする方法にするか? うーん、それだと、いつまでたっても、「知識の獲得を主目的とする授業」から脱却できないしなぁ。

まぁ、このように悶々としながら、まいど講義の授業を行っているわけですが、せめて、手でも動かしながら授業を聞けば、眠気を防げるのではないか、と考えてみる。

講義の内容を全部ノートに書き取る、という、なんだか明治時代的な講義風景は、望むべくもないが、少しでも書く作業を伴うようにと、資料のプリントを穴埋め式のものにして配布し、講義をする。

はい、ここ、official language 「公用語」ですね。セネガルの公用語は、はい、フランス語ですね。「フランス語」と入れておいてくださーい。広く話されている言語は、ウォロフ語。はい、「ウォロフ語」と書いておいてくださーい。何語族ですか? そう、「ニジェール・コンゴ語族」ですね。その中の? はい、そうです、「大西洋語派」に属しますね。「大西洋語派」と入れておいてくださーい。

うーん、結局、「知識の獲得」が主目的になってるなぁ、と思いながら授業をしていると、プリントに突っ伏して寝ている学生、発見。

寝ている子を起こすのは忍びないが、この場合、起こした後にやらせる作業があるので、起こしやい。近づいていって、肩を叩き、「はい、起きて。 はい、ここに書いてください、ここ。 ここ、ウォロフ語、ね。」とプリントを指さす。

すると、だるそうに起きた学生は、「書きたくありません」と言った。へっ!?

「こういう意味のないこと覚えるの、いやなんです。やる気になりません」

「意味ないって・・・。アフリカ言語学の授業だから、どこでどんな言語が話されているとか、どんな系統だとか、そういうのは一応覚えておいてもらわないと」

「そういう記号みたいなのを覚えるのが、苦痛なんです」

「苦痛って・・・。でも、中学や高校の授業って、こういう暗記みたいなことをする授業だらけだったんじゃないの?」

「はい、だから苦痛でした。興味のない、記号みたいなのを覚えるようなことは全部避けてきました」

「避けてきました、って、それじゃ、単位とか取れないんじゃない!?」

「だから、取らなくていい授業は取らなかったです」

そう言って再びプリントの上に突っ伏した学生に、私は言う言葉が見つかりませんでした。

わーおっ、もしかしてこれは、「知識の獲得より思考力の涵養をめざせ!」教育の完成形!?

常日頃からの 「この授業、思考力を養うというよりは、知識の集積に重きをおいてるなぁ~。どうしたらいいのかなぁ~」 という私の迷いの間隙を突かれた、衝撃の体験でありました。

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はい、今日の講義のまとめでーす。

1.時代は、「知識の集積」よりも、「思考力の涵養」を求めている。

2.「思考力の涵養」に資する授業とは、どのような授業なんですか!? と教員たちは日々、自問している(と思う)。ゼミみたいな授業ばっかりも、できないし。

3.「ここ、テストに出まーす」というのは、興味のない授業を聞いている学生を引き付ける、有効的で安価な武器なのでした、実は。

4.その「武器」なくして戦うには、私はあまりにも旧態然とした授業しか知らず、日々悶々としながら、授業を続けるのでありました。

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【イメージ図】 

<グループワークをおこないながら、活発に議論する学生たち>

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「こうして、思考力は養われるのでありました」 みたいな!?

2017年3月30日 (木)

卒業式の3月

月末にその月のことを振り返って記事を書くとなると、3月はやっぱり、卒業式のことになる。

今年は3月22日(水)が卒業式でした。

専任教員になって初めて卒業式に出席したのが、2007年。それから数えて今年は11回目の卒業式となりました。このブログを振り返っても、毎年3月には、何らかの形で卒業式のことに触れている。

去年は、七海の手術入院中のことで、外泊帰宅中になんとか卒業式に臨んだ。と思ったら、もうあれから1年! いやぁ~、なにごとも万事、時の流れの早すぎる、ばかりが感じられて・・・、ですね。

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今年の卒業生は22名。6回生が2人、5回生が13人、4回生が7人と、5年で卒業するのが主流である傾向はずっと続いている。

11回目ともなると、こちらの感慨は薄れていくし、学生さんとの距離も遠くなっていくように思うのですが、学生さんの側からしてみれば、初めての、そして最後の、唯一無二の卒業式。

大学生活の締めくくりでもあり、長かった「子ども時代」の終わりでもある。一番、多感で悩み多い時期を過ごし、すぐそこには「社会人」としての新しい生活が待っている、希望と不安、期待と寂寥が入り混じる日でもある。

スワヒリ語専攻では、「母」というか「伯母」というか、なんともビミョーに濃い関係の教員がどーんといて、「みんな家族みたいなもんだから!」と言われ続け、そのうち友人たちも、ホントの兄弟姉妹のように思えてきて、そんなきょうだいたちも、今日でお別れかと思うと、もう泣けて泣けて、「ほんっとに、みんな、ありがとう!」と、涙で肩を震わせることになる。

毎年、卒業生から教員への花束贈呈がありますが、こんなに号泣されたのは初めてでした。

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私も思わずもらい泣き。よく見ると、向こうの教員のところも、号泣大会だったようです。

こんな風に素直に泣きながら卒業していけるのは、「子ども時代」の締めくくりにふさわしいことかもしれません。

これまた毎年、卒業生から記念の品をいただきますが、今年は教員それぞれに、ゆかりのある国のTシャツに寄せ書きをしてくれました。私にはナイジェリアのTシャツを。

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このTシャツを、卒業旅行のナイジェリアで買ってきてくれたのは、5回生のT原くん。2度も私のヨルバ語の授業をとってくれ、それでも挨拶程度しか習得させることができなかったのは、すべて私の責任です。すまなかった、T原くん!

しかし、救いは、寄せ書きに <先生の授業はホンマにおもろかったです> と書いてくれたことでしょうか。ありがとう、T原くん!

