大学生活

2018年6月30日 (土)

学生さんの成長

6月は、企業の採用面接の「解禁」ということですが、「売り手市場」のご時世、5月にはすでに複数の内定をもらっている学生も多く、6月はその中から本命を選んで決める段階、といった感じです。

今の就職活動というのは、昔に比べたら期間が長くなっているようで、3年生の夏休みくらいからインターンシップに参加し始め、就職セミナーなどに参加して、企業研究したり、自己分析したり、エントリーシート書いたり、OBと会ったりと、なかなかに長い道のりを歩んでくるようです。

その過程で、自分自身を見つめ直し、将来を考える作業に向き合い、また、「大人」との接し方を学んで、人として大きく成長するように思います。

その成長ぶりは、特に、「口のきき方」も知らなかったような男子学生が、妙に折り目正しいメールを書いてくるようになったり、提出物を期限通りに出すようになったり、遅れる場合は事前に連絡してくるようになったり、といったところに見られます。

こういうことは、こちらがいくら指導しても、決して身につかなかった態度で、なんとまぁ、就職活動というのは、よい教育の機会なのでしょう、と驚くばかりです。「教員が教育できることなんて、たかが知れているなぁ」と思う瞬間でもあります。

先日も、就活中 ー というか、正確には、休学してインターン体験中 ー の男子学生が、久しぶりに研究室を訪ねてきたのだけど、その変容ぶりに驚かされました。

まず、見た目からして全然違う。久しぶりに会ったというのもあったけど、名前を言われるまで誰か分からなかった。しっかりした、というか、落ち着いたというか。

男子学生というのは、大学に入っても往々にして「子ども」っぽい子が多いですが、特にこの学生は、いつまでたっても子どもっぽく、「中二病か!?」というくらい、見た目も、態度も、言動も、大変「ガキ」っぽかった。

それがまぁ、180度異なる見た目、態度、口のきき方、そして考え方! 「いやぁ~、人間ここまで変われるのか」と驚きました。就労体験が、彼をここまで成長させたのでしょう。

まぁ、彼がインターンでみつけた世界が、彼に合っていた、というのもあったと思う。それまで、どこに向けていいか分からなかったエネルギーの注ぎ先をようやく見つけた、という感じ。目標や進むべき道をみつけると、人はこんなにも素直に、まっすぐに世界に向き合い、自分らしく成長していくことができるんだ、と思い知りました。

大学の学業だけでは、なかなか目に見える成長を実感することはありませんが、就職活動や就労体験っていうのは、ほんとうに成長のよいきっかけになるのだなぁ、と思います。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆

留学も、学生さんが成長する大きなきっかけになるように思います。

就職活動は、見た目や態度など、「即効的な」成長の効果を見せてくれますが、留学は、あとからじわじわとその効果が感じられます。

留学から帰った学生さんたちは、当初は「逆カルチャーショック」のような状態で、留学していた国や留学生活、そこでの友人関係をなつかしみ、帰国後の、せかせかとせわしない日本の生活に、しばらくなじめなかったりするのですが、そのうち落ち着いてくると、留学体験が、土壌の栄養分のように、ゆっくりとその学生さんの成長につながっていくのが感じられます。

見た目や態度にはあまり変化がありませんが、授業中の発言や意見、レポートなどに書いてくる内容に、ハッとさせられることが多くなり、「あー、この子、成長したなぁ」と感心することが多くなります。

異文化を体験し、言語も文化も異なる人々と交流して、視野が広がり、違った視点から物事を見ることができ、問題意識がもてるようになったのだと思います。

かわいい子には旅をさせよ。

就活にしろ、留学にしろ、大学の本業が与えることのできないものによって、学生さんは成長するのねぇ、と思うと、大学教員としては、ただただそれを見守ってやるしかないなぁ、と思います。

downwardright 留学中の学生さんから写真が届きました@英国バース

2018_0603a

「うーん、成長したなぁ」って思う気、満々で待っているから、元気で留学生活おくってくださいね(from かるくプレッシャーかける教員)

・‥…━━━☆・‥…━━━☆

今日で6月も終わりですが、世界的には、サッカーW杯が盛り上がっています。

セネガルがコロンビアに負けることに賭けて、最後はボールを回してポーランド戦を終えた日本チーム。シロートながら、日本チームの見事な「成長」を感じずにはいられませんでした。やっぱり、西野監督がすばらしかった?

いや、しかし、私てきには、モロッコのルナール監督のすばらしさが、群を抜いていましたが!

downwardright モロッコのルナール監督@ポルトガル戦を指揮する様子
2018_06_28_renard

この立ち姿!
おおよそ、サッカーの監督が、ベンチの横で指揮をとっている姿には見えませんが。
VOGUE の撮影か何か!?

残念ながら、モロッコは1次リーグで敗退してしまい、もうこのお姿、拝見できませんが。

アデュ、ムッシュー ルナール!

2018年5月31日 (木)

肉体的五月病

「五月病」というのは、五月の連休を機に、四月からの新生活で張り詰めていた糸が切れ、なんとなくだるい、気分がすぐれないなど、抑うつ的な気分に見舞われることを言うそうです。

確かに大学でも、特に新入生に見かけられる症状です。今年の新入生は、比較的元気で、活発そうな女子が多く、「タンザニアに留学に行きたいです! どうやったら留学できますか?」と、質問してくる学生もいて、「おー、それはすばらしい! じゃぁ、留学した先輩がいるから、話聞いてみたら!」と言ってたのだけど、そのテンションも徐々に下がってきているのが分かる。

4月から新たな目標に向かって張り切っていたけれど、思い描いていた理想とは違う現実が見えてくるにつれて、張り詰めていたものが切れ、4月当初の高揚感も徐々に薄れてくる。

まぁ、「理想と現実のギャップからくる高揚感の喪失」と言ったところでしょうか。

上級生には、そのようなギャップはないですが、4月からの新生活に、それなりにバタバタとしているようで、やはり5月の終わりごろには、「いや、すみません。毎日、なんか忙しくて。ぜんぜん、ゆっくり時間がなくて・・・」と、課題を提出できなかった言い訳などしてくる。

その言い訳を聞きながら、「あー、学生さんも、忙しいんだなぁ」と妙に納得してしまった。

そう思う教員も、五月病です。

毎日が妙にだるい。しかし「抑うつ的な気分」とまではいかないので、「肉体的五月病」と言ったところでしょうか。

4月からの新学期、例年通りの授業をしているだけなんですが、体が妙にだるい。思い当たるところがあるとすれば、昨年より一コマ多く担当している火曜日の語学初級3連続! でしょうか。

それに加えて、課題を提出しない学生さんを怒りすぎたせいもあるかもしれません。

いや、やっぱり、これは「年」のせいでしょうかね。専任になって12年。ずっと同じような授業をし、同じような学生指導をし、同じように学生さんを怒ってきたのだけど、それに疲れを覚えるというのは、やっぱり、年のせいだろうなぁ~。

肉体的五月病の最後のダメ押しは、5月最終週の北海道2泊3日。

アフリカ学会@北海道大学

20180526b_2

発表もしたし、いろんな人に会えて楽しかったし、食べ物もおいしかったし、で、気分的には充実の北海道だったのですが、帰ってからの平日は、使いものにならないくらい、くたびれてしまったのでした。2泊3日の国内旅行で疲れ切るなんて!