彼は、なんのご縁か、「小森コーポレーション」という会社に勤めることになりました。報告を聞いた時は、そんな会社があるのか! と耳を疑いましたが、印刷機械を作っている会社で、ナイジェリアの紙幣を印刷したこともあるというから、世界は狭いような広いような、です。

学生さんたちがこれから出ていく社会は、私の知らない世界であり、また、まばゆいばかりの世界でもあります。その活躍を通じて、私にもその、広くまばゆい世界を見せてくれたら、と願っています。

とりあえず、「子ども時代」の終わり。ご卒業おめでとう。まだまだ心配の尽きない「子どもたち」ですが、立派な大人になった姿をまた、見せてくれたら嬉しいです。

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おまけ: で、「どんな会社なんだ?」と調べてみたら、内定者・T原くんのインタビューが載っていました。今さら伏字にする理由もないですが、T原くんのインタビューは → こちら

2015年10月30日 (金)

10月の雑感

大学の後期が始まって一か月。

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雑感その1

10月、久しぶりに学生たちに会うと、夏休みを経てきた分、どこかしら成長を感じる。

女子学生は、一様にきれいになっている。「きれい」といっても人それぞれだけど、着る物がおしゃれになったとか、化粧が濃くなったとか、見た目の変化が著しい学生もいれば、子どもっぽさが減じたとか、「大人っぽい」あるいは「女性らしい」雰囲気をまとうようになったとか、そんな感じの学生さんもいる。

男子学生は、見た目の変化はあまりないし、下級生たちは相変わらず「子どもっぽさ」が残るままだが、上級生たち、特に就活を経てきた学生たちは、一様に「しっかり」した感じになっている。

提出物の締め切りを守れだとか、ちゃんと連絡を取れだとか、さんざん叱ってきたことが嘘のように、叱ることがなくなっている。第一、メールの文面からして、「しっかり」を通り越して、営業マンかというような文面になっている。

こちらとしては、さんざん「お世話」しているつもりの学生から、「いつもお世話になっています」と書かれては、「なんだかなぁ~」という気分にはなるが、まぁ、それでも、そういう丁寧なメールを書こうという態度に育ってくれたのは、就職活動のおかげかと思うので、学生の成長にとっては「就活さまさま」だなぁ、という感じである。

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雑感その2

先日、大学時代の友人たちがキャンパスに遊びにきてくれた。フランスにお住いのK子さんが一時帰国するのに合わせて、「移転前の旧外大を見ておこう!」プランが決行されたわけだが、なつかしのキャンパスを見て回って、「この建物って何?」と図書館を丸ごとお忘れになっていたS子さんの感想もかなり鮮烈でありましたが、T内さんの「え~、墓石階段って、こんなに狭かったっけぇ~?」という感想も、なかなかに味わい深いものがありました。

卒業した母校を訪れ、それが、こんなに狭かった、あるいは小さかった!? という感想をもつことは、しばしばあることですが、それは、小学生の目には大きかった建物が、成長するに及んで小さく見えるようになった、という物理的な現象を指すものとばかり思っていましたが、T内さんの感想を聞いて、「あぁ、そうでもないんだなぁ」と思いました。

大学時代は、こんな辺鄙で不便、狭くて薄ら寂しいキャンパスでも、学生生活のすべてがここにあった。成長途上の自分が未来の自分をみつめ、まだ見ぬ世界を夢見る場所だった。そういう意味では、人生の輝ける時間が詰まった、とても「広大な」世界だったのだ。

ここを去って違う世界に行き、別の人生を歩むようになると、そんな「広大さ」は、夢の泡のように消えてしまうんだね、きっと。

でもまぁ、それが、人の成長っていうもんですよね。なじんだ場所を離れていってこそ人は成長する、って、そういえば昔、そんな風に思ったことがあったなぁ。

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upwardright 「墓石階段」
私たちが学生の頃は、真ん中の手擦りがなかったので、それで小さくみえたのかな、とも思いましたが。

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雑感その3

で、私自身は、なじんだ場所にいつまでもグズグズと居続けているわけだが、あの頃に夢見た自分とはずいぶん違うことになっている。まずもって大学の教員というのは夢のかけらにもなかったが、さらに、そこで一番熱心に指導することになったのが「小論文」というのも、なんだか妙な巡り合わせである。

小論文を「熱心に指導」というと、ちょっと語弊があるな・・・。

「どう書いたらいいか分かりません」という学生をなだめすかして書かせ、提出してこない学生をおどしたりすかしたりしながら催促し、書いてきたものを添削して書き直させ、早く修正版を送れとまた催促し、あー、もう、これ以上添削したら、嫌気がさして投げ出してしまうだろうなぁと思ったり、とにかく、一番苦心させられる、一番心砕かされるのが、小論文の指導なのだ。

添削したものを返して書き直させると、私が赤を入れた部分だけを修正してくる。いや、だから、ここの部分がちょっとつながりがおかしいから、この部分の言葉だけを変えるんじゃなくて、全体の流れを見直して欲しいんだけど。 だからぁ、全体の構成や主張からしておかしいから、考え直して欲しいんだけど! っていう気持ちを全部ぶつけると、学生さんはきっと本当に嫌になってしまうだろうから、全部は言わないけど、でも、でも、でも。 と、いつも指導が悶々である。

で、そのような悶々の先日、自分が書いた論文の査読結果が送られてきた。「査読結果」と言っても、要は論文の添削みたいなもので、私の書いた論文の随所に、ここは何? これはどういうこと? ここはこうでは? といったコメントが付されているのである。

あっちゃ~、ここが分からんかぁ。はぁ~、これはそういう意味じゃないんだけどなぁ。

まったく不承不承のまま、修正を始める。そして、修正しながら気づく。はい、そうです。学生さんと同じように、指摘された個所だけを修正している私。最低限の修正だけでやり過ごそうとしている私。気分はすっかり学生さんである。うん、うん、分かるよ、分かるよ。君たちの気持ちはよ~く、分かったよ。

さすがに、部分的な文言の修正では、かえって全体のバランスが悪くなることは分かる。分かっているが、これは学生さんが書く1頁の小論文とは違うんです! 22頁もある論文なんです! 今からこれを全体に修正するなんて、もう、無理なんです!

こうして、締め切り日を迎えた修正原稿は送られるのでありました。

ということで、こんな風に学生さんたちは小論文課題をやりくりしているのね、と気づきつつも、やっぱり小論文の指導について悶々とする日々が続きそうな10月末なのでした。

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10月は毎年、卒業アルバム撮影というのがある。
で、スワヒリ語専攻の3,4年生たちと集合写真を撮りました。

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大人っぽくなったような? 
まだ子供っぽいままのような? 教員も・・・?

2015年6月30日 (火)

さよなら、母校

前回の記事のコメントに、なつかしき我が大阪外大空手部時代の同窓生からコメントをいただきました。半年前くらいには、同じく空手部の同級生「くりちゃん」から、「ブログみつけてメールしています」と、30年ぶりくらいの嬉しい音信があった。
 

いつ思い出しても懐かしい大阪外大時代。思い出すのは、同級生たちとの楽しい学生生活や、空手部で過ごした放課後生活。そしてその背景は、山深く、交通の便が悪く、時に閑散とした空気に満ちる寂しい箕面キャンパス。
 

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結局30年以上も、そのキャンパスに通い続けることになったわけですが、ついに、ついに、この箕面キャンパスともお別れする日が、見えてきました。
 

先日、大阪大学が箕面キャンパスの移転計画を発表した。御堂筋線から続く「北大阪急行線」が千里中央よりさらに北に延びることになり、それに伴ってできる新駅「箕面船場駅」の駅前、というか駅横に、どーんと「都市型キャンパス」を作るという計画である。
 

そこに2021年に移転するというのだから、今の箕面キャンパスとも、あと6年でお別れ。
 

と言っても、まったく実感がわかないし、それがいいんだか悪いんだかも、まだよく分からない。
 

マスコミ発表前に、教員に向けての説明会があったけど、「まだ正式に決定していないのでご内密に」という話で、聞いている方は、「え、ほんまかいな?」という感じだった。

「総長選真っ最中のこの時期に、なぜ説明会?」という穿った見方もちらついて、まったく現実味はなかった。
 

それが2週間そこそこで、オフィシャルに発表されるに至り、「えー、ほんとだったんだ!」という感じ。
 

downwardright 新キャンパスの予想図

Photo

グランドもなく、「懐かしの学び舎」といった風情もなく、駅前のサテライト的学舎での大学生活というものがどういうものになるのか、ちょっと想像できませんが、感傷に浸るのは「旧人類」たちであって、そこに通う「超新人類」くんたちにとっては、それが「当り前」の大学生活になるのかもしれませんね。

今の学生さんたちは、この話を聞き及ぶに、少し複雑な表情を見せはするけれど、「でも、やっぱり、ここは不便すぎますしねぇ」というのが、だいたいの感想のようである。

そう、「なつかしの母校がなくなる」という感傷と同じくらい、「でも、ここは不便なところだからなぁ」という実感も、いなめない。

旧大阪外大は、私が入学する3年前の1979年に、大阪市内の超便利な「都心」から、この不便な箕面キャンパスに移転してきた。当時の諸先輩方は、ただでさえ「なつかしの母校がなくなる」感傷満々の上に、「なんでこんな不便で、うすら寂しいキャンパスへ!?」と、きっと嘆きも深かったに違いない。

「都心回帰」の念願を、いざ果たさん! ということでしょうか。42年の時を経て、都心からまっすぐに伸びる御堂筋線の延長線上の駅前に、なんとかこれで「都心回帰」ということで! というようなキャンパス移転となった。

ということで、なつかしの同窓生のみなさん、あと6年のうちに、ぜひ一度、母校の見納めにいらしてね。 ・・・と言ってみたものの、でも、もう、そこに、懐かしの学生生活があるわけではないのも、分かっていますが。

すべては思い出の中に。

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友たちとの楽しい学生生活も、若かった在りし日の自分の姿も、すべては思い出の中に。

そこには、永遠に消えることのない、ちょっと不便で寂しい箕面キャンパスと、輝く未来を夢見ていた学生時代の姿が、ずっと変わらず残っている。

すべては私たちの思い出の中だけに。

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(大学からのオフィシャルの発表は → こちら )

2015年3月30日 (月)

また卒業式が終わって

3月25日は卒業式だった。

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毎年必ず3月25日なので、いい加減ルーティン化して、感慨も薄くなっていくんじゃないかと思っていたけれど、「あー、そんなことないなぁ」 と、あらためて思った。

毎年、「もう、こんなに、可愛いと思える学生さんたちに会うことはないんじゃないか」 と思ってきたけど、今年もまた、「あー、こんなに可愛いと思える学生さんたちとは、もう会うこともないんじゃないか」 と思ったので、きっとこうして、毎年あらたな気持ちと淋しさで、卒業式が繰り返されていくんだなぁ、と思う。

学生さんとの関係は、1年生よりは2年生、2年生よりは3年生、と深まっていくけれど、やっぱり4年生での卒論をめぐっての苦労が、こちらの思い入れが強くなる分、ぐっと距離を縮めてくれるように思う。それに、4年生は就活を通して成長するので、少しは「大人」として共感し合えるようになるし、ね。

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毎年、卒業生が花束や記念品をくれる。

今年も花束や記念のマグカップとともに、ゼミ生が長めのメッセージを書いたアルバムをくれた。

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卒業パーティで泣き笑いの最後の時を過ごした後に、家に帰って一人、それらのメッセージを読む時、「あー、これで終ったんだなぁ」 と、いつもしみじみとしんみりする。

メッセージは思い出や感謝にあふれていて、どの学生さんからも、それぞれの想いは伝わってくるのだけれど、その中でも、「あー、こんな風に感じ、こんなことを学んでくれたんだ」 と思うメッセージがあった。

その一節を、(書いてくれた学生さんへの感謝を込めて)引用させてもらうと。

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜★

<先生のゼミで、日常にあふれる様々な問題に関して、自分なりのことばで文章を書き、皆に聞いてもらい、そして沢山のユニークな考えを聞く。あの時間がとても幸せでした。

日常に対して細やかに気を配って生きること。それぞれの思いに敬意を払うこと。隣にいる人への優しさを忘れないこと。結局何をするにしても、こういったことが実は一番大切なことなのだと、あの時間 何度も感じました。>

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜★

あぁ、こんな風にして、学生さんは自分で学び、思ってもみなかったようなことを、しかも、人生においてきっと、とても大事なことを、自分でつかみとっていってくれるんだ、と感慨深く思った。

私の性格からして、決して「熱心な」指導者ではなかったし、かなり放ったらかしにしていたし、ゼミでの議論もそれほど活発だったわけでもない。

でも、必ず何か学ぶものがあるんだね、どんな授業からでも、どんな環境にあっても。

大学というところは、そういうところなんだ、学生さんたちはこうやって自分で成長していくんだ、とあらためて思った。

そんな成長を目撃することができて、そして、そんな成長の現場に一緒にいることができて、私も幸せでした。

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upwardright J:「はい、終わり、終わりっ。 みなさん、 さよなら!」