回復途上の五月末日。
ほんま、年とってしもたわぁ。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆

余談:北海道で驚いたことは、札幌駅と北海道大学の近さです。

大阪駅の北西に、今開発中の「うめきた」がありますが、まるで、大阪駅と「うめきた」みたいな感じで、札幌駅と北海道大学が! 近っ!

20180527b

それにしても、札幌駅は大阪駅みたいだし、札幌の中心地は大阪の中心地みたいだし、旅情のない旅ではありました。

20180527a

upwardright 話には聞いていましたが、高層ビル群の谷間にある「時計台」も、気の毒なくらいで。

北海道はきっと、町に滞在しないで、雄大な自然を満喫しにいくところなんでしょうね。

あー、夏に、1か月くらい、北海道で、のんびり過ごしてみたい・・・。
(現実逃避的願望)

2018年4月30日 (月)

新しいことと、変わらないこと

2018年度が始まりました。

今年度は、七海がいよいよ中学生になった! という新しい年度です。

新しい生活に胸を膨らませて始まった4月ですが、のっけから、つまずいております、制服に!

20180409a

upwardright 七海:「制服は、セーラー服にスカート。制カバンは肩掛けなので、やや持ちにく~い。ランドセルがよかったなぁ。」

もちろん、七海は制服を着るのが楽しみで仕方なかったし、毎日、楽しく登校している。

しかし、制服って、思っていたよりずっと煩わしい衣服なのでありました。

まず第一に、ずっとズボンしか穿いていなかった七海が、いきなり毎日、スカート!

腰のところのカギホック、っていうんですか? あれを留めて、ファスナーをあげて、プリーツの正面がちゃんと前にくるように穿く、これがまず一苦労。しかも、スカートがめくれないように、あるいは適正にさばきながら、一日を過ごすのは、思ったより大変なんじゃないかと推察される。

考えてみれば、スカートというのは、かなり「非・行動的」な衣服であって、中学生の学校生活には、実用的ではないんじゃないかと思う。

それが証拠に、七海の中学校では、登下校は制服が義務付けられているが、学校内では体操服で行動してもよいということで、七海は学校に着くと、体操服に着替えて一日を過ごしているらしい。他の女子たちも、多くはそうしているらしい。

だったら、制服なんか、なくてもいいじゃん!

と、実用一直線の母は思うわけだが、そこはそれ、伝統やら習慣やら惰性やら思い込みやら、ついでに、業者さんたちの喰いっぷちやらで、そう簡単には変えられない、変わらない、変えませんから! の、事情があるのでしょう。

七海にとってさらに煩わしいのは、セーラー服の胸のところにある、三角形の当て布のようなものを留める作業。

逆三角形の布の左辺は縫い付けてあり、右辺をポチ、ポチ、ポチッと、3つの小さなスナップ・ボタンで留めるようになっている。

これ、普通の人なら何てことないんですが、これが七海には難しくて!

こういうスナップボタンって、自分がやる時のことを思い返してみると、上からボタンのついている布をかぶせて、指で位置を確かめながら、人差し指あるは親指で、上からポチッと押さえていると思うのですが、どうやら七海は、この「指で位置を確かめながら」というのが、できないらしい。

両手で、一つ一つのボタンをもって、自分の目で見ようと最大限に持ちあげて、スナップボタンの凸と凹を合わせようとする。その時点で、布の向きが反対?になっていて、次のボタンを留めようとすると、無理な力がかかるので、一つ目のボタンがはずれる。

もう、目もあてられない、というか、その「不器用さ満開」が情けない、というか、かわいそうというか・・・。

「自分でできるようにならないと!」と思って見守るが、登校時間に遅れるという影響が出るほどになり、結局私が留めてやることになる。

何日か試行錯誤したが、七海の技術向上を待っていられなくなり、ついに制服屋さんに相談して、スナップボタンをマジックテープボタン(というのでしょうか?)に替えてもらうことになりました。やれやれ。

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆

「制服問題」が片付いたと思ったら、今度は、体育館シューズ問題。

学校指定の体育館シューズは、ひもで結ぶタイプで、靴ひもを蝶結びにしなければならない。春休みに猛特訓したが、学校の先生に言わせると、最後のところは結局、先生に結んでもらっているらしい。

先生:「学校でも蝶結びの練習はしますが、どうしても集会とか、みんなと一緒に行動しなければならない時に遅れるので、マジックテープタイプのシューズを用意してもらったほうが・・・」

ということで、これまた、七海だけ特別なシューズを用意することに。

あー、それなら、はじめっから、マジックテープのシューズを買っていたのに!

上履きも、学校指定なんですが、これは事前に「無理!」を予見して、七海だけ特別な上履きでもいいと了承をもらっていました。

学校指定の上履きは、クロックス風のサンダルみたいなもの。「こんな草履みたいなのが上履き!?」と、中学入学説明会で見た時は驚きましたが、草履・スリッパ類がうまく履けない七海が、これを履いて、階段を上り下りするとどうなるか。これは火を見るより明らかに予見されましたので、事前に、上履きは違うものを用意させてくれと、中学校にお願いしておきました。

もちろん、しょうとく園のころより愛用の、アシックス・すくすくシリーズの上靴で!

体育館シューズまでは予見できなかったのが、悔やまれます。

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆

かように、七海の中学校生活のスタートは、「想定外」の波乱含みでありましたが、本人は環境の変化に揉まれながらも、楽しく毎日を送っているようです。

しかし、思うに、これほど「多様性」が尊重される時代において、学校指定の制服、学校指定のカバン、学校指定の上履き、学校指定の体育館シューズ、学校指定の・・・、その他多数。しかも、初期費用だけでも10万円近く。公立の中学校において。これはもう少し、見直されてもいいのではないでしょうか。

まぁ、自分自身は、中学・高校と、制服に疑義も嫌気も感じたことはなく、喜んで従ってきたほうですが、それはやはり、自分が「メジャー側」にいたからなんだな、と今さらながらに思います。七海のような「マイナー側」に立って初めて、そのメインストリームに疑問をもつことになる。

最近は「性自認」などに対する理解も深まって、制服も選択肢が広まりつつあるらしいが、そもそも、中学や高校で「制服」って必要なのか、というのが、根本的な問題としてあるように思います。

ま、しかし、これは、私がこの1か月ほどに、急に感じた「問題意識」なので、泡沫候補的問題にすぎないのも事実でありますが。

(「本命候補的問題」は、たとえば、「夫婦別姓問題」とか、「女人禁制問題」とか、ですかね。いずれも、「マイナー側」から声が上がり、これがもう、すでに「マイナー」でなくなっている、という感じの問題でしょうね。)

・‥…━━━☆・‥…━━━☆

七海の新しい生活とは対照的に、また、同じ新年度の始まりの私。

例年のごとく、新入生を迎え、一からまた、「こんにちわ」-「こんにちわ」。

特に今年の火曜日は、

2限:バンバラ語、3限:1年生スワヒリ語、5限:初級スワヒリ語

という、語学の授業が3連チャン。しかも、全部、初級。

ということで、この1カ月、火曜日は、挨拶&自己紹介ばかりしている。

「こんにちわ」ー「こんにちわ」

「おはようございます」-「おはようございます」

「お元気ですか」-「はい、元気です」

「ご家族のみなさん、元気ですか」-「はい、元気です」

「あなたの名前は何ですか」-「私の名前はヨーコです/私の名前はジギです」

「あなたはどこから来ましたか」-「私は大阪から来ました/私はマリから来ました」

「さようなら」-「さようなら」

これを1日3回、いや、5回、いや、10回くらいは言ってるなぁ、スワヒリ語&バンバラ語で。

Hujambo? - Sijambo.

Habari ya asubuhi? - Nzuri sana.

Habari gani? - Salama tu.

Nyumbani wote hawajambo? - Hawajambo.

Jina lako ni nani? - Jina langu ni Yoko.

Unatoka wapi? - Ninatoka Osaka.

Kwa heri. - Kwa heri.

私は、基本的には「語学教師」体質で、これを何度も言って、何度も学生にリピートさせないと気がすまない。

毎年毎年、4月はあらたな気分で、Hujambo? - Sijambo.

バンバラ語は、テープを流して学生にリピートさせる。自分も一緒にリピートする。

I ni tilen. - Nba,i ni tilen.

I ni sɔgɔma. - Nse,i ni sɔgɔma.

I ka kɛnɛ wa? - Tɔɔrɔ tɛ.

Somɔgɔw ka kɛnɛ wa? - Tɔɔrɔ t'u la.

I tɔgɔ bɛ di? - Ne tɔgɔ ko Jigi.

I bɛ bɔ min? - Ne bɛ bɔ Mali.

K'an bɛn. - K'an bɛn.

これらの例文が、私の頭の中を、ずっと巡っていた4月でした。

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆

そのおかげか、朗報が一つ!

年明けから、「爆買い」していた『大人のカロリミット』ですが、もちろん、大方の想像通り、効果は見られておりません。史上最重体重ラインをはさんで、一進一退の攻防戦を繰り広げながら、3か月が経ちました。

効果が見られないどころか、毎日4粒飲み続けていたら、若干めまいのようなものを感じる時があって、飲むのを控えたり、3粒に減らして休み休みのんだり。爆買いカロリミットがまだ、大量に残っています。とほほ。

20180131

そんなとほほ状態にもかかわらず、この4月からの1カ月で、気が付けば、2キロ減量という朗報が!

そう、これは、とりもなおさず、授業での大声発声のたまものなのでしょう。

アーンド、なんやかんやで、七海の件に対する母・神経消耗が効いたのでしょうか!?

ちょっと、やつれました、みたいな?

きゃぁ!(← 嬉しい悲鳴)

2018年3月30日 (金)

2つの卒業式

3月は卒業の月。

毎年こうして卒業式の報告をして、今年で12回目となります。

そして今年は、七海の小学校の卒業式も。

6年前のしょうとく園の卒園式では、思いもかけずに母・号泣という顛末でしたが、→ 「さよなら、しょうとく園」 さすがに小学校の卒業式は、あっさりと見守ることができました。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆

小学校の卒業式というのは、在校生の5年生も含めて、何日も前から練習していて、きっちりと形式的に進められる。

卒業証書授与では、一人一人が順番に立ちあがって進み、所定の5か所の位置で立ち止まる手順になっている。

まずは舞台下で待機。その次に、舞台上手でこちらを向いて立つ。

20180316a

upwardright 舞台上手に漠然と立っている七海)

次に名前を呼ばれて、校長先生の前に立つ。卒業証書を受け取って、

20180316b

舞台下手に移動して、こちらを向いて立つ。

20180316c

upwardright 舞台下手で、次の生徒の名前が呼ばれるまで待つ)

その後、舞台から降りて、また立ち止まる。

この一連の流れで、卒業生一人一人が、長い時間「晴れ舞台」に立つことになり、シャッターチャンス、ビデオチャンスが長くとれることになる。うーん、なかなかうまくできた仕組みです。

そして、一人一人にセリフが割り当てられた「お別れの言葉」があり、5年生からの「さよならの言葉」がある。6年生が歌を歌い、5年生が歌を歌う。対面でやっているので、コール&レスポンス 的な、ちょっと感動的な場面です。

20180316d

upwardright 前列真ん中あたりの、一番背が低いのが七海。手前はレスポンス5年生。いや、コール5年生か。)

舞台上で、涙している女の子。別れの寂しさがこみあげているのが分かる。舞台横で涙を拭っている担任の先生。

思わずもらい泣きしそうになるが、ふとみると、きょとんとしている我が子。「卒業の悲しさ」という機微が、たぶん分からない様子。そういう「複雑」な感情には、まだついていけてないんだと思うと、ちょっとした淋しさにおそわれる。

まぁ、でも、うちの子は、普通の子とは違うのだし。

小学校に入学する時は、せめて、ひらがなでも書けるようになってくれたら。せめて、ひとけたの計算くらいができるようになってくれたら。と思っていたのだし。

そう思うと、この6年間の成長は想像以上のものだったし、いじめられたり疎外されたりすることも(たぶん)なく、楽しい小学校生活を送ってくれたと思っている。

七海が支援学級に入って以来、私は、私自身の小学校や中学校の、当時は「養護学級」と呼ばれていたクラスに在籍していた同級生たちのことを、よく思い出した。当時は、今ほど支援も行き届いていなかったし、おとなしい女の子はよく男子にいじめられていた。小学校の頃はそれでも、正義感あふれる女子たちが、いじめっ子に「やめたりぃやぁ!」と抗議していたが、中学校では、そういう関わりももう、あまりなかったように思う。

高校に行ったとしたら、たぶん支援学校に行って、その後、彼らはどうしているんだろうか、と折に触れて思う。たぶん、それは七海の今後の進路や将来のことを不安に思ってのことなのだけど。

40年前と違って、今の小学校や中学校の支援学級の指導は手厚く、普通級の生徒たちとの交流を促してくれたり、他校との交流会などもあって、七海はめいいっぱい充実した小学校生活を送ることができた。

幸いなことに、中学校は小学校の隣にあり、また、うちの小学校一校からの持ち上がりで、環境はさほど大きく変わることがない。こんどは「ひまわり学級」という支援学級でお世話になるが、これからの3年間も、これまでの6年間に劣らぬ「ジェットコースターぶり」が待っているような気がする、母の心情的に。

20180316e

たんぽぽ学級の先生方には、ほんとうにお世話になりました。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆

大学の4年間もまた、大きな変革&成長の時期です。

この期間の途中では、それこそ「成人」というラインを越えるのだから、それなりに成長してもらわなければならないんだけどね、実際のところ。

20180322a

どの段階であっても、人が成長し、卒業して行く姿は、「希望」そのものです。

最近の卒業式では、いつの頃からか、女子は、式典では着物、謝恩会などのパーティでは洋装に着替える風潮に。私のころは、卒業式から謝恩会、そのあとの2次会まで、ずっと振袖着てたけど、それもまた、30年も前の話だから?