学生:「えっ、そんな、あっさり、終わり!?」

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜


4月からは、皆それぞれ、新しい場所で、新たな道を、まっすぐに歩んで行ってくれたら、と思います。

私はまた、同じ場所で、新しくやって来る「子ども」たちの世話を、一から始めたいと思います。 卒業の時をめざして。

2014年6月29日 (日)

仕事の流儀

と言えば、NHKの番組『プロフェッショナル』みたいだが、私には特に「仕事の流儀」と呼べるようなものはない。

番組の最後には、いつも、「プロフェッショナルとは、」という問いに対して、たとえば、「自分を信じて、ぶれないこと」とか、「やらなければならないことを淡々とやるだけ」とか、「相手の力を信じて最後まであきらめない」とか、「挑戦しつづけること」とか、その道を極めている人たちの信念の言葉が語られる。

私がマイクを向けられたら、なんと答えましょうか。
「そうですねぇ~、学生が寝ない授業、これを目指すのがプロフェッショナルですかね」と言っている背景に、先日の10人くらいの講義の授業風景が写し出され、後ろの二人くらいが爆睡している様子がクローズアップされて、フェイドアウト・・・。ま、私は、本物の「プロフェッショナル」では、ありませんからっ!(逆切れ的)

そんな私でも、「仕事の流儀」について考えさせられることがある。それは、人に仕事を頼んでやってもらう時なんかである。

おととしから学会誌の編集委員をしている。学会誌の編集委員というのは、投稿されてきた論文を審査するために、査読をしてくれる人を探して依頼し、査読者が出した結果をもとに掲載の可否を判定する、というのが主な仕事である。その中でも、特に「主な」仕事は、査読者に依頼のメールを書くというのと、査読結果を受け取る、ということになる。

査読者というのは、論文の内容に近い専門家を選ぶが、知り合いの場合もあれば、全然面識のない人の場合もある。ま、しかし、いずれにしても、査読依頼というのは、問題なくすすむ。面識のない人にはやや長い丁寧なメールを書かなければならないが、それもまぁ、問題はない。たいていは、快く査読を引き受けてくれるが、忙しい人は「忙しくてお引き受けできません」と断ってくる。しかし、それならそれで、別の査読者にあたるので、特に問題ではない。

問題は、査読結果をいただく時である。だいたい1カ月半をめどに、「〇月〇日までに結果をいただけましたら幸いです」と締め切りを設定して査読論文を送る。

これまでの大まかな印象によると、〇月〇日までに査読結果を送ってくれる人が半分、〇月〇日以降になる人が半分、といったところだ。

「以降」組はさらに2つの班に分けられる。単に〇月〇日を過ぎてから送ってくる、あるいは、「すみません! 忙しくてちょっと間に合いませんでした。もうしばらくお待ちください!」的なメールが来てから後日、査読結果を送ってくる班と、〇月〇日のさらに半月後くらいに、こちらから催促のメールを送ってようやく、「(あ、しまった、忘れてた!)遅くなってすみません!」と、あわてて査読結果を送ってくる班である。

査読は無償のボランティアの作業なので、結果を送ってくださるだけでありがたい。「忘れてた!班」の方にも、丁重にお礼を申し上げる。「もうしばらくお待ちください!班」の方には、「ほんとうにお忙しい中・・・、」と、さらにお礼は丁寧になる。

このような「以降組」に対しても、不満よりは「よくぞ送ってくれました」感の方が強いから、〇月〇日以前に送ってくれる「締切厳守実行組」の方には、さらに敬意と感謝の念が強くなる。

「締切厳守実行組」もさらに、「〇月〇日ちょっと前班」と「〇月〇日オンタイム班」に分かれるが、どちらの班の人も、査読結果を送ってくれる時は、「査読結果を送ります」というメールの文面が、たいへん「凜」としていて、こちらはただただ、ひれ伏してお礼を申し上げるのみである。

私自身、これまでに何度か査読を依頼されたことがあるが、考えてみれば、だいたい、「忘れてた!班」か、よくて「締切厳守実行組」の「〇月〇日オンタイム班」であったが、オンタイム班の時は、「査読結果を送ります」の文面が、「凜」を通り越して、「ドヤ顔」であったことが思い起こされて、こっぱずかしい。

で、「やっぱり、締め切りは守りましょうね」というくらいの教訓なら、特に「仕事の流儀」というほどのことでもないのだが、最近じわじわと思い起されるのが、「締切厳守実行組」にまれにいる「超速班」の人だ。

「超速班」の人は、締切日よりずっと前に結果を送って来る。まぁ、めったにはおらず、今のところ2人くらいしか思いつかないのだが、多くの査読者とのやり取りを経れば経るほど、「超速班」の仕事ぶりが際立って印象深くなってくる。その中でも、初めのやり取りからして、「超速感」が溢れていた人が印象的である。

その人は、まったく面識がない人だったが、そこそこビッグネームの、誰がみても多忙そうな先生であった。面識のない私は、自己紹介やら依頼に至った経緯やら、そりゃぁ、もう、くどくどと長い丁寧な依頼のメールを書いて送った。すると、すぐに、「うん、いいよ、論文送って」的な、大変カジュアルな一文のメールが届いて面食らった。もう、まるで、「何なんだ、この回りくどい依頼メールは。読むだけで時間がとられるじゃない? 何で依頼メールに一緒に論文添付してこない? このやりとりが無駄じゃない?」と言わんばかり、というか、私が勝手にそう解釈してしまうほど、「超速感」が溢れていた。

で、その先生から査読結果が届いたのが、締切日の半月ほど前、という速さであった。今、客観的に考えれば、もう一人の「超速班」の人の方がもっと速かったのだが、それよりも、この先生の「超速」ぶりが印象に残っているのは、その速さだけでなく、その仕事ぶりにもある。その仕事が決して「完璧」なものではなかったのだ。

細かいことだが、その人が結果を送ってきてくれた時のメールに書かれた私の名字の漢字が間違っていた。また、査読結果を書いてもらうフォームを送ってあったのだが、細かい様式は無視して、コメントだけが書かれていた。

全体の印象として「仕事の完成度」は70%くらいの感じだったが、しかし、「査読をする」という仕事としては、十分に仕上がっていた、と言える。ちょっと読み返せば誤植が分かるメール本文や、送られてきたフォームを丁寧に見れば、記入しなければならない項目が他にもあることは分かるが、そのわずかな手間や時間を惜しんで速く仕上げた、ということが分かる仕事ぶりだった。