20180322e

upwardright 「やだぁ~、せんせぃ、パーティでは洋装に着替えるの、当然じゃありません?」


20180322f

upwardright 「そうですよ、先生っ。あ、私たち、ブラックフォーマルかぶり!」

20180322g

upwardright 
「やっだぁ~、せんせっ、私たちはOG! 同級生の卒業を祝いに来てあげたんですよ♪」

そう、両側の女子二人は、昨年、号泣しながら花束を渡してくれた卒業生。同級生であるS本君(写真真ん中)が、6年目にしてようやくご卒業の運びとなり、それを祝いにかけつけてくれたのでした。

気が付けば、七海が小学校に入学した時に、S本君もご入学。そして、今年・・・。

七海に、「これは、シ じゃなくて ツ!」とイライラしながら教え、「これは、ソみたいに見えるから、書き直し! ン、ね、ン!」と激昂していたように、S本君には、「これ、書き直し! 小論文、ぜんぜん論理的じゃないから!」、「早く修正版を提出して!」と、おこってばかりいたように思います。

そんな七海が、先生方から「ななみちゃんは、ほんとうによくがんばりました。勉強も遊びもいつも一生懸命がんばりました」と褒めてもらったように、私もS本君を褒めたいと思います。「スワヒリ語も、小論文も、卒論も、みんなよりはゆっくりだったけど、S本くんなりに、よくがんばりました」

どう指導していいか分からず、本当に悩んだ時期もありましたが(この私が!)、「教員はなくても、学生は育つ」。それぞれがそれぞれのペースで、必ずや成長していくんだから、こちらは、もっと気長に、おこらないで、ゆっくりと見守っていかなければなりませんね。学生さんも、我が子も。

S本君と我が子の成長&卒業がシンクロした、今年の卒業式でした。

20180322c

みんな、ほんとに、ご卒業おめでとう!

2017年6月30日 (金)

大学教育に関する考察 (という名の、ある日の衝撃体験メモ)

今週初めの新聞の書評欄に、『未来の学校:テスト教育は限界か』という本が紹介されていた。 → その書評のさわり

書評を読んだだけで、その内容がほとんど分かってしまうのは、書評の文章がすぐれている、プラス、まぁ、当然と言えば当然の内容だからである。

著者はアメリカ人なので、アメリカのことが書かれているが、これはそのまま日本にもあてはまる。

一言で言うと、「重要なのは、知識の集積ではなく、思考力だ!」という主張です。

「現場で直接、思考力を働かせて課題を解決する能力が求められる」時代だからです。まぁ、産業界からの要請ですね。

この本の最初には、企業経営者たちへのインタビューが載っているらしく、これからの「知識経済」に求められる働き手の資質として、

「的を射た質問をする能力」
「相手の目を見て対等に議論できる能力」
「他人と強調しながら仕事を成し遂げる能力」が重要と言う。

「暗記ではなく、論理的に考え分析する能力」が大事なのです、と力説されている。

しかし、アメリカの学校教育をみると、「とくに公立学校は、知識の獲得を依然として主目的とし、その達成度を筆記試験でチェックする従来型から脱却できていない」ということらしい。あら、アメリカも日本と同じようなものなのね、と思う。

日本も、「知識の獲得」重視から、「思考力」重視へのシフトに躍起で、それは、4年後に大学入試を、「センター試験」から「思考力重視の試験」に移行しようという改革にも表れている。

新しい入試が、一体どういうものになるかは「見もの」ですが、まぁ、それくらい「知識の集積より思考力が大事!」というのが、浸透しつつあるということです。

となると、大学の授業でも、「知識の獲得を主目的とするのではなく、思考力を養うような授業を!」というプレッシャーがひたひたと押し寄せてくるわけで、「知識の伝達」を主目的とするような授業をしている私としては、「このような授業をしていて、いいのだろうか」と、疑問を抱くようになる。

卒論執筆を目的とするようなゼミは、まだいい。学生が自主的にテーマを決めて調べ、発表し、論文に仕上げる。 「思考力の涵養」を謳う本書でも、お勧めの授業形態である。

語学の授業も、まだいい。語学の「知識の獲得」を目的としているので、文法を説明し、単語を覚えさせ、練習問題を解かせて、語学力を身につけさせる。テストも、知識獲得の達成度をはかるバリバリの筆記試験で十分である。

問題は、講義科目の授業です。アフリカ言語学概論。こういった授業の目的をどのへんに定めたらいいのかが、悩みどころです。

アフリカの言語について講義する。 アフリカにはねぇ、こんな言語があってねぇ、こんな系統に分かれていてねぇ・・・。 ここの国ではこんな言語があって、あっちの国ではこんな公用語があって・・・。 こんな風に言語が使われていてねぇ。 こんな言語現象があってねぇ・・・。

しばらくすると、あちらこちらで、居眠りする姿が見受けられる。うぬぬ。

スマホをいじっている学生には、「スマホしまってください!」と注意するが、居眠りしている学生を起こすのは、ためらわれる。すみません、眠いよね、大して興味もない話、聞いてるだけじゃ眠くなるよね。眠くさせている私が悪いんです、という気分になる。

というわけで、少しでも眠気を誘わないような授業を、と思うのだけれど、これが難しい。ゼミのように毎回、発表やディスカッションができればいいのだけど、それだけでは講義の授業は回らず、どうしても「講義する」部分が必要になる。

そりゃぁ、いろんな講義の仕方がありましょう。すばらしく準備されたスライドに、映像や音響を伴ったスペクタクルな講義。熱意あふれる話術に知的好奇心が刺激され、ワクワクと耳を傾けたくなるような講義。

そんな講義ができない場合は、どうすればいいのでしょうか。こういう時に、「知識の獲得」を目的とする授業は便利です。 「はい、ここ、テストに出まーす」といえば、目をぱっちりと開けて、注目してくれる。いっそ、レポート課題をやめて、講義内容をテストする方法にするか? うーん、それだと、いつまでたっても、「知識の獲得を主目的とする授業」から脱却できないしなぁ。