「その手間を惜しんで70%の完成度になった仕事」ではあるが、その時の私には、それが「その手間を省いてでも超速に仕上げた仕事」であるように見え、またそんな仕事のやり方が強く印象に残った。

しかも、義理も恩もない他人からの無償の依頼に対して、そのように超速に仕事を仕上げることを第一にしている、というところに、「仕事の流儀」のようなものを感じた次第です。

「先生にとって、プロフェッショナルとは?」
「う~ん、そうですねぇ~、仕事の速さ、でしょうかね。とにかく速く仕上げる。締め切りに間に合わせる、なんてレベルじゃシロートですよ。締め切りよりずっと前に、ね。 でも、仕事は100%完璧でなくてもいいと思うんですよ。その仕事のレベルに合わせて、70%でも80%でも。締め切り過ぎるよりは、ずっといいと思いますよ」

こういうのも「仕事の流儀」の一つかも、と思い始めた私は、事務からきた8月締め切りの問い合わせに速攻で返信して、PC画面いっぱいに「ドヤ顔」メールを書いたが、こういう態度は、まだまだシロートのレベルでは、あると思う。

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「カムリくんにとって、プロフェッショナルとは?」

20140622cameytaxi2

「そうですねぇ~。やっぱり、燃費でしょうかねぇ。普段からリッター20キロは心がけていますね。お客さんを乗せている時は、お客さんの急ぎ具合に合わせて、スピードも重視しますけどね。

え、タクシーであること? うーん、それは、それで、ぼくの天命であるとは思ってますけどね。でも、クラウンにいさんのように、そりゃ~、覆面パトカーになれるなら、それが一番カッコよくて、いいですけどね。

うちのカムリ一族から、覆面パトカーになれたヤツは、まだいないんじゃないかなぁ~。」

2014年3月26日 (水)

さよならの卒業式

3月25日  大阪大学の卒業式

午前中に、大阪城ホールで全体の卒業式があった。私はそれには出席したことはないが、毎年、出席した学生さんから 「な~がいっ!」 という退屈コールが絶えない式である。
午後からは、隣のOBPにある円形ホールで、外国語学部の学位授与式。

今年のスワヒリ語専攻の卒業生は、近年では最少の12名。6回生1名、5回生8名、4回生3名。

4年で卒業する学生さんがたった3人という少なさは、休学して5年、6年と大学生活を送る学生さんの多さを物語っている。

「小学校と同じだけ大学に通いました」 と挨拶してくれたH本くんは、2年休学してアフリカを放浪し、ガーナでの牢獄体験を卒業文集に書き記し、思い出深い学生生活を締めくくってくれました。

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upwardright ガーナのケンテクロスをまとった 「王様風」 O川くんもガーナで貴重な体験を積んできました。

本人に対して言う 「卒業おめでとう」 という言葉より、一緒にいらっしゃっていたお母様に対して言う 「ご卒業おめでとうございます」 という言葉の方が、何倍も重く感じられます。 いやぁ~、お母様、ほんっとうに、おめでとうございましたっ。ほんと、これで、やれやれ、ひといきつけますね。

最初で最後。たった1度しかお目にかからない方ですが、お互いにその労をねぎらい合うという感じの共感が生まれます。

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upwardright ゼミの卒業生は上記2名の男子と女子3名。彼女たちはキラキラと輝いていて眩しいばかりです。さよならパーティのスピーチの時にあふれてくる涙も、キラキラと輝いていて美しく、そして、彼女たちの前途もまた、光に満ちて輝いている。

慣れ親しんだ大学を離れ、友人と別れ、大阪を離れ、新しい世界へと旅立っていく姿は、眩しいばかりです。それは私にとっては、うらやましさの裏返しでもある。

大学を離れず、大阪も離れず、なかなか新しい世界へと旅発つことのなかった私は、いつまでも未熟な自分を引きずっていたように思う。卒業生たちが、「ご指導ありがとうございました。先生のおかげで、ずいぶん成長できたように思います」 と挨拶してくれる時、私は本当にそれだけのことをしてこれただろうか、と我が身を省みてしまう。

確かに、悪しき教師からでも学生は何かを学び、必ずや成長していくものではあるけれど、学生が旅立っていくときに、「また、ここへ帰ってきてね」 と自信をもって見送れるだけのことはしていこう、とあらためて思った次第です。

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3月26日  朝から雨

昨日の卒業式&さよならパーティの写真を見ましょ、とパソコンをあける。

すると、一通の訃報メールがきていた。

去年の暮れにお見舞いに行った恩師が、23日に亡くなったという知らせだった。享年71。

年が明けてからホスピスに移られ、残された日々を静かに過ごされ、そして、奥様と親族にみとられて安らかに永眠された、とあった。

訃報は必ず密葬が終わってから知らせるように、という先生のご意志により今日の知らせとなった、とあった。

24日に通夜が、そして25日に葬儀がおこなわれたそうだ。先生のお葬式と同じ日に卒業式があった。先生のお心遣いによって、私たちは昨日の卒業式を、一点の心の曇りもなく、晴れやかに、そして心楽しく迎えることができた。密葬とはいえ、同じ日に先生のお葬式がとり行われていると知れば、心穏やかではいられなかっただろう。

これはほんの偶然の出来事に過ぎないけれど、こんな偶然の出来事を招いてくれるようなお心遣いが、先生のお人柄をよく表わしている。

「僕のことで悲しまなくていいから、卒業生を祝福して、快く送り出してあげなさい」 きっと、そんな風に先生はおっしゃって、天国に旅立たれたのだろう。

先生、どうもありがとうございました。おかげさまで無事に、学生たちの旅立ちを見送ることができました。

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昨日、卒業生から贈られた花束ですが、今日は先生のために飾らせてもらっている。

外は朝からずっと雨で、今もまだ降っている。

先生を偲ぶ皆の涙が雨になっているように ・・・

2013年12月28日 (土)

12月のプレゼント

子どもは、いつから、「クリスマスにサンタクロースがプレゼントをくれる」 と信じるようになるのだろうか。私自身は、記憶している限り、子供のころからそのように信じたことはなかったし、七海にも、熱心にそのように吹き込んだ覚えはなかったが、七海はいつの間にか、サンタクロースにお願いをするようになっていた。

しかも今年は、12月の初旬に、『サンタクロースが関空に到着』 というニュースをテレビでやっていたものだから、「サンタクロースは飛行機で日本にやってくる!」 と理解し、例年になく期待値が高まっていた。

downwardright タラップから愛想を振りまくサンタクロース@関空

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それで七海は、さっそく、例のサンタクロースに宛てた手紙 ー 「さんさん におえがある§のですか かわんおもつくらさい 七み」 - を長靴型オーナメントに入れ、リビングに吊った。

「サンタさんはいつ、この手紙、みてくれるんかなぁ~」 というので、「関空の泉佐野市から順に回ってくるから、富田林はもうすぐなんとちゃうかなぁ」 と答えておいた。こういうことを言うから、子どもはサンタクロースを信じてしまうのだろうか。

毎日、長靴の中をチェックするので、1週間ほどして、手紙を抜いておいたら、あくる朝、神妙な顔をして七海は、「サンタクロースが手紙、もって行った」 と報告した。

結論から先に言うと、最終的にプレゼントを受け取ったあとも、七海は、爆発的に喜びを表現する、というよりは、終始、この 「神妙な顔つき」 を伴う表情を崩さなかった。その真の感情をこちらが理解することは難しいが、察するに、常に 「不思議」、「不審」、「疑惑」 がぬぐえなかったのではないだろうか。

喜びつつも疑う。疑いつつも喜ぶ。・・・ こうして、そう深くファンタジーの世界に入ることなく成長していき、長じて、「私はサンタクロースを信じたことがない」 と言い切る大人になるのではないだろうか。

クリスマス当日、七海は誰よりも早く起きてリビングに行った。きっとプレゼントをみつけて喜んでいるに違いない、と思っていたら、ベッドルームに戻ってきて、寝ている私のところへやって来て、「なにか、ある」 と報告した。

うーん、「不思議」、「不審」、「疑惑」 というよりは、初めて経験することに対して、どう対処していいか分からない、反応の鈍さが出ているだけなのかもしれない。

「えっ? それって、サンタさんからのプレゼントとちゃうの!?」 と小芝居をしてから、一緒にリビングに行き、「わー、やっぱり、そうやん! サンタさんからのプレゼントやんっ!」 と驚いてみせた。七海の反応がいまいちなので、さらに、「サンタさん、どこから入ってきたんかなぁ~!」 とたたみかけると、七海は、ちょっと嬉しそうに、「この窓からやと思うわ。」 と言った。

そして、プレゼントの大きな包みを見て、「この袋、誕生日の時にもらった袋といっしょや ・・・」 と言った。

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ギクッ! プレゼント用の袋まで買うことはないわな、と思って、とってあったプレゼント用の袋を、これ幸いとリサイクルしたのだ。そんな袋のことは絶対に覚えていない、っていうか、こちらだって、それが誕生日プレゼントが入っていた袋だっただなんて、とっくに忘れていたのに、まさかの記憶力。

焦る気持ちを抑えつつ、「あー、サンタさんって、その家にある袋を使って、プレゼント配ってるんやなぁ~」 と説明。 「どんなサンタやねんっ」 と心の中でツッコミつつ、七海の反応をうかがうも、その回答にはほとんどノーリアクションで、とりあえず、中のプレゼントをとり出す。

「あー、これこれ! これが欲しかってん!」 と喜んでくれて、一安心である。

「かわんおもつくらさい」 というメッセージだけで、思い描いていた通りの、キティちゃんのスーツケース型カバンをもってきてくれた、という点については、特段、疑義をさしはさむ様子はない。

きっと、無意識的には、「プレゼントの詳細を知っている母」 と 「サンタクロース」 がどこかでリンクしているに違いない。それが意識に上った時に、「サンタクロース」 のファンタジー界は夢と消えてしまうのでしょう。

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upwardright 「こういうのが欲しかったのよねぇ~」

ま、来年はもう、こういう茶番劇は、取り止めたいと思いますけどね。

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もう一つのプレゼント。

12月に2回、恩師のお見舞いに、病院を訪れた。

ずいぶん前に、ガンを患っていらっしゃると人づてに聞いていたが、先生ご自身はそのようなことを公言なさらず、また入院された折にも、見舞いなどは断っていらっしゃったようだ。

このたび、何度目かの入院ということで、もう誰でも見舞いにきていい、ということになった。「誰でも見舞いに来ていい」 とは、つまり、そういうこと、なのだ。

1回目はY田N子と連れ立って、2回目は七海を連れて、行った。

先生は、もう点滴だけで、食事はとっていらっしゃらなかったが、思っていたよりずっとお元気そうで、往年のお姿とほとんど変わりなかった。

ひっきりなしに見舞客が来ている様子がうかがえたが、疲れた様子も見せず、学生時代に受けた授業中と同じ調子で、笑いをはさみながら、ずっとおしゃべりしてくださった。「なんか、昔の授業、受けてるみたいやね」 とY田N子と言い合った。

私は大学院の時に授業を受けただけで、指導教官というわけでもなかったし、専門言語が違うので、深く師事したというわけでもない。それにもかかわらず、先生に対する敬慕の念は大きい。私でさえこうなのだから、直接指導を受けたり、同じ専門分野で研究をしてきた諸兄姉にとっては、どれほど大きな存在であり、また皆がどれほど先生を敬愛してきたか、想像に難くない。

多くの人が先生を慕い、多くの見舞客が訪れている。先生はどの人たちにも、何かしら言葉を残されているのだと思う。

「もう、ずいぶん、いろんなものを捨てることができた。ただ、まだ、「プライド」 が捨てられんのや。自分をよく見せたいという自尊心、やな。 これを捨てんと、成仏できないんや」 そんなことを、唐突におっしゃった。

自分に対する最後の執着を捨てることができて初めて、悟りを開くことができる。仏になることができる。

仏教に疎い私でも、先生がおっしゃっている事の意味は分かった。でも、ほんとうに、生きている人間が、自分に対する執着を捨てることなんて、できるのだろうか。

そんな風に先生は、最後の自分の姿でもって、私のような一介の学生にも何かを教えようとしてくださっていた。たぶん、どの見舞客にもこんな風に、何かを教え、何かを与えてくださっているのだろう。

俗な言い方をすれば 「親分肌」 で、特に目下の者に対する優しい態度は、誰に対しても変わりなかった。

「ななみちゃん、か。ええ名前やな。そうか、大きくなったら、パン屋さんになりたいんか。パン屋さんは、ええな。パン屋さんはみな、幸せそうな顔しとる。」

七海を見ていただいて、七海に何か言葉を戴きたいと思った。

七海は、照れ笑いだけ浮かべ、ろくに挨拶もできず、ただ出されたバームクーヘンを黙々と食べていた。そんな七海にも先生は優しく接してくれ、「七海に何か言葉をやってください」 と差し出した色紙に、快くペンをとってくださった。