まぁ、このように悶々としながら、まいど講義の授業を行っているわけですが、せめて、手でも動かしながら授業を聞けば、眠気を防げるのではないか、と考えてみる。

講義の内容を全部ノートに書き取る、という、なんだか明治時代的な講義風景は、望むべくもないが、少しでも書く作業を伴うようにと、資料のプリントを穴埋め式のものにして配布し、講義をする。

はい、ここ、official language 「公用語」ですね。セネガルの公用語は、はい、フランス語ですね。「フランス語」と入れておいてくださーい。広く話されている言語は、ウォロフ語。はい、「ウォロフ語」と書いておいてくださーい。何語族ですか? そう、「ニジェール・コンゴ語族」ですね。その中の? はい、そうです、「大西洋語派」に属しますね。「大西洋語派」と入れておいてくださーい。

うーん、結局、「知識の獲得」が主目的になってるなぁ、と思いながら授業をしていると、プリントに突っ伏して寝ている学生、発見。

寝ている子を起こすのは忍びないが、この場合、起こした後にやらせる作業があるので、起こしやい。近づいていって、肩を叩き、「はい、起きて。 はい、ここに書いてください、ここ。 ここ、ウォロフ語、ね。」とプリントを指さす。

すると、だるそうに起きた学生は、「書きたくありません」と言った。へっ!?

「こういう意味のないこと覚えるの、いやなんです。やる気になりません」

「意味ないって・・・。アフリカ言語学の授業だから、どこでどんな言語が話されているとか、どんな系統だとか、そういうのは一応覚えておいてもらわないと」

「そういう記号みたいなのを覚えるのが、苦痛なんです」

「苦痛って・・・。でも、中学や高校の授業って、こういう暗記みたいなことをする授業だらけだったんじゃないの?」

「はい、だから苦痛でした。興味のない、記号みたいなのを覚えるようなことは全部避けてきました」

「避けてきました、って、それじゃ、単位とか取れないんじゃない!?」

「だから、取らなくていい授業は取らなかったです」

そう言って再びプリントの上に突っ伏した学生に、私は言う言葉が見つかりませんでした。

わーおっ、もしかしてこれは、「知識の獲得より思考力の涵養をめざせ!」教育の完成形!?

常日頃からの 「この授業、思考力を養うというよりは、知識の集積に重きをおいてるなぁ~。どうしたらいいのかなぁ~」 という私の迷いの間隙を突かれた、衝撃の体験でありました。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆

はい、今日の講義のまとめでーす。

1.時代は、「知識の集積」よりも、「思考力の涵養」を求めている。

2.「思考力の涵養」に資する授業とは、どのような授業なんですか!? と教員たちは日々、自問している(と思う)。ゼミみたいな授業ばっかりも、できないし。

3.「ここ、テストに出まーす」というのは、興味のない授業を聞いている学生を引き付ける、有効的で安価な武器なのでした、実は。

4.その「武器」なくして戦うには、私はあまりにも旧態然とした授業しか知らず、日々悶々としながら、授業を続けるのでありました。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆

【イメージ図】 

<グループワークをおこないながら、活発に議論する学生たち>

2015_1028ai

「こうして、思考力は養われるのでありました」 みたいな!?

2017年3月30日 (木)

卒業式の3月

月末にその月のことを振り返って記事を書くとなると、3月はやっぱり、卒業式のことになる。

今年は3月22日(水)が卒業式でした。

専任教員になって初めて卒業式に出席したのが、2007年。それから数えて今年は11回目の卒業式となりました。このブログを振り返っても、毎年3月には、何らかの形で卒業式のことに触れている。

去年は、七海の手術入院中のことで、外泊帰宅中になんとか卒業式に臨んだ。と思ったら、もうあれから1年! いやぁ~、なにごとも万事、時の流れの早すぎる、ばかりが感じられて・・・、ですね。

2017_0322ab

今年の卒業生は22名。6回生が2人、5回生が13人、4回生が7人と、5年で卒業するのが主流である傾向はずっと続いている。

11回目ともなると、こちらの感慨は薄れていくし、学生さんとの距離も遠くなっていくように思うのですが、学生さんの側からしてみれば、初めての、そして最後の、唯一無二の卒業式。

大学生活の締めくくりでもあり、長かった「子ども時代」の終わりでもある。一番、多感で悩み多い時期を過ごし、すぐそこには「社会人」としての新しい生活が待っている、希望と不安、期待と寂寥が入り混じる日でもある。

スワヒリ語専攻では、「母」というか「伯母」というか、なんともビミョーに濃い関係の教員がどーんといて、「みんな家族みたいなもんだから!」と言われ続け、そのうち友人たちも、ホントの兄弟姉妹のように思えてきて、そんなきょうだいたちも、今日でお別れかと思うと、もう泣けて泣けて、「ほんっとに、みんな、ありがとう!」と、涙で肩を震わせることになる。

毎年、卒業生から教員への花束贈呈がありますが、こんなに号泣されたのは初めてでした。

2017_0322ai

私も思わずもらい泣き。よく見ると、向こうの教員のところも、号泣大会だったようです。

こんな風に素直に泣きながら卒業していけるのは、「子ども時代」の締めくくりにふさわしいことかもしれません。

これまた毎年、卒業生から記念の品をいただきますが、今年は教員それぞれに、ゆかりのある国のTシャツに寄せ書きをしてくれました。私にはナイジェリアのTシャツを。

2017_0322a_2

このTシャツを、卒業旅行のナイジェリアで買ってきてくれたのは、5回生のT原くん。2度も私のヨルバ語の授業をとってくれ、それでも挨拶程度しか習得させることができなかったのは、すべて私の責任です。すまなかった、T原くん!

しかし、救いは、寄せ書きに <先生の授業はホンマにおもろかったです> と書いてくれたことでしょうか。ありがとう、T原くん!

彼は、なんのご縁か、「小森コーポレーション」という会社に勤めることになりました。報告を聞いた時は、そんな会社があるのか! と耳を疑いましたが、印刷機械を作っている会社で、ナイジェリアの紙幣を印刷したこともあるというから、世界は狭いような広いような、です。

学生さんたちがこれから出ていく社会は、私の知らない世界であり、また、まばゆいばかりの世界でもあります。その活躍を通じて、私にもその、広くまばゆい世界を見せてくれたら、と願っています。

とりあえず、「子ども時代」の終わり。ご卒業おめでとう。まだまだ心配の尽きない「子どもたち」ですが、立派な大人になった姿をまた、見せてくれたら嬉しいです。

2015年10月30日 (金)

10月の雑感

大学の後期が始まって一か月。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

雑感その1

10月、久しぶりに学生たちに会うと、夏休みを経てきた分、どこかしら成長を感じる。

女子学生は、一様にきれいになっている。「きれい」といっても人それぞれだけど、着る物がおしゃれになったとか、化粧が濃くなったとか、見た目の変化が著しい学生もいれば、子どもっぽさが減じたとか、「大人っぽい」あるいは「女性らしい」雰囲気をまとうようになったとか、そんな感じの学生さんもいる。

男子学生は、見た目の変化はあまりないし、下級生たちは相変わらず「子どもっぽさ」が残るままだが、上級生たち、特に就活を経てきた学生たちは、一様に「しっかり」した感じになっている。

提出物の締め切りを守れだとか、ちゃんと連絡を取れだとか、さんざん叱ってきたことが嘘のように、叱ることがなくなっている。第一、メールの文面からして、「しっかり」を通り越して、営業マンかというような文面になっている。

こちらとしては、さんざん「お世話」しているつもりの学生から、「いつもお世話になっています」と書かれては、「なんだかなぁ~」という気分にはなるが、まぁ、それでも、そういう丁寧なメールを書こうという態度に育ってくれたのは、就職活動のおかげかと思うので、学生の成長にとっては「就活さまさま」だなぁ、という感じである。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

雑感その2

先日、大学時代の友人たちがキャンパスに遊びにきてくれた。フランスにお住いのK子さんが一時帰国するのに合わせて、「移転前の旧外大を見ておこう!」プランが決行されたわけだが、なつかしのキャンパスを見て回って、「この建物って何?」と図書館を丸ごとお忘れになっていたS子さんの感想もかなり鮮烈でありましたが、T内さんの「え~、墓石階段って、こんなに狭かったっけぇ~?」という感想も、なかなかに味わい深いものがありました。

卒業した母校を訪れ、それが、こんなに狭かった、あるいは小さかった!? という感想をもつことは、しばしばあることですが、それは、小学生の目には大きかった建物が、成長するに及んで小さく見えるようになった、という物理的な現象を指すものとばかり思っていましたが、T内さんの感想を聞いて、「あぁ、そうでもないんだなぁ」と思いました。

大学時代は、こんな辺鄙で不便、狭くて薄ら寂しいキャンパスでも、学生生活のすべてがここにあった。成長途上の自分が未来の自分をみつめ、まだ見ぬ世界を夢見る場所だった。そういう意味では、人生の輝ける時間が詰まった、とても「広大な」世界だったのだ。

ここを去って違う世界に行き、別の人生を歩むようになると、そんな「広大さ」は、夢の泡のように消えてしまうんだね、きっと。

でもまぁ、それが、人の成長っていうもんですよね。なじんだ場所を離れていってこそ人は成長する、って、そういえば昔、そんな風に思ったことがあったなぁ。

20151019

upwardright 「墓石階段」
私たちが学生の頃は、真ん中の手擦りがなかったので、それで小さくみえたのかな、とも思いましたが。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

雑感その3

で、私自身は、なじんだ場所にいつまでもグズグズと居続けているわけだが、あの頃に夢見た自分とはずいぶん違うことになっている。まずもって大学の教員というのは夢のかけらにもなかったが、さらに、そこで一番熱心に指導することになったのが「小論文」というのも、なんだか妙な巡り合わせである。

小論文を「熱心に指導」というと、ちょっと語弊があるな・・・。

「どう書いたらいいか分かりません」という学生をなだめすかして書かせ、提出してこない学生をおどしたりすかしたりしながら催促し、書いてきたものを添削して書き直させ、早く修正版を送れとまた催促し、あー、もう、これ以上添削したら、嫌気がさして投げ出してしまうだろうなぁと思ったり、とにかく、一番苦心させられる、一番心砕かされるのが、小論文の指導なのだ。

添削したものを返して書き直させると、私が赤を入れた部分だけを修正してくる。いや、だから、ここの部分がちょっとつながりがおかしいから、この部分の言葉だけを変えるんじゃなくて、全体の流れを見直して欲しいんだけど。 だからぁ、全体の構成や主張からしておかしいから、考え直して欲しいんだけど! っていう気持ちを全部ぶつけると、学生さんはきっと本当に嫌になってしまうだろうから、全部は言わないけど、でも、でも、でも。 と、いつも指導が悶々である。

で、そのような悶々の先日、自分が書いた論文の査読結果が送られてきた。「査読結果」と言っても、要は論文の添削みたいなもので、私の書いた論文の随所に、ここは何? これはどういうこと? ここはこうでは? といったコメントが付されているのである。

あっちゃ~、ここが分からんかぁ。はぁ~、これはそういう意味じゃないんだけどなぁ。

まったく不承不承のまま、修正を始める。そして、修正しながら気づく。はい、そうです。学生さんと同じように、指摘された個所だけを修正している私。最低限の修正だけでやり過ごそうとしている私。気分はすっかり学生さんである。うん、うん、分かるよ、分かるよ。君たちの気持ちはよ~く、分かったよ。

さすがに、部分的な文言の修正では、かえって全体のバランスが悪くなることは分かる。分かっているが、これは学生さんが書く1頁の小論文とは違うんです! 22頁もある論文なんです! 今からこれを全体に修正するなんて、もう、無理なんです!

こうして、締め切り日を迎えた修正原稿は送られるのでありました。

ということで、こんな風に学生さんたちは小論文課題をやりくりしているのね、と気づきつつも、やっぱり小論文の指導について悶々とする日々が続きそうな10月末なのでした。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

10月は毎年、卒業アルバム撮影というのがある。
で、スワヒリ語専攻の3,4年生たちと集合写真を撮りました。

20151028aa

大人っぽくなったような? 
まだ子供っぽいままのような? 教員も・・・?

2015年6月30日 (火)

さよなら、母校

前回の記事のコメントに、なつかしき我が大阪外大空手部時代の同窓生からコメントをいただきました。半年前くらいには、同じく空手部の同級生「くりちゃん」から、「ブログみつけてメールしています」と、30年ぶりくらいの嬉しい音信があった。
 

いつ思い出しても懐かしい大阪外大時代。思い出すのは、同級生たちとの楽しい学生生活や、空手部で過ごした放課後生活。そしてその背景は、山深く、交通の便が悪く、時に閑散とした空気に満ちる寂しい箕面キャンパス。
 

20150624b_2

結局30年以上も、そのキャンパスに通い続けることになったわけですが、ついに、ついに、この箕面キャンパスともお別れする日が、見えてきました。
 

先日、大阪大学が箕面キャンパスの移転計画を発表した。御堂筋線から続く「北大阪急行線」が千里中央よりさらに北に延びることになり、それに伴ってできる新駅「箕面船場駅」の駅前、というか駅横に、どーんと「都市型キャンパス」を作るという計画である。
 