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「すきなことだけ するのですよ」

これは、七海をダシに使って、私がいただいた言葉だ。いや、研究を志す者みなへの言葉だ。先生の授業を受け、あるいは先生に師事し、あるいは先生と親しく接してきた皆が、ずっと先生から教えられ、骨身にしみている言葉だ。

研究は、自分が好きなことを、好きだから、やる。研究は何か他のことのためにやるものではない。名誉のためでも、仕事のためでも、金銭や利益のためでもない。

「せやから、私は自分の好きなことだけして給料もらっているのを申し訳ないと思って、道の真ん中は歩かんようにしてる。道の端っこのほうを歩いてるよ。」と、よく授業中に、冗談めかしておっしゃっていた。

この色紙は、私へのクリスマスプレゼント、ということで。
来年への、そして、ずっと将来への、変わらぬ指針として、心に留めておきたいと思います。

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病室を後にして、見送りに出てくれた奥様が、「やっぱり、病院ですね。体調がよくなってきて、お正月は自宅に戻れそうなんですよ」 とおっしゃった。それを聞いて、いろいろ覚悟して張りつめていた気持ちが、急にヘナヘナと緩んだ。

あー、よかった。
先生にはやっぱり、もうしばらく娑婆の空気を吸っていておいて欲しいです。

来年は、希望をつなぐ年になりますように。

2013年11月30日 (土)

あっという間の11月

月末近くになると、近況報告をかねてブログを更新しようと思うのだけど、そのサイクルがだんだん短くなってきているような気がする。・・・つまり、「あれ、もう、月末?」感が、だんだん強まってきているということで、・・・つまり、月並みな言い方をすると、1か月があっという間ということですが、特に1年のうちでも11月は、早くなくない?

ということで、慌てて11月を振り返り、以下に、特筆すべきほどの事でもないことを3点、慌筆しておきましょう。

その1: カムリくんにとっては、最高に幸せな瞬間が訪れた月であった。

11月のある日、カムリくんは、ついについに、生き別れていた双子の弟(あるいは兄かも)に巡り会ったのでありました。姿も色もまったく同じ!
 
つつつつつっ、とそばに駆け寄り、はっしと抱き合い・・・たいところでしたが、抱き合えないので、「おにいちゃんっ」、「おとうとっ」とひっそりと声を掛け合って、その一瞬の逢瀬を喜び合ったのでありました。

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upwardright うちのカムリくん(右手)後方に散らばっているのは、喜びの涙が落ち葉に変わって舞い落ちた、という詩的な情景です。

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その2: 恒例の語劇祭がおこなわれ、今年も2年生を中心とする学生さんたちによって、スワヒリ語劇が上演された。

今年の演題は "Nani atakuwa Mfalme?" 「誰が王様になるか?」 毎年、ぎりぎりの準備状況ながら、本番にはそれなりの形になっているから驚きである。

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七海の「生活発表会」ことお遊戯会を経験した今となっては、教え子が演じる語劇も、お遊戯会を見守るが如き心境なので、後日、学生さんから、「スワヒリ語の発音とか、どうでしたか?」と聞かれても、そんな客観的かつ冷静な評価など望むべくもなく、「あぁ、よかったよ。発音がどうとかよりも、最後までちゃんとできてよかったよ、っていう感じで、よかったよ」くらいしか、述べることがないのでありました。

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upwardright いつもながら、ちゃっかり記念撮影におさまる七海。隣に写っているのは今春、新しく着任されたネイティヴの先生の息子くん。七海は語劇を観賞するより、フザイファくんと遊ぶ方が楽しかったようです。

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その3: 七海の識字力に、心みだれる。

現在、小学校での七海の学習状況は、ひらがなが一通り書けるようになり、カタカナの練習に入った段階。毎日、漢字の宿題も出されるが、それは文字をなぞるだけ。さんすうは10までのたしざん、ひきざん、といったところである。

私の精神衛生上、また、母娘関係をムダに傷つけないために、私はほとんど七海の勉強をみない。たまにえんぴつの持ち方を言うくらいで、そこに書かれている文字について、何かを改めさせようとすると、私の精神衛生も、母娘関係もピキピキしてくるので、スルーしている。

そんなある日、学童クラブから秋の遠足に行った。滋賀の農業公園「ブルーメの丘」というところで、これはまぁ、大阪の農業公園「ハーベストの丘」や、(行ったことはないが)淡路島の農業公園「イングランドの丘」などと同じで、いずれの公園も「自然が豊か」風のところで、バーベキューをして、ひつじや馬やうさぎをみて、トロッコ列車などに乗り、クラフト製作などを体験する、というコースが用意されている。

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「ひさしぶりに、ひつじさんに会ったよ」

で、そのクラフト製作の体験で、七海は巾着袋に押し絵をする、オリジナルの巾着袋作りを体験した。

型に沿って絵具を塗るだけの簡単なものだが、絵具がべっとりと染みて、かわいくない猫の絵の巾着袋ができあがった。

まぁ、それはそれでいい。問題は、家に帰ってからのことである。

七海は、「この巾着袋はポポちゃんのお土産やねん。ポポちゃんな、給食セットの袋がないから、それにするねん」と嬉しそうに言った。

「給食セットの袋」とは、小学校に持って行っている、給食を食べる時に使う箸箱とマスクとナプキンを入れている巾着袋のことである。クラフト体験で作った巾着袋は、ポポちゃん用の給食袋になった。

そして、後日、そのオリジナルの巾着袋に、ポポちゃんの名前が記された。

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upwardright 猫の下に、名前の「ぽぽ」(カタカナはまだ書けない)
その下には、「2 1 2 5」
これは、2年1組25番 という意味らしい。
(ちなみに、七海は、2年3組15番)

そして、猫の絵の上に 「 つ せ と 」 と読める文字。

これが何を意味するか、お分りだろうか。・・・分かるすべもないが、「給食セット」(正しくは、「きゅうしょくせっと」)と書いてあるそうだ。

「ななみちゃん、これ、なんてかいてあるの?」

「くーしょくせっと、やで」

「・・・。」

せめて、では、「くーしょくせっと」と書いて欲しいところであるが、「く」が「つ」になっている上に、長音、拗音、促音が文字化できていない。どころか、拗音を含む音節「しょく」が全落ちである。