そこに2021年に移転するというのだから、今の箕面キャンパスとも、あと6年でお別れ。
 

と言っても、まったく実感がわかないし、それがいいんだか悪いんだかも、まだよく分からない。
 

マスコミ発表前に、教員に向けての説明会があったけど、「まだ正式に決定していないのでご内密に」という話で、聞いている方は、「え、ほんまかいな?」という感じだった。

「総長選真っ最中のこの時期に、なぜ説明会?」という穿った見方もちらついて、まったく現実味はなかった。
 

それが2週間そこそこで、オフィシャルに発表されるに至り、「えー、ほんとだったんだ!」という感じ。
 

downwardright 新キャンパスの予想図

Photo

グランドもなく、「懐かしの学び舎」といった風情もなく、駅前のサテライト的学舎での大学生活というものがどういうものになるのか、ちょっと想像できませんが、感傷に浸るのは「旧人類」たちであって、そこに通う「超新人類」くんたちにとっては、それが「当り前」の大学生活になるのかもしれませんね。

今の学生さんたちは、この話を聞き及ぶに、少し複雑な表情を見せはするけれど、「でも、やっぱり、ここは不便すぎますしねぇ」というのが、だいたいの感想のようである。

そう、「なつかしの母校がなくなる」という感傷と同じくらい、「でも、ここは不便なところだからなぁ」という実感も、いなめない。

旧大阪外大は、私が入学する3年前の1979年に、大阪市内の超便利な「都心」から、この不便な箕面キャンパスに移転してきた。当時の諸先輩方は、ただでさえ「なつかしの母校がなくなる」感傷満々の上に、「なんでこんな不便で、うすら寂しいキャンパスへ!?」と、きっと嘆きも深かったに違いない。

「都心回帰」の念願を、いざ果たさん! ということでしょうか。42年の時を経て、都心からまっすぐに伸びる御堂筋線の延長線上の駅前に、なんとかこれで「都心回帰」ということで! というようなキャンパス移転となった。

ということで、なつかしの同窓生のみなさん、あと6年のうちに、ぜひ一度、母校の見納めにいらしてね。 ・・・と言ってみたものの、でも、もう、そこに、懐かしの学生生活があるわけではないのも、分かっていますが。

すべては思い出の中に。

20150624aa_3

友たちとの楽しい学生生活も、若かった在りし日の自分の姿も、すべては思い出の中に。

そこには、永遠に消えることのない、ちょっと不便で寂しい箕面キャンパスと、輝く未来を夢見ていた学生時代の姿が、ずっと変わらず残っている。

すべては私たちの思い出の中だけに。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

(大学からのオフィシャルの発表は → こちら )

2015年3月30日 (月)

また卒業式が終わって

3月25日は卒業式だった。

20150325c

毎年必ず3月25日なので、いい加減ルーティン化して、感慨も薄くなっていくんじゃないかと思っていたけれど、「あー、そんなことないなぁ」 と、あらためて思った。

毎年、「もう、こんなに、可愛いと思える学生さんたちに会うことはないんじゃないか」 と思ってきたけど、今年もまた、「あー、こんなに可愛いと思える学生さんたちとは、もう会うこともないんじゃないか」 と思ったので、きっとこうして、毎年あらたな気持ちと淋しさで、卒業式が繰り返されていくんだなぁ、と思う。

学生さんとの関係は、1年生よりは2年生、2年生よりは3年生、と深まっていくけれど、やっぱり4年生での卒論をめぐっての苦労が、こちらの思い入れが強くなる分、ぐっと距離を縮めてくれるように思う。それに、4年生は就活を通して成長するので、少しは「大人」として共感し合えるようになるし、ね。

20150325d_2

毎年、卒業生が花束や記念品をくれる。

今年も花束や記念のマグカップとともに、ゼミ生が長めのメッセージを書いたアルバムをくれた。

20150325b_2

卒業パーティで泣き笑いの最後の時を過ごした後に、家に帰って一人、それらのメッセージを読む時、「あー、これで終ったんだなぁ」 と、いつもしみじみとしんみりする。

メッセージは思い出や感謝にあふれていて、どの学生さんからも、それぞれの想いは伝わってくるのだけれど、その中でも、「あー、こんな風に感じ、こんなことを学んでくれたんだ」 と思うメッセージがあった。

その一節を、(書いてくれた学生さんへの感謝を込めて)引用させてもらうと。

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜★

<先生のゼミで、日常にあふれる様々な問題に関して、自分なりのことばで文章を書き、皆に聞いてもらい、そして沢山のユニークな考えを聞く。あの時間がとても幸せでした。

日常に対して細やかに気を配って生きること。それぞれの思いに敬意を払うこと。隣にいる人への優しさを忘れないこと。結局何をするにしても、こういったことが実は一番大切なことなのだと、あの時間 何度も感じました。>

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜★

あぁ、こんな風にして、学生さんは自分で学び、思ってもみなかったようなことを、しかも、人生においてきっと、とても大事なことを、自分でつかみとっていってくれるんだ、と感慨深く思った。

私の性格からして、決して「熱心な」指導者ではなかったし、かなり放ったらかしにしていたし、ゼミでの議論もそれほど活発だったわけでもない。

でも、必ず何か学ぶものがあるんだね、どんな授業からでも、どんな環境にあっても。

大学というところは、そういうところなんだ、学生さんたちはこうやって自分で成長していくんだ、とあらためて思った。

そんな成長を目撃することができて、そして、そんな成長の現場に一緒にいることができて、私も幸せでした。

20150325g

upwardright J:「はい、終わり、終わりっ。 みなさん、 さよなら!」

学生:「えっ、そんな、あっさり、終わり!?」

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜


4月からは、皆それぞれ、新しい場所で、新たな道を、まっすぐに歩んで行ってくれたら、と思います。

私はまた、同じ場所で、新しくやって来る「子ども」たちの世話を、一から始めたいと思います。 卒業の時をめざして。

2014年6月29日 (日)

仕事の流儀

と言えば、NHKの番組『プロフェッショナル』みたいだが、私には特に「仕事の流儀」と呼べるようなものはない。

番組の最後には、いつも、「プロフェッショナルとは、」という問いに対して、たとえば、「自分を信じて、ぶれないこと」とか、「やらなければならないことを淡々とやるだけ」とか、「相手の力を信じて最後まであきらめない」とか、「挑戦しつづけること」とか、その道を極めている人たちの信念の言葉が語られる。

私がマイクを向けられたら、なんと答えましょうか。
「そうですねぇ~、学生が寝ない授業、これを目指すのがプロフェッショナルですかね」と言っている背景に、先日の10人くらいの講義の授業風景が写し出され、後ろの二人くらいが爆睡している様子がクローズアップされて、フェイドアウト・・・。ま、私は、本物の「プロフェッショナル」では、ありませんからっ!(逆切れ的)

そんな私でも、「仕事の流儀」について考えさせられることがある。それは、人に仕事を頼んでやってもらう時なんかである。

おととしから学会誌の編集委員をしている。学会誌の編集委員というのは、投稿されてきた論文を審査するために、査読をしてくれる人を探して依頼し、査読者が出した結果をもとに掲載の可否を判定する、というのが主な仕事である。その中でも、特に「主な」仕事は、査読者に依頼のメールを書くというのと、査読結果を受け取る、ということになる。

査読者というのは、論文の内容に近い専門家を選ぶが、知り合いの場合もあれば、全然面識のない人の場合もある。ま、しかし、いずれにしても、査読依頼というのは、問題なくすすむ。面識のない人にはやや長い丁寧なメールを書かなければならないが、それもまぁ、問題はない。たいていは、快く査読を引き受けてくれるが、忙しい人は「忙しくてお引き受けできません」と断ってくる。しかし、それならそれで、別の査読者にあたるので、特に問題ではない。

問題は、査読結果をいただく時である。だいたい1カ月半をめどに、「〇月〇日までに結果をいただけましたら幸いです」と締め切りを設定して査読論文を送る。

これまでの大まかな印象によると、〇月〇日までに査読結果を送ってくれる人が半分、〇月〇日以降になる人が半分、といったところだ。

「以降」組はさらに2つの班に分けられる。単に〇月〇日を過ぎてから送ってくる、あるいは、「すみません! 忙しくてちょっと間に合いませんでした。もうしばらくお待ちください!」的なメールが来てから後日、査読結果を送ってくる班と、〇月〇日のさらに半月後くらいに、こちらから催促のメールを送ってようやく、「(あ、しまった、忘れてた!)遅くなってすみません!」と、あわてて査読結果を送ってくる班である。

査読は無償のボランティアの作業なので、結果を送ってくださるだけでありがたい。「忘れてた!班」の方にも、丁重にお礼を申し上げる。「もうしばらくお待ちください!班」の方には、「ほんとうにお忙しい中・・・、」と、さらにお礼は丁寧になる。

このような「以降組」に対しても、不満よりは「よくぞ送ってくれました」感の方が強いから、〇月〇日以前に送ってくれる「締切厳守実行組」の方には、さらに敬意と感謝の念が強くなる。

「締切厳守実行組」もさらに、「〇月〇日ちょっと前班」と「〇月〇日オンタイム班」に分かれるが、どちらの班の人も、査読結果を送ってくれる時は、「査読結果を送ります」というメールの文面が、たいへん「凜」としていて、こちらはただただ、ひれ伏してお礼を申し上げるのみである。

私自身、これまでに何度か査読を依頼されたことがあるが、考えてみれば、だいたい、「忘れてた!班」か、よくて「締切厳守実行組」の「〇月〇日オンタイム班」であったが、オンタイム班の時は、「査読結果を送ります」の文面が、「凜」を通り越して、「ドヤ顔」であったことが思い起こされて、こっぱずかしい。

で、「やっぱり、締め切りは守りましょうね」というくらいの教訓なら、特に「仕事の流儀」というほどのことでもないのだが、最近じわじわと思い起されるのが、「締切厳守実行組」にまれにいる「超速班」の人だ。

「超速班」の人は、締切日よりずっと前に結果を送って来る。まぁ、めったにはおらず、今のところ2人くらいしか思いつかないのだが、多くの査読者とのやり取りを経れば経るほど、「超速班」の仕事ぶりが際立って印象深くなってくる。その中でも、初めのやり取りからして、「超速感」が溢れていた人が印象的である。

その人は、まったく面識がない人だったが、そこそこビッグネームの、誰がみても多忙そうな先生であった。面識のない私は、自己紹介やら依頼に至った経緯やら、そりゃぁ、もう、くどくどと長い丁寧な依頼のメールを書いて送った。すると、すぐに、「うん、いいよ、論文送って」的な、大変カジュアルな一文のメールが届いて面食らった。もう、まるで、「何なんだ、この回りくどい依頼メールは。読むだけで時間がとられるじゃない? 何で依頼メールに一緒に論文添付してこない? このやりとりが無駄じゃない?」と言わんばかり、というか、私が勝手にそう解釈してしまうほど、「超速感」が溢れていた。

で、その先生から査読結果が届いたのが、締切日の半月ほど前、という速さであった。今、客観的に考えれば、もう一人の「超速班」の人の方がもっと速かったのだが、それよりも、この先生の「超速」ぶりが印象に残っているのは、その速さだけでなく、その仕事ぶりにもある。その仕事が決して「完璧」なものではなかったのだ。

細かいことだが、その人が結果を送ってきてくれた時のメールに書かれた私の名字の漢字が間違っていた。また、査読結果を書いてもらうフォームを送ってあったのだが、細かい様式は無視して、コメントだけが書かれていた。

全体の印象として「仕事の完成度」は70%くらいの感じだったが、しかし、「査読をする」という仕事としては、十分に仕上がっていた、と言える。ちょっと読み返せば誤植が分かるメール本文や、送られてきたフォームを丁寧に見れば、記入しなければならない項目が他にもあることは分かるが、そのわずかな手間や時間を惜しんで速く仕上げた、ということが分かる仕事ぶりだった。

「その手間を惜しんで70%の完成度になった仕事」ではあるが、その時の私には、それが「その手間を省いてでも超速に仕上げた仕事」であるように見え、またそんな仕事のやり方が強く印象に残った。

しかも、義理も恩もない他人からの無償の依頼に対して、そのように超速に仕事を仕上げることを第一にしている、というところに、「仕事の流儀」のようなものを感じた次第です。

「先生にとって、プロフェッショナルとは?」
「う~ん、そうですねぇ~、仕事の速さ、でしょうかね。とにかく速く仕上げる。締め切りに間に合わせる、なんてレベルじゃシロートですよ。締め切りよりずっと前に、ね。 でも、仕事は100%完璧でなくてもいいと思うんですよ。その仕事のレベルに合わせて、70%でも80%でも。締め切り過ぎるよりは、ずっといいと思いますよ」

こういうのも「仕事の流儀」の一つかも、と思い始めた私は、事務からきた8月締め切りの問い合わせに速攻で返信して、PC画面いっぱいに「ドヤ顔」メールを書いたが、こういう態度は、まだまだシロートのレベルでは、あると思う。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

「カムリくんにとって、プロフェッショナルとは?」

20140622cameytaxi2

「そうですねぇ~。やっぱり、燃費でしょうかねぇ。普段からリッター20キロは心がけていますね。お客さんを乗せている時は、お客さんの急ぎ具合に合わせて、スピードも重視しますけどね。

え、タクシーであること? うーん、それは、それで、ぼくの天命であるとは思ってますけどね。でも、クラウンにいさんのように、そりゃ~、覆面パトカーになれるなら、それが一番カッコよくて、いいですけどね。

うちのカムリ一族から、覆面パトカーになれたヤツは、まだいないんじゃないかなぁ~。」

2018年11月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
無料ブログはココログ