これが、ひらがなを覚えたての、3歳くらいの幼児だったら、その愛らしさを100%の微笑みでもって讃えることでしょう。

しかし、8歳小学2年生の母親としての心境は、チョー複雑なのでありました。七海のこれまでの発達段階を見てきたなら、このようにひらがなを書けるようになったことを喜び讃えるべき、と、頭では分かっていても、気持ちがどうにも、どんよりと暗く沈んでしまう。

「つ せ と」 って・・・。

このどんよりした気持ちは、たぶん、目の前にある愛らしい文字列ではなく、七海がこれから歩んでいくであろう人生の険しさを、勝手に想像して感じてしまうからでしょうか。

・・・という親の気持ちは関係なく、七海はひらがなを自分で書けるようになったことが嬉しく、いろいろな表現に挑戦中である。

私がどんよりと暗い目をしていると、さらにまた、サンタさんに宛てて書いたという手紙を見せてくれた。

上の写真の「つせと」袋の右にある手紙には、

「さんさん におえがある§のですか かわんおもつくらさい 七み」 と書かれている。

うーん、聞くのがこわい。

「・・・ ななみちゃん、これ、なんて書いてあるの?」

「サンタさんにお願いがあるのですが、カバンをもってきてください。七み。 やで」

うーん、サンタさんに対するお願いの文面としてもビミョーにおかしいが、それを除いても、これじゃぁ、サンタさん、何をプレゼントしていいか、分からないんじゃないかなぁ、ななみちゃん・・・。

まぁ、こんなことを繰り返しながら、発している言葉に合う文字が書けるようになっていくでしょう、とは思いつつも、やはり、ちぢに乱れる母心なのでありました。
ふぅ~。

2012年12月27日 (木)

慈愛の12月

12月になると 「歳末助け合い運動」 で募金が呼びかけられたり、クリスマスに人々が 「愛」 を送り合ったり、過ぎ去ろうとしている1年に感謝を込めたり、世界中の子どもたちの幸せを願ったり、と、なんだか世の中が 「慈愛」 の気持ちで満ちてくる。

この私でさえ、何かを 「寄付」 したくなる気持ちで満ち満ちてくる時期である。

1年に1度しかしていないけれど、郵便局に行ったついでに、ユニセフへの寄付もした。

米国に 「脊柱側弯症」 の治療をミッションとするNPOがあることを知って、初めてオンラインで寄付もしてみた。

脊柱側弯症を専門とする日本人医師のブログでその存在を知ったのだが、ガーナ出身のドクターが米国でそのNPOを立ち上げ、ガーナや他のアフリカ諸国で脊柱側弯症の治療をおこなっているのだ。

そのNPOのHP → Foundation of Orthopedics and Complex Spine

その日本人ドクターも先月、ガーナへ行って脊柱側弯症の手術をおこなうミッションに参加してきたと報告があり、<ガーナ> で <脊柱側弯症> の手術! という、こちらのテンションあがりまくりのダブル・キーワード、および、そのミッションの崇高さに、思わず 「寄付します!」 の気持ちになったのでした。

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日本のNGO団体 「緑のサヘル」 にも、カレンダー購入という形で、毎年 「寄付」 をしている。このカレンダーは西アフリカの写真がすばらしいので、「寄付」 というよりは、単に欲しくて 「購入」 しているだけなのだが、「1冊購入すると、苗木30本分になります」 というのは、「買ったら寄付しちゃってた」 という自己満足感があってお得。

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upwardright 2013年カレンダー

で、まぁ、「寄付」 するつもりになるなら、もう少したくさん購入してもいいんじゃないか、ということで、少し多い目に購入して、暮れのプレゼントがわりに周りの人々に配っている。学生さんにも、スワヒリ語専攻の1年生にだけ、プレゼントしている。

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upwardright 今年の1年生

全学年の学生さんに配るほどは 「寄付」 できないし、毎年では 「ありがたみ」 も減じるだろう、ということで、1年生だけ。

なぜ 「1年生」 なのかというと、これは私自身の 「大学1年生」 の時の思い出に起因します。

私の 「大学1年生」 は、偶然に選択したスワヒリ語の授業の楽しさで満ち満ちていますが、それは、そもそも4,5人くらいしか受講生がいなくて、M本先生の研究室で授業を受けることが多かった、というのもあります。

それで、いつだったか、M本先生が私たち受講生に、アフリカのお土産をくださったことがあった。動物の姿をしたチェスの駒で、黒檀の木で作られた大ぶりの駒だった。いくつもあるうちの、猿が座っている形をしている駒をもらったのでした。

まだアフリカのこともよく知らなかった1年生は、「あー、これがアフリカかぁ~」 といたく感激したわけです。

たぶんその後も、いろいろなアフリカの物をもらったと思いますが、最初のあの猿の駒の感激が、今も一番強く残っている、ということで、1年生に。 カレンダーの写真を見てアフリカに思いを馳せ、アフリカに行く夢を叶えてくれれば、と思います。

<緑のサヘル> のHP

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ガーナで側弯症の子どもたちの手術をする。サヘルで苗木を植える。 ・・・ 多くの人々がアフリカの各地で、さまざまな支援活動をおこなっている。 そのすべてに関わることはできないけれど、縁あって知り合った活動には、心から応援をしたいと思っている。 それが単に、ほとんど 「自己満足的応援」 であったとしても。 そうして、常に自分に問いかけることになる。 私自身のミッションは何なのか、と。

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「慈愛」 に満ちた12月は、喜びの12月でもありました。 進路に悩みに悩んでいた大学院生のYさんから、婚約したというご報告をいただいた時は、安堵と喜びと安堵と慶びで、同僚たちとも手を取り合わんばかりに歓び合いました。

非常勤をしてくれていた後輩のK谷くんにも待望の赤ちゃんが誕生し、さらに慶びが増えました。「この世に光を」 もたらしてくれる光くん。 お誕生おめでとうございます。

来年は、ますますよい年になりますように。

note ななみちゃんの合唱姿で、2012年とお別れぇ~

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 ♪ いま 未来の扉を 開けるとき
 
   悲しみや 苦しみが
 
   いつの日か 喜びに変わるだろう
 
   I believe in future 信じてる ♪

          BELIEVE by 杉本竜一

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